2026年7月10日金曜日

129 テリー伊藤氏を生かす。

 問題は完璧にテリーに反発しているスタッフだ。

帰りに焼鳥屋へ立ち寄り、この番組は思い切った強化策をとる、と切り出すとM君は、怪訝な顔をしていた。

カメラ、音声、VTR課の課長がすべてスクラムを組みスタッフを出さないことになっている。

光男が部長命令を出したとしても社内事情は無理だと分かりきっている。

業界にはボツボツ、フリーでやっている人がいるはずだ。

彼らを動員しようと言うと、やったーと膝を叩いて納得。

さすが、と握手をしてきた。

ゴールデン番組なので日当は割り増し払いの触れ込みに、一気にスタッフ問題は解決した。

テリー伊藤氏はまだ初心者、ビートたけしとの間を取り持ち充分なるフォロー体制を取るように、とMカメラマンに指示。

軌道に乗っていったのです。

当時、雨傘番組だと手を抜き、二流カメラマンを当てるのが普通だが、キー局のゴールデンカメラマンを裏番組、当面の敵局に惜しげもなく当てる。

光男がいかにロケの映像を茶の間に届ける事を重視していたか分かるだろう。

またこの番組では各メーカーの試作機を次から次と取り寄せテスト。

ノウハウは後のオールロケ「ねるとん」番組へ繋いでいったのである。。

テリー伊藤氏は、光男がロケの統括としてバックに控えていたから、社会人初の大きな番組のディレクターが務め上げられたのだ。

ビートたけしもこのMカメラマンがいたから軌道に乗ったと言っても過言ではないだろう。

民放に勤める人なら誰もがあの巨額の予算とキャスティングで展開する大河ドラマを凌ぐ番組を作りたい、と思うがレギュラー番組では実現していない。

そう、光男とMカメラマンのコンビはいとも簡単にそれを実現したのである。

当時の日テレ、フジテレビ、両局の視聴率を合算するとレギュラー番組で常に大河ドラマを上回っていたのだ。

光男があの東大卒敏腕ディレクターと一歩も引かない覚悟で臨んだ裏には、この読みもあったことを書いておこう。

ビートたけしのスタジオ部分は日テレ局社員制作、完璧とは言えないが、ロケに頼る点も大であった、おまけの解釈。

日本テレビさん、ごめんなさい。


128 立ち往生

 テリー伊藤氏の若い頃を書いてみよう。

彼は学生運動の火炎瓶で斜視になった、と他のブログで書いてあったので書くが、卒業直後「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケ担当ディレクターだった。

もちろん番組作りは初めてで、ロケの技術を受注したのが光男。

スタート当初テリー伊藤氏は、あまりにも番組作りを知らなすぎた。

番組にならない、とスタッフが総スカン立ち往生してしまったのである。

Mカメラマンにはゴールデン番組なので、決して手を抜かないよう指示はしていたが、とうとう彼ですら限界を超えた。

残るは光男がロケ総責任者として一喝すべし、とのことになり会うことになった。 

会ってびっくり、彼は童顔でどう見ても学生アルバイトではないのか、雨傘番組(あまがさばんぐみ)とはいえ、と思わせる状況だった。

学生運動での火炎瓶事件後なので、斜視がひどかった。

更に吃音(きつおん)もひどく、光男の見た感じでは障害者に見えたのである。

小児麻痺という障害者を妹に持つ光男にとって、障害者に見えるテリー伊藤氏は切り捨てるわけにはいかなかったのである。

静かに耳を澄ませてテリー伊藤氏の話を聞くと、言っていることに理はある。

技術がついて来ない旨を言っているが、一番光男がロケ機材や装備、電源など開発を急ぐべく各メーカーを駆けずり回っていた時期。

機材開発は各メーカーが協力体制をとっており先は見えている。

この男を潰す訳にはいかない、フォローしようと腹に決めた。

光男は、一喝どころか何一つしゃべらずに帰った。


127 さすが東大

 M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。

「実は私もM君の才能を高く評価しています」と光男は真面目に話し出した。

彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ、自信を付けさせたい。

民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。

そして、その才能、ノウハウは今後、必ずフジテレビのために使います。と淡々としゃべったのである。

H氏はしばらく天を仰ぎ沈黙の後、いきなり立ち上がると、握手を求め、この話はなかった事にしようと言ったのである。

「さすが東大出だな」と光男は感じいった。

論争を続ければ、光男という男は業界及び世界までも視野に入れている。

一局一番組だけにこだわる、己がスケールの狭い男に映る。

また先程からの態度を見れば、この男はクビが飛ぼうが決して引かないだろう、と咄嗟に判断し握手を求めたのだろう。

光男は名字の多良間で即沖縄出身である事は分かり、普段は沖縄と呼ばれ、かくして沖縄東大紛争は決着した。

周りからはどうやって説得したのか、興味半分に聞かれたがひかるは何もしゃべらなかった。

光男はわざわざ放送業界や世界における日本のメディアの位置付けなど用意した訳ではない。

子供の頃より手に取るような天の川、流れ星を庭に育ち、入社当時は魔法の箱解明に専念。

10年もすると、何時の間にか業界や世界を視野に入れた思考をするようになっていた。

今の若者たちには光年単位で息づく天の川を眺め、どうせ気がつけば短い一生、スケールの大きな人生を歩んで欲しいと願うゆえんである。

H氏はさすが東大出で、後に歌合戦はたけしに視聴率を食われ、あえなく終焉する。

しかしたけしはさんまと組んでタケちゃんマンでフジテレビゴールデンタイムに貢献する。

そしてひかるに新企画、ねるとん紅鯨団が持ち込まれ、即M君を起用、約束通りその才能を存分にフジテレビに生かしたのである。

ねるとん紅鯨団は二つの大きな効果を局にもたらした番組である。

テレビ局は時間を売る商売だ。

当時、ねるとん紅鯨団放送の時間帯は、なかなか視聴率がとれない、売り物にならない死に時間帯で、それを何とかしたいと模索の末の企画。

そのヒットにより、他の曜日の同時間帯にも火がつき大きな利益をもたらしたのである。

また前にも記したが、カメラとVTRを4台パラ回しで多重記録することにより、オールロケでど素人を主役に、いとも簡単に番組が出来ることを証明。

以後ロケ番組が軌道に乗り番組革命ができたのである。


126 雨傘番組

 ビートたけしは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたが、その後影が薄くなっていた。

浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。

ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてたけしの名前を番組の冠に付けた、

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」なる番組の企画が持ち込まれた。

この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターで放送時間の穴埋め用番組。

業界では「雨傘番組」と呼んでいた。

名の通った役者なら断りそうなものだが、たけしは縋るしかなかったのだろうか。

当時フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」が好評。

光男はフジテレビ日曜夜8時、欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」チーフカメラマンM君をゴールデンタイム裏番組

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケチーフカメラマンに起用することにしたのです。

歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、元気が出るテレビは日曜収録無しでしたが、野球が終わると11月から雨傘がとれ翌年3月までゴールデン番組になります。

結果、たけしの海外ロケ企画が持ち上がり、家族対抗歌合戦収録の日曜日がもろにぶつかります。

たけしの海外ロケにMカメラマン起用を約束した光男は、両局のメンツがぶつかり、窮地に追い込まれることとなる。

フジテレビの日曜8時、ゴールデン番組のチーフカメラマンを、いわゆる完璧な裏番組に起用することにフジテレビHディレクターが異を突き付けてきたのである。

担当課長等に交渉させるが、らちがあかず、とうとう最後の砦として光男の出番となった。

H氏はフジテレビきっての東大卒敏腕ディレクター、学生運動では安田講堂の屋上で大きな旗を振りリーダー役、全国弁論大会を制覇してきたと噂される弁舌家。

当時の芸能界大御所、古関裕而や水の江瀧子など、こうしましょ、こうして下さい、など歯に衣着せぬ自信溢れるてきぱきぶり。

フジテレビでは当時、早稲田卒が圧倒的に多くいたが、この東大卒にだけは勝てない、といわれていた。

かたや光男は子供の頃から25歳までもの言わぬ人と言われ、社内でも窓際族を通し、やむなく社の中心に据えられたばかり。

勝負は既にあったも同然と言われたが、光男は日本テレビ側にM君の起用を通達済みで、引く訳には行かない。

H氏にアポをとり会いに行くと、歌合戦の編集中だが完璧に無視した態度。

待つこと2時間近く、光男はソファーで微動だにせず薄目で様子を見ていた。

この男、終電になっても明け方までテコでも動く気配がない、と観念したのか、Hディレクターは前に座ると一気にしゃべりだした。

「何度も言っているが、M君は私が手塩にかけノウハウをつぎ込んで、やっとチーフが張れる迄育て上げてきた。

事もあろうに当面の敵局、裏番組に起用するとは常識外だ、向こうが軌道に乗れば、こちらの視聴率が喰われるんだぞ」と。

子会社の身分で場合によっては君のクビだけではすまない、社長だって危ないぞ、と光男を逆なですることまで言われ、怒鳴り返したかったが、そこは忍々。

存分に喋らせた後、たどたどしいながら光男は喋りだした。

2026年7月9日木曜日

125 人生の証 我々が地上で生きら

れる時間は、大きな宇宙の営みから見た場合、まばたきの瞬間なのかも知れません。

たとえまばたきの一瞬でも地上に生を受け、鼓動が動き出した以上、この鼓動が動いている間、止まる前に自分自身が生きていたという証、足跡を残したい。

人々がひしめく大都会、巨大化した組織の中、これが自分の足跡だと言えるものは、なかなか見つけられません。

光男の場合、少年の頃見た夢に、人生のほとんどを費やし、追い求め続けた魔法の箱、テレビ少年物語、ブログそのもの自体が光男の細やかな人生の証ではないかと考えています。

たかがブログ、だけど宝だブログ。

たった一人でもいい、人生灯台の一コマになれば。

長年待ち望まれた沖縄最南端八重山地区への民放の開通、光男の両親が眠る墓にも電波が届きました。

光男の夢は実現したのである。

島を訪れると、わざわざ船でビデオテープを借りに行かなくても済むようになった、と若者たちは大喜び。

テレビを見ていると、おばあちゃんが不機嫌になり、血を流し争うテレビは嫌いだといきなり電源を切ってしまう。

演技で、本当にはやっていないと説明しても分かってもらえません。

NHKしか映らない時代はそうでもなかった。

東京へ帰ったら、そんなテレビは作るなと言われ、穏やかに生活して来た島のお年寄り達の心を乱してしまったのではないかと、考えさせられました。

また、北半球の日本から南十字星が見えるはずがない、と思われる事でしょうがこの地区では、5月の末から6月の初め頃、見事な十字星が見えます。

南の島、夕闇せまる浜風と水平線にひときわ輝くこの神秘的な星に出会う時、何とも言えない安らぎを感じます。

ただこの時期は梅雨時で、特に南の空は積乱雲が多く、この星に出会えれば、心身共に癒されます。

南の孤島、夜の砂浜で大の字になり空を眺めると迫る天の川、宇宙が手に取るようです。

今起きているようだが流れ星、もしかしてかなり前の事象では?

そして迫る壮大な宇宙、地球の鼓動を背にすると、今己は地球を背負っているんだ、と思いを馳せることでしょう。

いや地球は俺が背負って行くんだ、背負っていかなければ、とスケールの大きな人物になれるはずです。

皆さんもそうだが、中学生くらいのお子さんをお持ちの父なら、是非地球を背負う体験させるべきです。

東京の浜で大の字になってもいいが、宇宙を目前に感じられない、南島をお勧めします。

光男は周りからタイニン(大人)タイニンと呼ばれたが、子供の頃、地球を背負っていたこと知らなかったでしょう。

常に国内外、世界を視野にメディアはどうあるべきか、考えていたのである。


124 挑戦

光男の、もの言わぬ少年時代を知る人は「これほど変身できた人はいないだろう」何かあったのかと聞かれますが何もない。

ただ情熱のほとばしるまま、人生の波を味方とし知恵を使っただけだ、と答える。

抑圧された人間の悔しさが開き直る時、その悔しさの度合に応じ変身できるのです。

人生のチャンスという波が訪れた時、蓄えたエネルギーをバネとして使える生き方をして欲しい。

背伸びし切った生き方は、いつの日か息切れすることでしょう。

また光男の場合、物事に挑戦する時、一つの思考パターンがある。

作物を育てる時、出来の良い種を翌年植え、徐々に収穫を増やし満足するまでには数年必要とします。

このことから、光男も何か成す時は、畑を耕し種を蒔き水をやる。

3年目に花を咲かせ、4年、5年目に実績という収穫を得られるという例えで、3年から5年先を視野に入れた実行方式を取り入れてきました。

この思考パターンは、じっくり腰を据えて取り組めるため、ほとんど失敗することなく結果が得られます。

参考にしてみてはいかがでしょうか。

もし貴方が3年前と今現在を比較し、何の変化も感じられないとすると、いま何か手を打たなければ3年後も同じです。

と言うことは、前後で6年間、何の変化もない人生ということになります。

何の変化もない人生を求めるならともかく、自分は、20代、30代、40代はこういうことをやってきたと言える、人生のアルバムが必要ではないだろうか。

人生ドラマ80年、1日1日がワンカットの積み重ね。

スターは、あなた。

監督も、全てあなた一人の独壇場。

己の人生、楽しい最高のドラマです。

テレビのドラマ、己の人生ドラマと比べたら比較に値しない。

若者よ! 

即、己の人生ドラマ企画立案、取り掛かろう。

今日一日、あなたは納得できるワンシーン作れたかな?

光男の御告げ

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり。

若者よ 思い残すな 明日は華。

貴方には 誰にも盗られない 知恵がある。

貴方には 誰にも止められない 鼓動がある。

これしかない。

己の人生ドラマ ロマンを持て。

そして、 

 命を張れ!

 命を張れ!


2026年7月6日月曜日

122 傘をさすのは人間だけだ !

  筋肉が付き、ピコタンも徐々に目立たなくなり、勉強で他のいじめっ子を負かす事ができる、と悟った光男は、必ず一番になると猛勉強をするようになった。

周りの家では、石油を一升瓶で買うが、貧しく二合瓶でしか買えない。

小さなランプだが、父は光男に明け渡し、細かい仕事を明るい内に済ませ、暗闇でせっせと内職をする。

子供の時の境遇は大人になってから、大きな財産となる。

小中学を通し、どしゃ降りの雨に打たれたことは、いつの間にか苦痛ではなく、光男の中で修行僧が滝に打たれる如く、快感になって行ったのである。

ある日、営業で大きなイベント収録を受注、最終打ち合わせ確認時、途中よりどしゃ降りの雨となったが、例によって快感を感じ客先へ行った。

軒先で滴る雨を切り、客の前へ立つと相手がびっくり。

タクシーも有るだろうに、傘も買えるだろうに、と

ソファーに座ると濡れるので、立ったまま最終確認をし、またどしゃ降りの雨の中を平然と帰る。

イベントは晴天に恵まれ大成功。

その会社の社長が「光男と言う男、雨が降ろうが槍が降ろうが、しっかり仕事をやり遂げる、一番信用出来る」と尾ひれを付けて回ったのである。

もっと大きな財産は、周りが全員風邪を引いていても、部屋中菌が充満していても、

絶対と言っていいくらい、この男の体はまともじゃないのではと疑うほど、風邪を引かない丈夫な体になったのだ。

そして言う「地上にいる動物の中で、雨が降ったからとて傘をさすのは人間だけだ、雨なんぞ負けるな」と。

母との約束で学校へ行きはしたが、やはり借りてきた猫の如く、もの言わぬ人、方言でムヌザとあだ名され卒業。

高校へ進むにもまた、島からは同学年で光男一人。

地元の石垣中学から、なだれ込んだ連中が、徒党を組んでいるように見え、ここでもまたもの言わぬ人とあだ名され卒業。

上京後就職するにも、今度は異境のパスポート沖縄人として見られ、そのことが自分自身にも大きくのしかかり、言葉のなまりが気にかかり多くをしゃべらなかった。

同期の人は30歳前に管理職として登用されていきますが、やはり置いてけぼり。

やっと30歳で管理職の末席につくようになった頃、先輩管理職がごっそり飛び出していったのです。

その後、社の状況は日に日に悪化、ほとんど泥沼に片足を突っ込んだ状態となりました。

取り巻く状況が悪い時、ほとんどの人は身を守る方へと向かいますが、光男の場合、全く逆で一気に攻める事を考えたのです。

長い間もの言わぬ環境で育ち、何かに挑戦してみたい、他人に負けるはずがない、という情熱のエネルギーが、爆発寸前まで蓄えられていたのです。

貧乏のどん底を這いずり嘗め回す、しこたま言葉を無くす程いじめ抜かれる、人生の一番大事な結婚では、生い立ちを罵られ塩を撒かれる。

人間、生まれた所で価値が決まるわけではない!! と怒鳴りたいが耐え抜いてエネルギーを貯めるしかなかった。

そのエネルギーは、人間が豹変したのではないかと思われる勢いで、トップを説得しまくり承諾を得ると即行動。

まず100人を動かすには、行動を共にするブレーンが10人いれば、流れは変えられるだろうとブレーン作りを開始しました。

守りに回った人を攻めに転じさせることは容易ではありませんでしたが、熱意をもって説く姿にブレーンが増え、大きな展開ができるようになったのです。


129 テリー伊藤氏を生かす。

 問題は完璧にテリーに反発しているスタッフだ。 帰りに焼鳥屋へ立ち寄り、この番組は思い切った強化策をとる、と切り出すとM君は、怪訝な顔をしていた。 カメラ、音声、VTR課の課長がすべてスクラムを組みスタッフを出さないことになっている。 光男が部長命令を出したとしても社内事情は無理...