2026年4月5日日曜日

1224 宿命

  貧しくて設備が確保出来ない場合にはこれはどうしようもありません。

鼓動を維持する為に多くの人を犠牲にする、それもまた考えものです。

そのような観点からして私はその環境の中で鼓動を維持する大切さ、鼓動の大事さは説きますが極限の状況では是是非で良いのではないかと主張します。 

しかしその鼓動「滅せぬ者のあるべきか・・」と言われ、いずれ止まる宿命を帯びています。

人生とは何んぞやと聞かれると、私は即座に己の鼓動を思った通りに使うのが人生である、と答える。

流れのままに生きたのか己の思った通り、鼓動を使い切ったか、それこそが幸せの度合いと言えるのではないだろうか。

貴方の鼓動は親だとて止められません、誰にも止められません。

そしてその鼓動の使い方はまた、貴方しか決められません。

周りに流され、浮き草のような人生では心もとない話です。

またそこで重要な役割を果たすのが脳です。

自論ですが人其々の脳みそはおそらく酵母の様なものであるのではないかと考え、酵母論を展開します。

理系の強い酵母なのか、文系に強い酵母なのか或いは芸術に長けた酵母なのか色々あるのではないかと考えます。

中には理系、文系、芸術、何事をやらせても非常に良い結果を残すバランスの取れた酵母の持ち主もいるのではないかと考えます。

脳みそ自体を畑に例えれば、何種類かの酵母の種を蒔いても、芸術ならその分野の種が他の種より育ちがいい。

土質ならぬ脳質が育ち良い畑と言えるのではないか。

絵画や書道、音楽や文学など、血統と思えるような現象は皆さんも感じているかと思います。

己の人生航路計画、まずは己の脳内酵母がどのような類の酵母であるのか、己を知るとは酵母菌、脳質を悟る事、

見極める事が一番大事ではないかと思います。

学生の頃何をやらせても素晴らしい成績で、なおかつスポーツ万能なんていう人間がいるものだ

将来的にもリーダーとして素晴らしい活躍をするだろうと予測された人間が10年20年経って見ると大した事はなく、

もしろ成績が悪かったはずの人間が立派なリーダーに成っている場合がある。

万能な人間は世間に出ても普通に何でもこなす、いわゆる器用貧乏になってしまうのだ。

かたや成績の悪かったやつは自分に何か取り得がないものか、

一生懸命考え、自分なりの自分に合った道を選択肢する結果、10年20年経つと成績の悪かったはずの人間が

立派な人間に成っているという事がある。

そういう点からしても私の主張する脳内酵母論、試しに検討してみても良いのではないだろうかという事である。

1223 千差万別

 人間(ジンカン)五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり・・・

一度生を授け、滅せぬ者のあるべきか・・

これは織田信長が口ずさんでいたという敦盛の一節である。

権力や名声を欲しいままにした秀吉や家康、勿論、近年においても財閥を成した人とて、滅せぬ者のあるべきか・・・

そうです今宵は己の鼓動と会話してみようではないか。

貴方は生まれた時、目も見えず耳も聞こえない、触覚や嗅覚とて白紙の状態。ただ一つ鼓動の響きのみだった。

乳房を吸う事により母の体温や匂い、声や顔を脳内に一つずつ記憶されて来たのは言うまでもない。

人間の原点に戻り、突き詰めると鼓動に行き着く。

男や女の区別なく、年寄りや子供、宗教や国家、肌の色や言葉の違いに関係なく、この世に生を授けた全ての人には平等に鼓動が与えられている。

そこで私は鼓動という側面から己を見極めるべき哲学が必要ではないかと、ここに動哲学論を展開いたします。

哲学と言うと堅苦しい話の様に聞こえますが人間頭も心も千差万別です。

一人一人違う鼓動があり顔があります。一人一人違う哲学があっても不自然ではなく、むしろ有るべきです。

万人に強要するのではなく一人一人が財布の如く身に付けて持っている哲学。

そしてその都度己の人生の道しるべとして確認をしながら人生を全うする。

そういう意味での幅広い生きざま論、鼓動哲学が必要との主張です。

お互いの鼓動を尊重すべきであると展開していくと、必ずそこには鼓動を止める死刑廃止論であったり、

或いは中絶廃止論であったりという問題にぶつかるかと思います。

私はそれは是是非で良いのではないかと考えます。

なぜなら、私の主張する鼓動哲学は個々のものです。

個人個人が身に付けておくべき哲学だと主張しており、其々によって違う条件の中で解決すべき問題だと考えます。

鼓動を維持するのに高価な機械を必要とする場合もあり、動作を維持していく為には周りの親兄弟、或いは地域国単位での手助けが必要です。

2026年4月4日土曜日

 1222 パンツ帽子

 新造爺さんはまだら呆けを越している。

五歳になる孫芳美が大好きで ママごと遊び、かくれんぼの日々。

風呂も食事も寝る時も一緒。

芳美はママやお婆ちゃんに ツルツル頭とやり込められる爺さんを助けたいと子供ながらに考える。

お風呂で下の毛はふさふさ、そうだパンツを履いているからふさふさなんだ。

お爺ちゃんの頭、パンツを履けばふさふさになるよ、と提案。

その晩から芳美は自分のパンツを大好きなお爺ちゃんへ被らせ寝る事になった。

かくしてママごと遊び、食事の時も孫のパンツを頭に被ったまま。

皆が出かけた後、公園へ遊びに行くがパンツを被ったまま。

大勢の人だかりが出来る。

さあー家族にバレたらどうなるか・・・・

耳元まで口が裂け バトルが始まるであろう・・・

・・妄想家族 バトル編


1221 阪神ファン

 これまた超話題となり町中が色とりどりのマドロス帽にラクダももひき姿が大流行。

飲み屋も喫茶店も歩いている人々も色とりどりのマドロス帽にラクダももひきシャツ姿。

観光客は島へ来るなり、ここは宇宙かと勘違いする程。

大阪で会社を経営している社長が業績が上がらず悩んで旅行中、この光景を見て閃き、膝を叩いた。

社長は大阪へ帰るといきなりラクダファッションで出社。

警察も肌を露出してる訳では無いので手が出せない。

社長はまた大の阪神ファンときている。

ラクダファッションにそれこそ縦縞をつけて甲子園球場へ応援に行く。

縦縞ラクダファッションの社長が応援に行くと、これまた完全に負けの試合が最終回に逆転勝利、連勝記録が話題となりこれまた球場全体がラクダファッションとなってしまう。

ラクダファッションは新聞テレビで話題となり、社長は大量に売りさばき社員の給料倍増。

そして社員に我が社の作業衣をこれにすると言って全社員にラクダファッションを命じる。

営業マンもその姿で外回り。

ところが落とし穴があった。

ビヤダル状の新入女子社員がこのファッションを拒否、解雇になるが裁判となった。

ラクダ裁判である。

さて司法試験第一問。

貴方ならラクダファッションを作業衣として命じた社長の言い分をとるか、ビヤダル状新入女子社員の言い分を取るか、詳細に理由を書きなさい。

貴方はどっちかな・・・・

それにしても飲食店やキャバクラなどあらゆる方面でラクダファッションが大流行するかな・・・

あれ~AKB48が花柄模様のラクダファッションで舞台を彩ったら面白いだろうなぁ・・・

待てよ・・AKB48に対抗すべく新しいラクダ48グループを作ったらどうだろう・・

誰か新しい企画考えて~~

加齢とともに体力を使わない妄想の時間が一番楽しくなる。

・・ひかる妄想劇場より・・・


1220 マドロス帽

 南の島は一年中温暖な気候である。しかし朝晩は冷える。

武蔵爺さんは有り金はたいてラクダのモモヒキとシャツを買った。

着てみるとこれがやたら暖かい。早速周りへ自慢して歩いた。

あまりの自慢に隣の金持ち爺さんが、ほんだらオイラは2着買うべ、と言って買い、着てみる。

これまたあまりの暖かさにモモヒキシャツ姿で自慢をして回った。

それが何時の間にか島中の人達が老いも若きも次々とモモヒキシャツ姿で歩くようになった。

あたかも島中が宇宙人ではないかと思われる位の姿になってしまったのだ。

観光客は港に降り立つとびっくり。宇宙へ来たのかと勘違いする始末だ。

ビヤダル状の杖をついた婆さん、ボケで帰る家が分からなくなってしまい観光客に、私はどこへ帰ればいいかねーと尋ねた。

観光客は宇宙人のイメージがあったもんでつい天を指差した。

婆さんはいきなり怒り出し、私はまだ死ぬ訳にはいかない、と杖を振り回して追いかけた。

あれれ~と言う間に、婆さんは転倒して骨折してしまった

急いで救急ヘリを呼ぶが、当然事故なので警察も同乗して来たが、ヘリポートの周りの人達のラクタシャツ姿に何んだこれは、とびっくり。

とりあえずは怪我人をと急いで石垣島の総合病院へ運ぶ。

緊急入院するがなんと付き添いの人、見舞いに来る人達がこれまたラクダ姿だ。

病院でも話題となり、病院の爺さんが試しに着ると、なるほど暖かい。

爺さんはこれまた得意になって街中を闊歩するようになった。

映画好きな爺さんはその姿で映画館に行く。

当時は石原裕次郎のマドロス姿にパイプが超人気、爺さんはラクダももひき姿に真っ赤なマドロス帽を被り町内を闊歩する。

2026年4月3日金曜日

1219 節目節目

  ココロ鏡は毎日引っ張り出す必要ありません。月に1度でいいからココロ鏡を呼び出し、

己がどのような人物なのかを己の目で確かめ確認する、ココロ鏡が大事です。

自分は人間としてどうあるべきか、どのような姿であるべきか。

そうです、ココロ鏡を呼び出す時、それは先程の禅の境地に入った状況で己をじっくり写し出す、

それこそ生きて行く上で大事な事ではないだろうかと考えます。

私は20代からこのココロ鏡を引っ張り出し節目節目を確認して生きて来ました。

人口700人前後の小さな島でランプで育ち、隣の人口4万人の石垣島へ渡る事が一番の夢でした。

石垣島には映画館が3つもありネオンも商店街も市場もあります。

高校出る事によって3年間その島で生活し、卒業と同時にテレビの仕事に就きたく上京します。

石垣島の高校には理系コースが無いため商業科コースを卒業し今度はテレビの為、出直し理系科へ。

開設したばかりのカラーTV専門コースに通います。

食う為、昼間は力仕事、2年間夜間学校へ行きますが全んど疲れ果てて勉強どころではありません。

そしてテレビ局入り、いきなりテレシネ、マスター部門と言う、当時のIT最先端の放送局送信心臓部へ配属されます。

1年後にIBMのコンピューターが導入され、コンピューター分野まで携わる事になります。

あまりの変化にどうも付いて行けそうにもない、と悩み自信喪失状態。

その折、ココロ鏡を引っ張り出し、己の置かれている状態、立ち位置などココロ鏡に写し出し考えました。

人口700人の島から4万人の石垣島で高校3年間、そして東京で夜学2年後、放送局へ入ったのです。

そんな中で己のココロ鏡と対峙し、気がつくと島を出て5年後、自分の作った番組が北海道から沖縄迄、そうです全国のお茶の間へ届く、気が付いた時点で自分は何時の間にか一億人の人を相手にする立場の仕事をしていたのです。

自分のやった仕事が一億人の人が見ている、そうです一億人の人が見つめる舞台に立っていたのです。

例え端役ても通行人役でもいい。

何時の日か、まかり間違って一億人が見つめる主役に成るかも知れない、と馬鹿げた事を考え、この仕事を生涯の天職として全うしようと決めたのです。

 1218 ココロ鏡 

 これからも己の人生ドラマを、どう展開させていくのか本気で考えるべきではないだろうか。

そして己との対話、己の人生ドラマの進行状況を写し出す上で最も大事なのがココロ鏡です。

皆さんは毎日鏡で己の姿を写し出し、見ているでしょう。

特に女性の方は手鏡などでその都度己の顔を写し、手直しをしたりするのは言うまでもありません。

私はここでもう一つの鏡の存在を提案いたします。

それはココロ鏡です。

己の顔だけではなく、己自身がどのような姿をしているのだろうか?

前後左右上下、あらゆる角度から己を立体的に見つめる、それを私はココロ鏡と呼びます。

己はどのような姿で周りから見られているのだろうか、性格はケチな奴なのか、ガツガツした人間なのだろうか。

自分本位の人間では無いだろうか。

あるいは時の流れに逆らっている奴なのか、時の流れを捉えられる人間なのか女なのか。

一方的に自分しか主張しない人間がいたり、ただ周りに迎合。

こいつは人間では無いのではないかと思われるくらい優柔不断でどうしようもない人もいます。

やたらと人を嫉んだり、被害妄想的な発想の人がいたり、人が苦しい状況にある旨を喜んだりする人間がいたりします。

自分は悪くない周りがみんな悪いんだ、と主張する奴もいれば政治が悪い国が悪い。

自分は悪くない世の中が悪いなんて訳の分からない事ばかり言ってる人もあるかと思います。

さて自分は本当にどのような姿で周りに写っているのだろうか、仕事の上だとかあるいは家庭の中。

あらゆる方面から己を写し出すココロ鏡が大事ではないかと思います。


1224 宿命

  貧しくて設備が確保出来ない場合にはこれはどうしようもありません。 鼓動を維持する為に多くの人を犠牲にする、それもまた考えものです。 そのような観点からして私はその環境の中で鼓動を維持する大切さ、鼓動の大事さは説きますが極限の状況では是是非で良いのではないかと主張します。  し...