2026年7月22日水曜日

156 強制移住

 

南端に浮かぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。

ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。

真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。

その記述が本当ならば、黒島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。

それ以降も石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。

1500年代から1600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は幸せで豊かに、文化を謳歌した人たちがいたと思われる。

島には特に豪族らしきものはない、また貨幣なるものも見当たらない。

人々は物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心にお互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。

島には墓はあるが、お寺は一軒もない。

法事は自宅で親族同士で行う。

御嶽は健康子孫繁栄、豊作祈願の太陽崇拝の場で、親族同士が門徒である。

島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。

岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに粟なら十分作れるとのことだ。

言われてみれば80年前、島には粟の原野、粟が好物の野生のウズラがたくさんいた。

ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて食したことを思い出す。

また御嶽は今でも十数箇所残っている。

直径2キロちょっとの島に、本土では考えられない十数箇所の御嶽の跡が残っている。

沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が降り立ったということで、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。

しかし400キロ離れたこの島には、そのような信仰は無関係のようだ。

理解出来ないのは、島の十数箇所の御嶽は、それぞれ方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されない疑問、不思議である。

御嶽は本土でいうお寺みたいな存在だが2キロ前後の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。

この島を調べていくと、不思議なことだらけだ。


2026年7月19日日曜日

155 北海道のおばちゃん

 

島の民宿では夕食後、泡盛がただで振る舞われる。

中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。

ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。

北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。

きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。

こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。

出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。

話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入り娘のばーさんタイプ。

こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。

島の人たちはテーゲーグヮーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。

島人と争いを起こし、後々嫌な思いをするので、この人の相談にだけは乗らないようにしようと心に決めた。

その内、ひょんな質問をしてきた。

この島に、クモはいるのですか?

はぁ~と思わず聞き返す。

クモはいっぱいいるし、毒は持ってないが森へ行くと大きなやつもいるよ、と言うと、ギヤアーと血相変えた。

クモは嫌いどころか糸が体に触れただけで蕁麻疹ができるという。

民宿のベランダでも糸を張っているし、島を散策すると間違いなく糸に触れるよ、と言うと顔面蒼白。

わざと嫌がることを言って脅かしているのではないかと、毛嫌いするというか嫌悪感あらわに睨み付けている。

芯からクモが嫌いで、アレルギーのようだ。

隣にいるのも嫌になっただろうか、席を移していった。

その話を聞いていた他の観光客が、そのおばちゃんを説得。

日本全国クモのいない所はない。

あなたは、まかり間違っても田舎暮らしなど、考えないほうがいいと言われ、渋々納得したようだ。

このおばちゃん、島で連泊するつもりだったらしいが、翌日、早々に引き払ったという。

次は西表島観光だと言っていた。

あの島は、毒はないが、大きなクモがもっといっぱいいる。

大きなクモが首に貼り付き、泡を吹き吹き失神する姿、目に浮かぶわ。

その人は北海道だと言う。

おーい北海道~  

クモはいないか。


154 風葬

 

亀甲墓は子宮の形だと言われ、命は子宮で育まれ、全うしたら、またそこへ戻ると言われ、入り口は80センチほどの四角い入り口になっている。

もちろん蓋は分厚い四角の石で覆われ、空気が外へ漏れないようになっている。

風葬と呼ばれる方式で、遺体は決して焼かない。また、西洋のように埋めるようなこともしない。

棺のまま墓へ入れ、肉体が風化したころ、きれいに洗骨し墓の中で保存。ピラミッドや日本の前方後円墳同様、焼却はしません。

遺体を棺のまま墓の中へ入れる為、異臭が漏れないよう、入り口が密閉できるようになっているのである。

もちろん100日での洗骨は強烈な異臭など、赤の他人ではなかなかできないものである。

写真は多良間家の墓で祖父母の代まで焼却しなかったので遺骨が入ったまま、DNA鑑定すれば数百年前まで調べられるかな。

光男も両親が亡くなった時、初めて小さな入り口から這いつくばって中へ入ったが、暗闇の周りは、こうべと骨だらけ、足の踏み場もない。

しかし先祖であり、血の繋がったこうべだと思えば、なんとか佇んでいられた。

赤の他人だと、どうしても恐怖心で、その空間には、いられないだろう。

もしかして入り口が、何らかのかたちで塞がってしまえば、もう2度とそこからは出られない。

声を出しても絶対に届かない。

そういう意味で、全く他人はそこへ入れないということだ。

墓の中のスペースは、先祖代々のお骨が保存できるスペース、そして棺を入れ、入れた人が入り口から出るスペースも必要だ。

よって、かなりの空間が必要で、先祖代々の血族が一つ屋根の下で祀られるのである。

大きな亀甲墓を作ることは大きなエネルギーが必要で、罪を犯せば墓に入れてもらえない。

ということは最大の屈辱であり、悪事に対する抑止力は墓だったという。

ちなみに墓の入り口を開けるのは、遺体を入れる時以外は決して開けてはいけない。

どうしても分骨したり、墓の中のお骨を取り出す場合は、鶏などの生贄を捧げて代わりの儀式を行い、開ける必要がある。

日本に風葬をする人種がいたということである。

光男の両親が他界した際、火葬場で焼却することに猛烈な反対があった。

黒島の言い伝えでは、泥棒や殺人など極悪人は焼き捨てる。親を焼くなんてとんでもないことだ、親不孝者になるのかと言われた。

火葬が焼き捨てることと解釈されたのである。

黒島には火葬場はないが石垣島にはあり、行政や保健所も伝染病などの件も考慮し、火葬を勧めていると

長老の皆さんに了解してもらった。

以後は他の島も含め遺体は石垣島へ運び火葬が行われている。島では50年前まで火葬なし、洗骨、風葬が行われていたのである。


153 墓の入り口

 


入り口は棺桶の入る大きさ。


152 画像



亀甲墓。

2026年7月18日土曜日

151 転がすのですか。 

 

飛鳥古墳見学ツアーに参加した時、近くに巨大な石室があった。

参加者に、高校の先生がカメラを持って参加しており、機械や重機のなかった昔のこと。

どうやってこの巨大な石を運んで来たのか、ガイドに聞いても分からず、説明書を隅から隅まで読み、頭をかしげていた。

3トンの石等、昔の人は簡単にかついで移動したはずだと言うと、その先生は怪訝な顔をしてきた。

転がすのですか、どうやって運ぶのですか、としきりに聞く。

写真のように、1トンの鉄の塊があったとする。

それにA点でロープの端をしっかり結わえ付ける。ぐるぐるに6回ほど巻く。最後はB点でまたしっかり結わえ付ける。

そして担ぎ棒を6本入れ、左右ペアで担ぐ、この図だと12名で担ぐ事になる。

この方式は、12名に均等に荷重がかかる。1人90キロ弱だが昔の人ならそれくらいは担げるであろう。

59センチほど浮かせて、声をかけ、右足、左足、と全員同時に、移動すれば、1トンにつき12人で十分運べる。

勿論ペアを組むのは、背丈の近い人、低い人同士、場合によっては、ロープをもう1回巻きつける。

担ぎ棒をもう1本増やせば、女性が加わったとしても何ら問題はない。

石室の3トンの石を縦、横に2本ずつ支柱を入れ巨大な石を結わえ付ける。

上下左右4箇所角に、この原理と同じようにロープを巻きつけ、2カ所で固定する。

一角に10人ずつ配置すれば4角で40名になり、一人当たり75キロの重量だ。

昔の人ならこのくらいの重量、一日数キロの距離でも行軍出来るであろう。

石室から数十キロ圏内に、この石と同じような石の産地があるはずだ。

石室の周りは盛り土したように、小高くなっている。

多分その下には、足場に使った、石垣があるはずだというと、その先生はえらく感心していた。

早い話がピラミッドの石は5メートルの丸木に6回巻き固定し、担ぎ棒を6本入れ丸木に石をもっこ(網袋)で固定。

12人で担ぐと1トンの石を長距離、いとも簡単に移動できる。ロープはあだんの木の気根で出来る。

どこでそのような事を知ったのですかと聞かれたので、黒島には大きな亀甲墓がある。

屋根の部分には、大きな石が載せてあり、下には一坪ほどの空間が出来ている。

屋根の石を運ぶ時、この方法が用いられた。

時代劇に出てくるもっこ、網の真ん中に重い石を載せる。

周りの大勢で持ち上げる、背の高い人と低い人では網目が違いほぼ均等に重力がかかるということだ。

これは亡くなった曾祖父から聞いた話で、エジプトのピラミッドも同じ縄担ぎ方式で作られたと聞いている。

すると、その先生は是非亀甲墓を見せてくれという。

外から見ても、漆喰で固められており、ほとんど分からない。しかし中に入ることは絶対に許されない。

人が亡くなった時でも、決して女性は入れない。

直系の一番近い人から入ることになっており、中は二人が限度で、残念ながら見ることはできないと言ってやった。

先生は教科書の何処にも載っていない。

大変参考になりました、とお礼を言って別れた。

本土のお祭りの御神輿は、背丈の高い人に負担がかかる。

縄担ぎ方式を導入すれば、もっと大きな御神輿が出来たはずなのに。

150 画

 


縄担ぎ。


156 強制移住

  南端に浮かぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。 ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。 真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させ...