2026年5月19日火曜日

1088 NASA

 当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VR-3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。

どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。

設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。

当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVR-3000が威力を発揮していたのである。

オペレーター一人付で、日建て15万円でも、飛ぶように注文があった。

ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。

当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。

チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。

事故日報をピックアップし、気になる事があったので部下にその日の天候を調べさせた。

やはり雨が降っており、それが原因だが、室内での使用でなぜ?

その事をソニーへ連絡、しばらくして原因解明OKの連絡。

湿気でテープのツルツル裏面の貼り付き現象が出ているとの事。

湿度による微妙な事でエラーが出ていたのだ。

さすがソニーで、世界中の支店へ打電し調べ上げ、湿度の一番高いのはボルネオとの事。

それ以上の湿度でも稼動するよう設計変更。Hー500は全世界へ輸出され制覇していったのである。

VR-3000と並べて使うと、桁違いの性能。これでアメリカ製VTRを抹消出来た、と。

VTRは平坦な所で、そっと置いて使う精密機械、しかしひかるはトラックの荷台に紐で結え付け移動使用、どんな地震でも稼動する事を求めたのである。ひかるが立ち上がり、オメガ方式へ切り替える事が出来た。

出来なかったらと考えると、オートスレーディング、カセット化は難しく、途中から方式変更、と言う事態になれば、莫大な費用が掛り、番組内容にも影響したであろう。

そして、一番大事な事は、日本のVTRが全世界で認められた事だ。

南端の小さな島で、ランプの灯りで育った少年の目、どこかで垣間見たカセット、いずれ放送現場でも使われるだろう、と10年先を夢に描いたのである。

1087 オメガ方式発進

この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。

以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。

それどころか、ソニーは、海外でもその1インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。

編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。

今も元気で頑張っているようである。

また、K君は昼メロのヒロインと結婚。

ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。

しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きくなって行ったのである。

今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉いさんから呼び出しを食った。

「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!

親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。

ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。

夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。

業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。

「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。

ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。


1086 ノーベル賞

 日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。

当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチウムイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。

デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。

更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。

電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。

線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。

ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。

一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。

ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時4チエーン使っていた。

30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。

これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。

編集時に、再生に4台、収録に1台、計5台を用意しVTR映像を列車に見立て、5台共真横から串刺しに固定、回転をロックする。

もちろん枕木、いわゆるタイムコードも横一列にロックさせる。

ガチンコ映像をそろえ、串刺しにした映像列車を同時にスタートさせ、記録されている4台の映像を5台目の編集テープに平行移動していくのだ。

再度ガチンコの映像に戻しスタートさせ、編集テープに黒味があれば埋めていけばいい。

モニターは大きめのモニターを4分割し再生映像4台の画を5台目の編集VTRへ嵌め込んで行く。

上に編集用のモニターを乗っけておけば、編集が今迄の編集では考えられない、とんでもないスピードで簡単に出来る。

勿論、今では線路を5本6本なんて言わずに30本50本なんて発想も出来る。

ひかるは世界初のVTR編集センターを稼働させたがその原点は上記の電車と枕木、串刺しの発想が40年前に有ったのだ。

日本の映像王国には編集面で革新的な知恵が使われました。

映像クリエイターやユーチューバー等の分野を目指す人は参考にして下さい。

技術的な事はソニーとリンクし、VTRと編集システムを同時に発売すると飛ぶように売れ、必然的に日本の放送VTR方式、ひいては世界のVTRが日本のオメガ方式VTRで独占された。

ひかるは当時、150人の部下を抱え、ドラマや音楽番組、スポーツやバラエティー、海外ロケから水中撮影、カメラや音響、照明などのスタッフ手配、番組内容把握、目の回る忙しさだが、それと並行して、編集システムの開発だ。

連日連夜、仮眠状態である。

そして編集システムが完成した頃、東宝から連絡があり、昼のメロドラマを日本製一インチVTRで制作し、放送しようとの話が持ち込まれた。

東宝、フジテレビ、ひかるによるプロジェクトが始動したのである。

もちろん、バックには、ソニーとひかるの連係プレーがしっかり出来ている。

世界初、一インチ編集システム、一インチVTR帯ドラマの放送が実現したのである。

その間、ひかるの行動は、死闘の二乗と言えるだろう。

昭和54年、1月から放送された昼メロVTR帯ドラマ 津軽海峡冬景色は世界初で 1インチ収録編集放送、業界に衝撃を与えた。


2026年5月17日日曜日

1085 渡米

 もしも貴方が歌手だったとしましょう。

音楽のスタート10秒前に爆竹の音を入れて録音しておきます。

ブルーバックの前でそのオーディオで演技をします。激しい動きであったりダンスであったり。

それをカメラ二台で録画し、音楽が終わるとまた前の爆竹のところにスタートを合わせ再度動作を録画します。

カメラのアングルやズームを変化させ十回ほど同じ事を繰り返し録画。

結果ブルーバック合成で20種類のビデオが出来上がります。

それを21のレールに見立て、上記の通り枕木をロック、列車を横から串刺しにし、21種類のフレーム画を平行移動させて編集。

完成ビデオを5,6種類作ります。これで貴方は素晴らしいユーチューバースターになれるでしょう。

多重録画と多重編集、簡単に出来ます。参考にしてみてください。

当時、ひかるは部下を毎年アメリカ偵察へ出張させ、アメリカの映像情報は逐一把握していた。

そして、開発の途に付いたばかりのオメガ方式をソニーへ乗り込み、数年の間にオメガ方式に決定。

命を懸けたその間の裏話などは、数冊の本になるくらいであるが、ここでは割愛する。

方式が確定すると、映画界、VTR産業、CM産業、放送業界は一気になだれ込んで来たのである。

東洋現像所は現IMAGIKAを設立、ボウリング場を借り切り電子編集を主にフイルムから変換して行った。

納入されたオメガ方式機種はBVH-1100だが、ひかるはその前のBVH-1000で電子編集を試みていた。

しかしひかるにはもう一つテーマがあった。

ロケ技術の遅れでクイズやワイドショーなどスタジオ中心の番組内容に、何とか外の映像を茶の間に届けたい、という夢だ。

これもタケシの元気が出るTVやねるとん紅鯨団などで実績を作り一段落した頃、ひかるはやおらアメリカ偵察へ出かけた。

ロスの知人と数十年ぶりに会う事にしたが、アメリカ人を同伴して来た。

一段落すると、その米人がひかるの隣へ来。

貴方を日本へ帰す訳にはいかない、としゃべり出した。

何が何んだか訳が分からない。

よく聞くと、これからメディアを買収する。

だから貴方にはその放送局をやって貰いたい、と言い出したのである。

日本では無名のひかる、あのNASA開発の超精密機械をあっと言う間にこの世から抹殺。

世界初の電子編集システムを稼働させた男としてマークされていたようだ。

このアメリカ拉致事件以後、ひかるの渡米は抹消。

1085 デジタル編集

このデジタル編集方式はソニーのオメガ方式とセットで発売されあっという間に世界制覇、

VTR産業で世界を席巻していたアメリカアンペックス社は完敗したのである。

NASAとアンペックス社が開発したVTRは2インチ方式で1インチ2.5センチでテープ幅は5センチ以上。

鉄粉が塗布されており60分テープはかなりの重さ、高速巻き戻しし1秒間に30枚の1枚にぴたりと止める事は当時の技術では難しい。

画像記録が5センチテープに縦に1枚ずつ記録、編集は縦に鉄粉の並び具合を顕微鏡で見、剃刀で切り縦にセロハンテープ状のテープを繋ぐ。左右のリールを高速回転から急ブレーキストップすると破断。

日本方式は1インチ幅、45度斜めに記録。当然記録幅も2.5センチを大幅にクリアー。映像と音声、更にワンフレー単位でタイムコードなる所番地を記録。編集は剃刀を使わずタイムコードで制御。高速巻き戻し問題無し。

ここで電子編集と言う言葉が出てくるがとんでもないひかるアイディアが出てくる。

ひかるは直径3キロの小さな島で育った上京当時西鹿児島から東京まで電車に乗った。勿論新幹線はなく寝台車でもない、

東京迄コトンコトンと走る。寝ても覚めてもまだまだ続く。とうとう不安が覆う、このままあの世行ではないか・・・

とんでもない電車に乗ってしまった、急いで飛び降りなければ・・・と。

しかし周りは平気な顔をしているので耐えることにした。

そこで心底感じたのは日本人の技術だ。西鹿児島から青森までの線路、コトンコトンと音のする枕木。

日本人の技術のすばらしさ脳裏に叩き込まれたのである。これが電子編集に生かされたのである。

西鹿児島から青森まで線路が三本有るとしよう。映像信号は一秒間に30枚、それが枕木に相当。左右の列車は別々の信号。

真ん中の列車はニューテープ。三台の列車は串刺しにし固定。走りながら左右の映像を真ん中の電車に隙間なく入れればいい。

当然大事になるのが三本のテープは前もって同じタイムコードを入れた後で映像信号処理。

映像信号記録前にすべてのテープに枕木のタイムコードを先に入れる。

編集時横に全て同期、列車も五台又は十台でも串刺しにし編集完成。世界初の編集センターが出来上がったのである。

このサイトは10年も前に立ち上げられましたが、当時から個人放送局という名称を使ってます。

現在ユーチューバーやビデオクリエイターなどという言葉をよく耳にします。

10年前このサイトを見ていち早く個人放送をやっていれば今頃はかなりヒットしていたのではないだろうか。

テレビの世界では40年以上も前から、ブルーバックにし、ブルーを抜き取りビデオ信号を合成するクロマキーという技術が使われて来ました。


1084 枕木

 新しいテープ50本なり100本を録画モードで先にタイムコードを手作業で記録する。とてつもないアナログ作業である。

そのテープを現場へ持ち込み記録されたタイムコードと同期をさせながら録画して行く。

編集時も編集用記録テープにも先にタイムコードが入っているので、再生VTR 4台なら4台と記録VTR計5台を完全にタイムコードをロック、同期させればよい。

そのような事を考え実行した人は誰もいない。ひかるは平気で実行、世界初の電子編集が実現したのである。

更にアイディアが重なる。

手作業のタイムコード入力作業、時間ロスを無くす方法を考えだした。

VTRストップ時、ストップボタンを押すと画像はその時点で無くなり黒味、しかしタイムコードをそのまま30フレーム記録し、そこで止める。

止めたところから30フレーム戻し、最後の画像のところでスタンバイを掛けておく。

次の録画時はタイムコードは既に記録されており、前の画像が無くなった所から画像を嵌め込み、30フレームの間に完全にロックさせればよい。

この作業、操作する人が全く気が付かない。機械的にそう成っているのでおそらく皆さんも全く知らなかった事でしょう。

この技術がホームビデオにも採用されアメリカが日本の真似をしようとしても出来なかったのである。

編集時には更にとんでもない多重編集アイディアが出た。

映像信号は1秒間に30枚、 10分間で1万8,000枚、この中から1枚単位で取り出しコピーする、これが電子編集である。

アメリカ方式だと定規を当てカミソリでカットして行く。

デジタル先進国のアメリカですら出来ない電子編集をどうやって日本で出来たのだろうか。

基本は前記した通りデジタルとアナログのチャンプル方式、更に枕木と列車の関係アイディヤが出て来る。

多重編集と呼んでいるが、実際に「ねるとん紅鯨団」でこの技術が使われた。

ロケの時にカメラとVTR4台を対にしてスタート後ガチンコを入れそのままテープが無くなる迄録画。

編集時に4台、ガチンコの所で同時スタートをさせ、5台目の編集用VTRに4台の映像を平行移動させれば編集が出来上がる。

これが多重編集という事になるが、問題なのが同期の問題だ。

電車のレールを思い出してください。再生用VTR 4台と編集用VTR 1台、合計5台の線路、5線路を想定。

枕木を横に1秒間に30個単位で横に連結同期させる。

レール上の電車を5台とも横から串刺しにする。

通常再生状態で再生4台から編集VTRに列車上で画像を平行移動して行く。

要はその状態で5台目の編集テープに隙間が無く移動できれば編集終了。

この電車、いわゆるVTRテープと枕木を同期させ、更に電車を横から串刺しにする、この状態で画像を平行移動させれば大成功です。

世界初の電子編集、デジタル編集はこの発想で完成したのです。

35年前日本ではデジタルという言葉すら馴染まない時代でした。

アメリカから見れば、デジタルが何かも解らない日本に超ハイテク電子編集が出来るはずがない、が常識だったでしょう。

手作業のアナログで何ん百万ものデジタル信号を綺麗に寸分の狂いない台座を作りデジタル作業を行う、更に枕木が登場、日本国内でも有り得ない事が起きたのです。


1083 カミソリ編集

 当時TV局で給料も良く一級技術者ともてはやされたのは剃刀の使い方で決まった。

美容師、床屋マン同様何種類ものカミソリを研ぎ顕微鏡で確認、磁気鉄粉の合間を見事に削除し細かくセロテープ状のもので張り合わせる。

下手な奴がやると高速で巻き戻しストップすると瞬時に破断NG、放送事故になる。

特に野球やスポーツ中継番組などベテランが必要だ。

ひかるも挑戦したが子供のころから畑仕事で指はゴツゴツ磁気面を顕微鏡で捌くのは無理だった。

NASAとアンペックス開発のVTR記録は2インチ幅が使われていた。幅5センチ以上のテープ。ワンフレーム事縦に一本線記録だ。

上記の通り剃刀が必要だ。

日本方式は1インチテープで密度を上げるため縦1本ワンフレームではなく、記録を斜めに記録しアメリカ方式に挑戦。

当然カミソリ編集は不可能。

さて電子編集誰もやった事がない。コンピュータもラックに基盤を嵌め、自作するしかなくバグとの闘い。

記録方式もフロッピーディスクも無い時代、紙テープにパンチ穴でのデータ記録方式。

ひかるはとんでもない知恵を出した。

それはデジタルとアナログをごちゃまぜにするというデジアナチャンプル方式で、更に多重編集を路線と枕木同期方式を実践するのである。

VTRには映像トラックと音声トラック更にタイムコードトラックを設け一秒間に30枚、ワンフレーム単位でタイムコード、所番地を記録していく。

その所番地でストップスタート等の制御を行い、更にワンフレーム単位で映像を抜いたり嵌め込んだりする事である。

当時の日本のデジタル技術では一秒間に30枚単位のタイムコード記録、呼び出しが無理であった。

ひかるは何をやったかというと、録画時に新テープに先にタイムコードのパルスを手作業で全編記録してしまう方法である。

収録時には既に最後までタイムコードが手作業で記録済みのテープに画像一枚一枚を嵌め込んで記録、という事である。

ホームビデオで子供の運動会を映像記録すると、ストップスタートを繰り返す。

再生すると必ずストップスタートした所で画面がビローンと一枚流れてしまう(昔の話)。

前と後の画像が同期していない為、当然で解決不可能だ。

ところがテープに最初から最後まで同期信号を先に記録しておき、画像を嵌め込んでいく編集スタイルなら同期が取れて流れる事は無い。

その原理が電子編集という事になる。タイムコードをアナログで記録、このアイディアで世界初のデジタル編集完成。

1088 NASA

 当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VR-3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。 どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。 設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で...