2026年7月11日土曜日

132 おいしい画どす

 ところがこの男、とんでもないことをしでかすのであった。

野球中継の技術総責任者は、中継車の中でカメラやVTR、音声や照明等に指示を出し、画像を瞬時に切り替えるテクニカルディレクター(TD)である。

このTDは12台のカメラ、6台のスローなど18画面、音響や照明など、インターカムで繋がっており、適宜指示を出し、かなり経験を積んだ15年、20年選手が通常は座る。

まさかの出来事だが、このB君、5年を待たずしてTDの席へ座っていたのである。

当然大ベテランは自分がTD席へ座る番。10年早い、と怒鳴りつけ、足を引っ張りそうなものだが、どういう訳かB君にはトチらせたくない。

という雰囲気を持ってフォローしたくなる性格だ。

大先輩、三カメさんいただきました、あんがとさん。

およよ五カメさん監督キープ、おいしい画どす。OK。なんて京弁丸だし。

怒号飛び交う車内の雰囲気が、がらりと変わっていたのだ。

TD経験のある大御所から「B君は君が面接採用した光男組だろう。どこを見込んで採用した?」と聞かれたが、こちらが質問したいところです、と答えた。」

もちろん甲子園経験A君も同期に負けじと、現在でも切磋琢磨中である。

今宵も後輩たちの成長ぶりをテレビで楽しみ、晩酌する光男であった。

光男中学卒業時、小児麻痺の妹は7歳、どん底生活だった。その日の食べ物すら確保できない状況。

忘れようにも忘れられない食べ物、それはカタツムリだ。

食べ物も底をつき何もない。雨が降ると石垣の合間から小さなカタツムリが這い出る。それを沸かして食べるのである。

勿論醤油や味噌もない。

ぬるぬるし、殻ごとジャリジャリ食べるのである。

母は痩せこけ栄養失調状態だが、必死に光男の命を繋いだのである。

フランス料理、カタツムリが高級料理らしいが、光男にとってはゾッとする食べ物、生涯口にすることはない。


131 映像技術における下克上

放送業界、歴史の最重要なVTR問題に立ち上がった人は一人もいなかった。アメリカへ立ちはだかった人はいなかった。

当時民放から見ると、国家予算にも匹敵する巨額の開発予算を行使していたNHKですら、このオメガ方式には関与する猶予はなかった。

技術資料館にはオメガ方式、これに由来する物証は一案たりともないでしょう。

このオメガ方式、電子編集こそがNASA開発のVR-3000を駆逐し、日本が先進国アメリカを一気に抜き去り、映像王国にのし上がった瞬間である。

光男は3年で方式問題、編集問題をクリアし、5年後にはアメリカ大リーグがお手本にするスローVTRを多用した番組を作り上げたのだ。

全国のお茶の間が明るくなったことはいうまでもない。

チャンネルや電波の系列など、小さすぎる、コタツでテレビを楽しむ全国の人々を常に意識しろ、が口癖。

光男の上司は慶応大卒の切れ者と言われた人物だったが、光男のことは、タイニン(大人)タイニンと呼び、全幅の信頼をおいていた。

未来の番組作りを託せる社員を採用しよう、と光男は新人採用に乗り出す。

サッカー番組の台頭は著しいものがあったが、当面野球は続くだろう、と考え野球番組メンバー採用を優先させ、筆記試験、書類選考から面接へと進んだ。

その中に甲子園出場者がいたので当確にしたA君、もう一人どうしても拍子抜けするB君がいた。

京都出身で、名前も公家が使う名前、応答が京都弁でくる。

スポーツ系でもなく文系でもない。

なに系にもあてはまらないが、ドラマのカメラマンでもやらせば使えるかな、と採用を決める。

新人は2年間、ドラマや音楽、報道取材やワイドショーなど、あらゆる番組の下働きをさせ、顔つなぎや適性を見極め、本人の希望も採り入れ、方向付けをし先輩に預け育てる。

一年が経った頃、つかみどころのないB君をどのジャンルへ当てるか悩んでいた。

しゃべりや対応のしかた、ふにゃふにゃに見え、どうやっていいのか、リンダ節、こまっちゃうな~と歌いたくなる心境。

しかし本人から野球をやらせて欲しいと言ってきたので、とりあえずやらせてみることにした。


130 ソニー社長さんよ

 ソニーは昔、ホームビデオのVHSとベータ方式の規格争いで大敗し、放送用VTRもかなり立ち遅れており、VTR事業撤退かと言われたが、光男の出現で一気に逆転。

なお放送用VTRでは独占体制。

開発担当部長だったM氏は後に副社長まで駆け上がっていったのである。

そこでまたまた光男のズッコケが出てしまうのである。

光男は何時も会社の近く、すぐ戻れる一キロ圏内の焼き鳥屋で後輩たちと番組談義をしていた。

ソニーM氏から会食をしたい、との連絡。

夕方営業マンが迎えに来、連れていかれたのがホテルニューオータニ最上階の、当時最高級のフランス料理店だった。

髭の剃り跡が青く、格闘家風のがっしりした体格、ニタリ顔が似合わない、チョコんと乗った白い帽子がこれまた似合わない男がうやうやしく迎え入れた。

光男が主賓だと分かっているのだろう。

横でメニューをさかんに進める。

これがまた訳の分からない言葉である。

焼き鳥屋に指定席を持っている光男、これほど上品な店、妙な外人に完璧に舞い上がってしまったのである。

とりあえず雰囲気を察したM氏が注文。

目の前に訳の分からない食べ物が並べられたのであるが、光男は一度もフォークを使ったことがない。

使い方を知らず手が出ないのである。

野蛮ではしたないな、と思ったが、M氏がパンを手でちぎっているので真似をした。

ビールだけは通じるので、パンをちぎり、ガボガボとビールを飲む。

泡盛で鍛え、横綱を自認する光男は雰囲気と変な外人に酔いつぶれてしまったのである。

たかがビールごときだが、雰囲気が人を酔わせる初体験をしみじみと味わった。

おそらくこの店で豪勢なフランス料理を注文し、パンだけで終わらせた客は光男だけではないだろうか。

あの青顎男は店員とこちらを指さしニタリニタリしている。

おまえフランス料理を食べる資格のない田舎者が、と言っているように見え、愛嬌なのだろうが、空きっ腹にニタリは腹が立つ。

癪なので方言で「ウワ、ファ~ナカ、バフォ~ン」(あなたが食べなければ私が食べる)と方言で言ってやった。

それにしても光男は食べ物でよくズッコケる。

ソニーの社員がこのブログ見ていたら、社長に伝えてくれ。

光男がニューオータニでのリベンジマッチ待っている、と。

当時ソニーはアメリカナイズナンバーワンと言われた企業で、他のメーカーの営業マンは飲み屋の接待。

場合によってはゴルフ接待など常識だったが、ソニー営業マンは喫茶店のコーヒー代とて、必ず宛名にソニー名がないと認められない、とぼやいていた。

接待がタブーな企業が名もなき光男を日本で一番高級なレストランでもてなす。

どれだけ利益をもたらしたのか計り知れないだろう。

当時のソニー社内事情、社風からしてあれほどの接待をした人は光男だけだろう。


2026年7月10日金曜日

129 テリー伊藤氏を生かす。

 問題は完璧にテリーに反発しているスタッフだ。

帰りに焼鳥屋へ立ち寄り、この番組は思い切った強化策をとる、と切り出すとM君は、怪訝な顔をしていた。

カメラ、音声、VTR課の課長がすべてスクラムを組みスタッフを出さないことになっている。

光男が部長命令を出したとしても社内事情は無理だと分かりきっている。

業界にはボツボツ、フリーでやっている人がいるはずだ。

彼らを動員しようと言うと、やったーと膝を叩いて納得。

さすが、と握手をしてきた。

ゴールデン番組なので日当は割り増し払いの触れ込みに、一気にスタッフ問題は解決した。

テリー伊藤氏はまだ初心者、ビートたけしとの間を取り持ち充分なるフォロー体制を取るように、とMカメラマンに指示。

軌道に乗っていったのです。

当時、雨傘番組だと手を抜き、二流カメラマンを当てるのが普通だが、キー局のゴールデンカメラマンを裏番組、当面の敵局に惜しげもなく当てる。

光男がいかにロケの映像を茶の間に届ける事を重視していたか分かるだろう。

またこの番組では各メーカーの試作機を次から次と取り寄せテスト。

ノウハウは後のオールロケ「ねるとん」番組へ繋いでいったのである。。

テリー伊藤氏は、光男がロケの統括としてバックに控えていたから、社会人初の大きな番組のディレクターが務め上げられたのだ。

ビートたけしもこのMカメラマンがいたから軌道に乗ったと言っても過言ではないだろう。

民放に勤める人なら誰もがあの巨額の予算とキャスティングで展開する大河ドラマを凌ぐ番組を作りたい、と思うがレギュラー番組では実現していない。

そう、光男とMカメラマンのコンビはいとも簡単にそれを実現したのである。

当時の日テレ、フジテレビ、両局の視聴率を合算するとレギュラー番組で常に大河ドラマを上回っていたのだ。

光男があの東大卒敏腕ディレクターと一歩も引かない覚悟で臨んだ裏には、この読みもあったことを書いておこう。

ビートたけしのスタジオ部分は日テレ局社員制作、完璧とは言えないが、ロケに頼る点も大であった、おまけの解釈。

日本テレビさん、ごめんなさい。


128 立ち往生

 テリー伊藤氏の若い頃を書いてみよう。

彼は学生運動の火炎瓶で斜視になった、と他のブログで書いてあったので書くが、卒業直後「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケ担当ディレクターだった。

もちろん番組作りは初めてで、ロケの技術を受注したのが光男。

スタート当初テリー伊藤氏は、あまりにも番組作りを知らなすぎた。

番組にならない、とスタッフが総スカン立ち往生してしまったのである。

Mカメラマンにはゴールデン番組なので、決して手を抜かないよう指示はしていたが、とうとう彼ですら限界を超えた。

残るは光男がロケ総責任者として一喝すべし、とのことになり会うことになった。 

会ってびっくり、彼は童顔でどう見ても学生アルバイトではないのか、雨傘番組(あまがさばんぐみ)とはいえ、と思わせる状況だった。

学生運動での火炎瓶事件後なので、斜視がひどかった。

更に吃音(きつおん)もひどく、光男の見た感じでは障害者に見えたのである。

小児麻痺という障害者を妹に持つ光男にとって、障害者に見えるテリー伊藤氏は切り捨てるわけにはいかなかったのである。

静かに耳を澄ませてテリー伊藤氏の話を聞くと、言っていることに理はある。

技術がついて来ない旨を言っているが、一番光男がロケ機材や装備、電源など開発を急ぐべく各メーカーを駆けずり回っていた時期。

機材開発は各メーカーが協力体制をとっており先は見えている。

この男を潰す訳にはいかない、フォローしようと腹に決めた。

光男は、一喝どころか何一つしゃべらずに帰った。


127 さすが東大

 M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。

「実は私もM君の才能を高く評価しています」と光男は真面目に話し出した。

彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ、自信を付けさせたい。

民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。

そして、その才能、ノウハウは今後、必ずフジテレビのために使います。と淡々としゃべったのである。

H氏はしばらく天を仰ぎ沈黙の後、いきなり立ち上がると、握手を求め、この話はなかった事にしようと言ったのである。

「さすが東大出だな」と光男は感じいった。

論争を続ければ、光男という男は業界及び世界までも視野に入れている。

一局一番組だけにこだわる、己がスケールの狭い男に映る。

また先程からの態度を見れば、この男はクビが飛ぼうが決して引かないだろう、と咄嗟に判断し握手を求めたのだろう。

光男は名字の多良間で即沖縄出身である事は分かり、普段は沖縄と呼ばれ、かくして沖縄東大紛争は決着した。

周りからはどうやって説得したのか、興味半分に聞かれたがひかるは何もしゃべらなかった。

光男はわざわざ放送業界や世界における日本のメディアの位置付けなど用意した訳ではない。

子供の頃より手に取るような天の川、流れ星を庭に育ち、入社当時は魔法の箱解明に専念。

10年もすると、何時の間にか業界や世界を視野に入れた思考をするようになっていた。

今の若者たちには光年単位で息づく天の川を眺め、どうせ気がつけば短い一生、スケールの大きな人生を歩んで欲しいと願うゆえんである。

H氏はさすが東大出で、後に歌合戦はたけしに視聴率を食われ、あえなく終焉する。

しかしたけしはさんまと組んでタケちゃんマンでフジテレビゴールデンタイムに貢献する。

そしてひかるに新企画、ねるとん紅鯨団が持ち込まれ、即M君を起用、約束通りその才能を存分にフジテレビに生かしたのである。

ねるとん紅鯨団は二つの大きな効果を局にもたらした番組である。

テレビ局は時間を売る商売だ。

当時、ねるとん紅鯨団放送の時間帯は、なかなか視聴率がとれない、売り物にならない死に時間帯で、それを何とかしたいと模索の末の企画。

そのヒットにより、他の曜日の同時間帯にも火がつき大きな利益をもたらしたのである。

また前にも記したが、カメラとVTRを4台パラ回しで多重記録することにより、オールロケでど素人を主役に、いとも簡単に番組が出来ることを証明。

以後ロケ番組が軌道に乗り番組革命ができたのである。


126 雨傘番組

 ビートたけしは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたが、その後影が薄くなっていた。

浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。

ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてたけしの名前を番組の冠に付けた、

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」なる番組の企画が持ち込まれた。

この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターで放送時間の穴埋め用番組。

業界では「雨傘番組」と呼んでいた。

名の通った役者なら断りそうなものだが、たけしは縋るしかなかったのだろうか。

当時フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」が好評。

光男はフジテレビ日曜夜8時、欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」チーフカメラマンM君をゴールデンタイム裏番組

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケチーフカメラマンに起用することにしたのです。

歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、元気が出るテレビは日曜収録無しでしたが、野球が終わると11月から雨傘がとれ翌年3月までゴールデン番組になります。

結果、たけしの海外ロケ企画が持ち上がり、家族対抗歌合戦収録の日曜日がもろにぶつかります。

たけしの海外ロケにMカメラマン起用を約束した光男は、両局のメンツがぶつかり、窮地に追い込まれることとなる。

フジテレビの日曜8時、ゴールデン番組のチーフカメラマンを、いわゆる完璧な裏番組に起用することにフジテレビHディレクターが異を突き付けてきたのである。

担当課長等に交渉させるが、らちがあかず、とうとう最後の砦として光男の出番となった。

H氏はフジテレビきっての東大卒敏腕ディレクター、学生運動では安田講堂の屋上で大きな旗を振りリーダー役、全国弁論大会を制覇してきたと噂される弁舌家。

当時の芸能界大御所、古関裕而や水の江瀧子など、こうしましょ、こうして下さい、など歯に衣着せぬ自信溢れるてきぱきぶり。

フジテレビでは当時、早稲田卒が圧倒的に多くいたが、この東大卒にだけは勝てない、といわれていた。

かたや光男は子供の頃から25歳までもの言わぬ人と言われ、社内でも窓際族を通し、やむなく社の中心に据えられたばかり。

勝負は既にあったも同然と言われたが、光男は日本テレビ側にM君の起用を通達済みで、引く訳には行かない。

H氏にアポをとり会いに行くと、歌合戦の編集中だが完璧に無視した態度。

待つこと2時間近く、光男はソファーで微動だにせず薄目で様子を見ていた。

この男、終電になっても明け方までテコでも動く気配がない、と観念したのか、Hディレクターは前に座ると一気にしゃべりだした。

「何度も言っているが、M君は私が手塩にかけノウハウをつぎ込んで、やっとチーフが張れる迄育て上げてきた。

事もあろうに当面の敵局、裏番組に起用するとは常識外だ、向こうが軌道に乗れば、こちらの視聴率が喰われるんだぞ」と。

子会社の身分で場合によっては君のクビだけではすまない、社長だって危ないぞ、と光男を逆なですることまで言われ、怒鳴り返したかったが、そこは忍々。

存分に喋らせた後、たどたどしいながら光男は喋りだした。

132 おいしい画どす

 ところがこの男、とんでもないことをしでかすのであった。 野球中継の技術総責任者は、中継車の中でカメラやVTR、音声や照明等に指示を出し、画像を瞬時に切り替えるテクニカルディレクター(TD)である。 このTDは12台のカメラ、6台のスローなど18画面、音響や照明など、インターカム...