2026年7月26日日曜日

165 軽い男

 

食事を済ませ8時過ぎ、庭のテーブルで、泡盛を飲んでいると、民宿の20代半ばのカップルが2組散策がてら、ぶらりと入って来た。

東京と島を年間半々生活してる私を見て、うらやましい。自分の両親にもそのような生活をしてもらいたいと、話していた。

親父は定年になるの楽しみにしていたが、いざ定年になると、朝から晩まで夫婦角突き合わせで、些細なことで、口争いが絶えないという。

若い内は朝昼晩喧嘩するが、セックスをすれば、仲直りができる。

歳をとるとセックスが少なく、なかなか仲直り出来ないというと、おじさんのいうことは的を射ていると、おおはしゃぎだ。

世間話をしていると、同じ民宿の泊まり男客が2人、話につられ、ぶらりと入ってきた。

一番年上だと思われる、30歳くらいの男の言動がどうも気になる。

自分は1度も仕事をした事がない、フリーターである事を自慢している。

態度や言動から見て、どうも軽過ぎる。

スタイル格好そのものは普通の十人並みだが、男として結婚をしようとか、そういう感覚は全くないようだ。

東京の文京区に親と同居しており、どうも生活するのには困らないようだ。

文京区あたりは東京のど真ん中で、そこに親の代から生活しているという事は、土地なり資産があるだろう。

当然あくせく働く必要もなく、十分食べるくらいの収入があるだろう。

が、しかし男として考えると軽すぎる。

ティッシュペーパーがふらふらしているようなもので、ちょっと風が吹けば舞い上がり、己をコントロール出来ないような、あまりにも軽い幼い感じすら受けるのである。

それに引き換え、私の息子は40歳、子会社や下請会社を数社使いこなしバリバリ働いている。

今の時代はどうだのこうだのと、親父に説教するくらいのバリバリ、毎日が充実しているようだ。

軽い男に言い聞かせる気などさらさらないが、つい経験した犬の糞物語を話してやった。

光男は高校卒業と同時に、周囲12km、海抜12mという、日本最南端の小さな島から、着の身着のままで上京した。

昼間は必死で働き、夜学の後テレビ界へ就職した。

その時知り合った東京生まれの東京育ち、江戸っ子の彼女と出会う事が出来た。

結婚の約束をし、相手の親の所へ挨拶に行くと猛反対だ。


2026年7月25日土曜日

164 ヤギの乳

 

離島で子供が生まれても、昔は栄養が行き届かず母親の乳が出ない場合があった。

勿論、粉ミルクは無く冷蔵庫もない時代。

そこで、ヤギの乳を頂く、そうやって島の子供たちは育ったのである。

光男も母に3軒の家からヤギの乳を頂いたと言われた。

だから3軒の家のヤギ様には感謝しなさい、と言われた。

よって恩返しのため、物心ついた時からヤギを飼わされ、一生懸命ヤギの草を刈ったもんだ。

そしてその3軒の家に子供が誕生した時には、私の飼っていたヤギの乳を恩返しするということだ。

光男がこうやって生きていられるのも、ヤギ様のおかげで神様である。

領土で中国と揉めている魚釣島、野生のヤギが生息しているが、この地区の人が昔住んでいた証だ。

皆さん無人島で住む場合、女房と必ずヤギ様もオス、メス同伴が条件。不滅の鼓動だ。

ヤギ様恩返し草刈り生活の中で、こんな不思議なこともあった。

ある小雨の日、牧場をやっている青年が我が家へ来た時のんびり喋っている。

牛の草は刈ったのかと聞くと、牛は濡れた草は食べないという。

それでは雨が降った日はどうするんだと聞くと、干し草を食べさせるとのことだ。

初めて聞いたが牛は刈った草、どんな新鮮な草でも雨に濡れていると食べないという。

枯らした草、干し草なら食べるとのことだ。

勿論、生えている草なら雨に濡れていても食べるが、刈って雨に濡れた草は刈りたて、新鮮な草でも食べないという。

本当なのだろうか?

この島の牛だけが贅沢な生活をしているのか?

なんで新鮮な草でも、雨に濡れたら食べないのだろうか。

生えた、雨に濡れた草は食べるのに。不思議である。

牛飼いさ~ん、教えて。

島のじいさんが、おしゃべりにきた。

泡盛とサバの缶詰で飲んでいると、ハエがうるさい。

このハエ何とかならないのかなぁというと、8時半まで待てよという。

訳を聞くと、ハエは8時半になると就寝の時間だという。

言われてみて初めて気がついたが本当に8時半になると、ありゃりゃ、ハエがピタリといなくなった。

島のハエは夜8時半就寝だそうだ。

島の人たちは行動時間が夜型だ。

9時10時から平気で飲む。ハエの時間を考え行動をずらしているのだろうか。

島の生き物たちのルールに合わせて暮らすのは、案外知恵が必要なものだ。


163 ヨモギ

 163 ヨモギ

南の島々ではヤギを飼育しており、ヤギ汁は生活に欠かせない。

そして必ずと言っていいくらい、そこにはヨモギが入っている。

ヤギ汁は血圧を上げる、ヨモギは血圧を下げる効果があるとのこと、誠かは解らない。

この組み合わせは、どこの家庭でも行われている。

古老に聞くと、ヨモギは下げ薬(サギグスイ)と呼んでいる。

昔の人はよくぞ血圧計もなかっただろうに、どうやってそのような組み合わせを考えたのだろうか。

南の島には、色々な不思議が一杯だ。

この島の人たちは昔、牛肉は食する風習はなかったが最近では牛肉を食べる機会が多い。

やはり、その時も牛汁にはヨモギを入れて食べる。

島の人たちは知らないところで、健康管理ができているようだ。

ちなみに、ヨモギは野生でどこにでも生えている。

一方、おしんこを多く食べ塩分摂取の多い地域では、血圧高で寿命に影響があるとのこと。

庭先にヨモギを植え、利用するといいかも。沖縄の長寿はヨモギのせいかな。

人間をはじめほとんどの動物は、生きていくのに水を必要とする。

しかし、ヤギは川がなくても水の無い所でも何ら問題なく生きられる。

八丈島の手前に、周りは崖で人が住めない山だらけの小さな無人島があるが、崖でかなりのヤギが野生化して育っている。

勿論無人島で、川もなく水溜まりや雨水を溜める容器も無く大雨が降ってもサンゴ礁の島は即地下水になりヤギの飲み水はない。

非常に過酷な環境で、川などの飲み水がなくても草を食べるだけで問題なし。

ヤギの生き延びる力は半端じゃない。

この黒島では昔、妊娠すると栄養不足で母乳に不安があり、出産日を計算しまず妊娠しているヤギをどう確保するかが、大きな問題だ。

そんな生命力の強いヤギだからこそ、島の人には欠かせない存在である。

牛乳も考えられるが、牛は人間の数倍水を飲む。川のない水を貯めるプラスチック容器のない時代、一滴の水でも重要であった。


162 トゥジィ

 

この島の方言を見ていると、突然変異みたいな訳の分からない方言が時々出てくる。

豊年祭にハーリー競争が昔からある。その船のかじ取り役は重要である。

かじ取り役のことを島の方言では、トゥージィという。

なぜかじ取りが、トゥージィなのか?

日本の言葉でいうと、統括、統治に当たり、つながるのではないかと思う。

統治が、トゥージィになったのではないだろうか。

その昔、この島には、あまりものを書くという習慣がなかったのに不思議である。

昔から続くこの島のハーリー競争は、かじ取りが絶対の権限を持っており、完全に統括している。

言うなれば統治者が、トゥージィになっているのだろう。

また女房、妻を、なんと言うかというと、トゥージィのハイフンをとった、「トゥジィ」と呼ぶ。

トゥジィ(妻)は、家庭を賄い、やりくりする、言うなれば、家庭の統治者だ。

よってトゥジィと言われるのは、当たり前である。

友人のことを、島の方言では、ドゥシ、と言う。

友達という、複数、総称する場合は、普通、島の方言では、ERがつくが、この友人には、それが付かない。

友達はドゥシンキ、という。

この友達という、ドゥシンキは、他の方言と共通しない、変わり種だ。

この言葉がどこから来たのかわからないが、もしかすると、アフリカの山奥で、友達のことをドゥシンキ、というような所があるかもしれない。

渡り鳥が、その言葉をくわえ、島へポコリと落としていったかも?

種子が島で根付き、しっかり島の言葉になったような気がする。

友達の、友達はみな友達だ。

ドゥシンキの、ドゥシンキは、みなドゥシンキだ。


2026年7月24日金曜日

161 人生のスタート

 

私(光男)が、なぜテレビ業界を目指したのか。

昭和30年代、テレビは緒についたばかりだ。

遥か南端の小島、映画館は無いが子供心に映画を見たかった。

石垣島まで渡れば映画は見られたが、家が貧しく船賃もなくできなかった。

南端小島、当時飛行機は無く船輸送、漫画本等は半年以上遅れて着く。

その漫画本の片隅に、5コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。

それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。

そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て着の身着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。

ブログをやっている人なら、かつての通信会社ウィルコム(現ソフトバンクの前身)と言う会社、知っているだろう。

当時のホームページに誇らしく、人口カバー率99%と出ているが、光男の育った島はまだカバーされていなかった、日本最後の情報過疎地だ。

半年遅れで漫画本が流れ着くが、それが唯一の情報源だ。

昭和39年、第一回東京オリンピック開催。

翌年の40年、やっとの思いでテレビ業界へ入った。

もちろんテレビは白黒時代で、朝と夜の放送で、昼間はフィルムの昼メロドラマ放送。

就職までの道のり、本当に人生の辛酸をなめ尽くしたと言われる状況だった。

その後しがみ付き、魔法の箱解明、夢を全うした。

もちろん長男ではあるが、両親の死に目にも会えなかった。

そんな経験の中から、今の若者たちには是非、勇気を持って己の道を貫いて欲しい。

親が何を言おうと己を貫け。

親は、己の人生を既に歩んできている。これからは、自分の人生は自分で決断する、でいい。

この世にポコンと動き出した貴方の鼓動、100パーセント間違いなく、いずれは止まる。

何のため、今まで動いてきたのか?

今、何のために動いているのか?

これから先、どう動かせるか?

己の可能性に立ち向かおうではないか!

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり

若者よ 思い残すな 明日は華

  貴方には 誰にも盗られない 知恵がある

  貴方には 誰にも止められない 鼓動がある

これしかない!

己の人生ドラマ ロマンを持て!

そして

 命を張れ!

 命を張れ!


160 帰るな

 

沖縄の母親、子供が旅立つ時、辛いことがあったら、何かあったらいつでも、すぐ帰ってこいと言って旅立たせる。

それだと考え、私は沖縄の母親たちに子供を崖から突き放し、ニ度と帰ってくるな、どんなに落ちぶれても帰ってくるな、と言って旅立たせよ。

と説いているが、どんなに言い聞かせても、それは無理だった。

昨日も東京の大学にいる娘から電話があり、辛かったらいつでも帰ってきなさい、と母親は伝えたそうだ。

沖縄の女性は、あまりにも情が深すぎ、子供を崖から突き放せない。

結果的に親の面倒を見る、と格好をつけホームシックに負け、厳しい大人の世界へ踏み込めない。

それがいいことなのか、悪いことなのか、悩んでしまう。

20代、その人の人生を大きく左右する一番大事な時期である。

Y君のように地元へ帰ると、同窓生は地元企業でそれなりに活躍しだしている。

東京から帰った人間は、キャパシティが狭いからすぐ噂になる。

同窓生の下で、あるいは自分の後輩の下で、顎で使われる身となると頭へくる。

それで喧嘩をし、また上京する。

20代で、そのようなことをしていると、あっという間に30代だ。

好きな恋人がいたとしても、女は生活力をまず先に考える。

いつの間にか他の男と結婚してしまうという結果だ。

そうなると、彼女を恨みつらみ、場合によっては、彼女を奪った男にまで逆恨みをし心が荒れる。

30代になって、余程謙虚な気持ちで、一心不乱に、人生を立て直せばいいのだが、それもまた難しい。

経験した人でなければ分からないが、30代、あっという間に10年が過ぎてしまう。

人生で一番時間が短く感じられる30代だ。

所帯を持つこともなかなか難しい状況になり、40代に突入すると、人生を立て直すのはかなり困難である。

フリーターやニートと呼ばれる人たち、本気で20代をどう過ごすか考えて欲しい。

まずは親や周りが親身になって、立て直しを支援する必要があるだろう。

生活力の基盤のない男、どんなに男前が良くても女は逃げていくぞ。


159 帰郷病

 

東京の放送局キー局に沖縄出身者は私一人しかいなかった。

どこで聞きつけたのか、沖縄の若者がキー局で番組制作したいけど、どうしたら良いかという相談、いわゆる就職相談が結構あった。

私の知人に、

人格良好な素晴らしい男がいたので、技術プロダクションを作らせ、毎月一定量の仕事を出し、バックアップ体制をとっていた会社が数社あったので、一人の沖縄出身者、Y君を紹介した。

社長は貴方の紹介ならば、と即座に採用が決まった。

Y君の仕事ぶりの評判もよく、そろそろレギュラー番組を持たせてもいいかなと、思っていた矢先、社長からの電話。

Y君が仕事を辞め、親の面倒を見るため田舎へ帰る、というので説得して欲しいとのことだ。

親のこともあるかも知れないが、自分の年を考え仕事を優先することを薦める。

なかなか自分のやりたい仕事、簡単に手に入らないぞ、と説得をし、何とか思いとどまらせることができた。

Y君の評判も良かったので、そろそろチーフとして番組を仕切らせ、テロップで画面に名前が出れば責任感も出て、やる気も出すだろうと思っていた矢先、また社長から電話だ。

また帰郷病が出たという。

今度は何度説得しても田舎へ帰るの一点張りだ。

仕事はどうするのと聞くと、タクシーでも何でもかまわないという。

何で仕事を紹介してしまったのか、と後悔。

とうとう沖縄へ帰ってしまった。

更に数年後、上京し社長に仕事をさせて欲しいと頼み込んだという。

呆れ果て、世の中甘く見るんじゃないぞ、と言いたくなったが、勝手にしろ、と言ってやった。

今どきの若者の中には、郷愁に抗えない特有の葛藤があるようで、世代の違いというのか私には理解できないことでした。


165 軽い男

  食事を済ませ8時過ぎ、庭のテーブルで、泡盛を飲んでいると、民宿の20代半ばのカップルが2組散策がてら、ぶらりと入って来た。 東京と島を年間半々生活してる私を見て、うらやましい。自分の両親にもそのような生活をしてもらいたいと、話していた。 親父は定年になるの楽しみにしていたが、...