2026年7月27日月曜日

167 新婚生活

 

私の新婚生活、女房の実家に猛反対され、それこそ三畳一間、電化製品ひとつない貧乏どん底からのスタート。

木造で廊下は歩くとミシミシ音がし、トイレはポットン便所の安アパート、夫婦で共働きでやっと家賃が払えるという生活。

東京で家賃が一番安いアパート。

当時アパートに「沖縄出身者入居お断り」の看板が出ていた。

沖縄名字の多良間光男は、当然パスポート保持者。

光男はテレビの世界で仕事をしていたが、当時は白黒放送で給料など一般企業の社員と比べものにならないほどのどん底生活であった。

ボーナスが入ったら洗濯機を買おう、その次は冷蔵庫、テレビと夫婦で夢を描き、必死で働いていた時。

学が自由が丘に五階建ての賃貸マンションを建てたので、管理人をしてくれないか、との話。

家賃はなしとの話だったので、これ幸い飛びついた。

ただほど高いものはない。この管理人の仕事、とんでもない結果を生むことになる。

当時マンションという言葉は聞き慣れない言葉で、マンションの「はしり」だったのである。

家賃も高かったので、入居者はハイクラスの人ばかり。

有名な銀座の老舗ビルの息子夫婦だとか、新宿の高級クラブのママさんだとか、自他共に金持ちと認める人ばかりである。

そういう人達から見ると、明らかに若くて家賃を払っていないマンションの管理人をやっている人間など、見下げた貧乏人に見えたのだろう。

隣人同士のいざこざ、上下階のいざこざ、トイレが詰まっても管理人の責任だとか、やたらめったら無理難題を押し付けてくる。

下の階からの焼き肉の匂いを、あれは我が家に対するあてつけだ。なんとかしろ、と言ってくる。

とうとう女房が、初めての子を流産してしまった。

住人は流産したことを知っているが、優しい言葉をかける訳でもない。

貧乏人など子供を作る資格がない、と言わんばかりに輪をかけて自分たちの争い事を管理人に押し付けてくる。

金持ちなら心豊かに周りへ温かい目を向け、優しい言葉をかけられるものだと思ったが、全く逆だ。

金持ちは人間としての情が金に奪われてしまうものだ、としみじみ感じた。

その後、妊娠したが流産の恐怖の涙にマンションを出る決心をし、安アパート生活に戻った。

マンションを出た後も学との交流は続いていたが、彼が35歳になった頃、母親から嫁探し、お見合いの相手を見つけて欲しいと頼まれた。

友人のためと思い、あちこちに声をかけ、二度も見合いをさせたが成立しなかった。

相手はなんの非の打ちどころもない。素晴らしい女性で、成立しないということはおかしい。

本人を捕まえ、とことん本音を聞いてみるとびっくりした。

女は自分の背負っている金、財産が目当てだ。

そんな女に子供が出来、子供にまで財産を持っていかれるかと思うと、どうしても決断ができないという。

金の亡者、呪縛に縛られた人間の頭の中というのは、そういうものか、と呆れ果ててしまった。

以後、私は二度とお見合いの段取りはしなかった。

周りの友人も、同じ経験をしているから、誰一人として学に結婚を勧める人はもういなくなった。

学はゴルフが好きで、金に任せゴルフ場の会員権を北海道から九州までくまなく買いあさっていた。

先行投資で、いずれ倍、倍になると自慢していた。

事実、ある程度倍くらいにまでなったようだが、しかしバブルがはじけてしまった。


166 田舎者


当時、沖縄は日本国ではなかった。 

米国統治下でパスポートを持っており、ましてや私の生まれ育った島など、日本の地図には載っていない。

彼女の実家は、代々手広く卸問屋をしており、

嘘か真かは分からないが、皇族にもつながる由緒ある家だと言っていた。

そんな家柄が、光男みたいな見た目も格好も田舎者、ましてや沖縄とパスポートとなると、反対するのは当然だ。

座布団を投げ付けられ、しまいには塩を撒かれるありさまだ。

生まれて初めて他人さまに馬鹿にされ、コケにされる屈辱感は半端じゃない。

当時、沖縄生まれでパスポートを持っている。 

自分でも劣等感を抱いていたが、それをもろに罵られると、人間の感情は火に油を注ぐようなものだ。

冗談じゃない、こんな人間、生かしておけない、と行動に出るところまで憤りを感じた。

しかし故郷で、今日もヘラで草取りに汗を流し、爪に火を灯して生きる両親のことを考えると、息子が東京へ出て事件を犯した。

なんて白い目で周りから見られて生きるのは、あまりにも酷だ。

悔しくても、侮辱されても、頭を下げ続けたが、結果的に許してもらえなかった。

彼女が、親兄弟、親戚含め全て縁を切り一緒になる、と言ってくれた時は、涙が止まらなかった。

光男は一生、彼女を路頭に迷わすことはすまい、と心に誓って新婚生活をスタートさせた。

新婚当時、女房の友達を含め7、8人、同年代の仲間でよく飲み食いをした。

その中に一人、独身の中山学がいた。

学はとんでもない男で、十数億もの資産を持ち、自由が丘の邸宅住まいだ。

外国製のカマロだとかいう、訳の分からない外車を乗り回していた。

日本の車は、ドアを閉めた時の音が軽すぎる。

といって重厚なドアの音のする外車を次から次と乗り回していたのである。

親父を早くに亡くしており、母と2人の生活だ。

邸宅へ誘われて行ったが、庭には外車を4台収納できる車庫があり、門の横には鉄格子で囲った、立派な犬小屋だ。

光男の三畳一間の生活、犬以下だ。

この犬がまたデッカイ、3匹もおり、人間なぞひと噛みで殺しそうで、それこそ血統書付のいい犬だという。

家の中へ入ると、そこにはまた、青い目をした、ペルシャ猫だとかなんとか言っていた。

これまた血統書付の高級な猫だというのが3匹ほど、母親が可愛がっていた。

家の中の家具や調度品は見たこともない、皇族のお宅ではないかと思われるようなしつらえだ。

泊まっていくようにと勧められ、泊まった。

そこには全く見たこともない、そのために作らせたのかと思われるような本棚があり、とんでもない百科事典等がびっしり収まっている。

母親は上品な女性で、何人かのお手伝いを雇い、家の中や庭など、綺麗に作り上げていた。

なんで金があるのかと聞くと、学の父は次男ではあったが長男を手伝い、その昔造園業をやっていたという。

貯木のため、原っぱだった土地をかなり持っていたので、兄貴に分けてもらったとのことだ。

その土地は自由が丘、あれよあれよという間に値上がりし、手が付けられない程の大金が転がり込んできたという。

本家の姪たちは、20歳前だと言うのに二十億もの資産を相続、渋谷駅近くに億ションを所有。

優雅に遊び呆けているとのことだ。


2026年7月26日日曜日

165 軽い男

 

食事を済ませ8時過ぎ、庭のテーブルで、泡盛を飲んでいると、民宿の20代半ばのカップルが2組散策がてら、ぶらりと入って来た。

東京と島を年間半々生活してる私を見て、うらやましい。自分の両親にもそのような生活をしてもらいたいと、話していた。

親父は定年になるの楽しみにしていたが、いざ定年になると、朝から晩まで夫婦角突き合わせで、些細なことで、口争いが絶えないという。

若い内は朝昼晩喧嘩するが、セックスをすれば、仲直りができる。

歳をとるとセックスが少なく、なかなか仲直り出来ないというと、おじさんのいうことは的を射ていると、おおはしゃぎだ。

世間話をしていると、同じ民宿の泊まり男客が2人、話につられ、ぶらりと入ってきた。

一番年上だと思われる、30歳くらいの男の言動がどうも気になる。

自分は1度も仕事をした事がない、フリーターである事を自慢している。

態度や言動から見て、どうも軽過ぎる。

スタイル格好そのものは普通の十人並みだが、男として結婚をしようとか、そういう感覚は全くないようだ。

東京の文京区に親と同居しており、どうも生活するのには困らないようだ。

文京区あたりは東京のど真ん中で、そこに親の代から生活しているという事は、土地なり資産があるだろう。

当然あくせく働く必要もなく、十分食べるくらいの収入があるだろう。

が、しかし男として考えると軽すぎる。

ティッシュペーパーがふらふらしているようなもので、ちょっと風が吹けば舞い上がり、己をコントロール出来ないような、あまりにも軽い幼い感じすら受けるのである。

それに引き換え、私の息子は40歳、子会社や下請会社を数社使いこなしバリバリ働いている。

今の時代はどうだのこうだのと、親父に説教するくらいのバリバリ、毎日が充実しているようだ。

軽い男に言い聞かせる気などさらさらないが、つい経験した犬の糞物語を話してやった。

光男は高校卒業と同時に、周囲12km、海抜12mという、日本最南端の小さな島から、着の身着のままで上京した。

昼間は必死で働き、夜学の後テレビ界へ就職した。

その時知り合った東京生まれの東京育ち、江戸っ子の彼女と出会う事が出来た。

結婚の約束をし、相手の親の所へ挨拶に行くと猛反対だ。


2026年7月25日土曜日

164 ヤギの乳

 

離島で子供が生まれても、昔は栄養が行き届かず母親の乳が出ない場合があった。

勿論、粉ミルクは無く冷蔵庫もない時代。

そこで、ヤギの乳を頂く、そうやって島の子供たちは育ったのである。

光男も母に3軒の家からヤギの乳を頂いたと言われた。

だから3軒の家のヤギ様には感謝しなさい、と言われた。

よって恩返しのため、物心ついた時からヤギを飼わされ、一生懸命ヤギの草を刈ったもんだ。

そしてその3軒の家に子供が誕生した時には、私の飼っていたヤギの乳を恩返しするということだ。

光男がこうやって生きていられるのも、ヤギ様のおかげで神様である。

領土で中国と揉めている魚釣島、野生のヤギが生息しているが、この地区の人が昔住んでいた証だ。

皆さん無人島で住む場合、女房と必ずヤギ様もオス、メス同伴が条件。不滅の鼓動だ。

ヤギ様恩返し草刈り生活の中で、こんな不思議なこともあった。

ある小雨の日、牧場をやっている青年が我が家へ来た時のんびり喋っている。

牛の草は刈ったのかと聞くと、牛は濡れた草は食べないという。

それでは雨が降った日はどうするんだと聞くと、干し草を食べさせるとのことだ。

初めて聞いたが牛は刈った草、どんな新鮮な草でも雨に濡れていると食べないという。

枯らした草、干し草なら食べるとのことだ。

勿論、生えている草なら雨に濡れていても食べるが、刈って雨に濡れた草は刈りたて、新鮮な草でも食べないという。

本当なのだろうか?

この島の牛だけが贅沢な生活をしているのか?

なんで新鮮な草でも、雨に濡れたら食べないのだろうか。

生えた、雨に濡れた草は食べるのに。不思議である。

牛飼いさ~ん、教えて。

島のじいさんが、おしゃべりにきた。

泡盛とサバの缶詰で飲んでいると、ハエがうるさい。

このハエ何とかならないのかなぁというと、8時半まで待てよという。

訳を聞くと、ハエは8時半になると就寝の時間だという。

言われてみて初めて気がついたが本当に8時半になると、ありゃりゃ、ハエがピタリといなくなった。

島のハエは夜8時半就寝だそうだ。

島の人たちは行動時間が夜型だ。

9時10時から平気で飲む。ハエの時間を考え行動をずらしているのだろうか。

島の生き物たちのルールに合わせて暮らすのは、案外知恵が必要なものだ。


163 ヨモギ

 163 ヨモギ

南の島々ではヤギを飼育しており、ヤギ汁は生活に欠かせない。

そして必ずと言っていいくらい、そこにはヨモギが入っている。

ヤギ汁は血圧を上げる、ヨモギは血圧を下げる効果があるとのこと、誠かは解らない。

この組み合わせは、どこの家庭でも行われている。

古老に聞くと、ヨモギは下げ薬(サギグスイ)と呼んでいる。

昔の人はよくぞ血圧計もなかっただろうに、どうやってそのような組み合わせを考えたのだろうか。

南の島には、色々な不思議が一杯だ。

この島の人たちは昔、牛肉は食する風習はなかったが最近では牛肉を食べる機会が多い。

やはり、その時も牛汁にはヨモギを入れて食べる。

島の人たちは知らないところで、健康管理ができているようだ。

ちなみに、ヨモギは野生でどこにでも生えている。

一方、おしんこを多く食べ塩分摂取の多い地域では、血圧高で寿命に影響があるとのこと。

庭先にヨモギを植え、利用するといいかも。沖縄の長寿はヨモギのせいかな。

人間をはじめほとんどの動物は、生きていくのに水を必要とする。

しかし、ヤギは川がなくても水の無い所でも何ら問題なく生きられる。

八丈島の手前に、周りは崖で人が住めない山だらけの小さな無人島があるが、崖でかなりのヤギが野生化して育っている。

勿論無人島で、川もなく水溜まりや雨水を溜める容器も無く大雨が降ってもサンゴ礁の島は即地下水になりヤギの飲み水はない。

非常に過酷な環境で、川などの飲み水がなくても草を食べるだけで問題なし。

ヤギの生き延びる力は半端じゃない。

この黒島では昔、妊娠すると栄養不足で母乳に不安があり、出産日を計算しまず妊娠しているヤギをどう確保するかが、大きな問題だ。

そんな生命力の強いヤギだからこそ、島の人には欠かせない存在である。

牛乳も考えられるが、牛は人間の数倍水を飲む。川のない水を貯めるプラスチック容器のない時代、一滴の水でも重要であった。


162 トゥジィ

 

この島の方言を見ていると、突然変異みたいな訳の分からない方言が時々出てくる。

豊年祭にハーリー競争が昔からある。その船のかじ取り役は重要である。

かじ取り役のことを島の方言では、トゥージィという。

なぜかじ取りが、トゥージィなのか?

日本の言葉でいうと、統括、統治に当たり、つながるのではないかと思う。

統治が、トゥージィになったのではないだろうか。

その昔、この島には、あまりものを書くという習慣がなかったのに不思議である。

昔から続くこの島のハーリー競争は、かじ取りが絶対の権限を持っており、完全に統括している。

言うなれば統治者が、トゥージィになっているのだろう。

また女房、妻を、なんと言うかというと、トゥージィのハイフンをとった、「トゥジィ」と呼ぶ。

トゥジィ(妻)は、家庭を賄い、やりくりする、言うなれば、家庭の統治者だ。

よってトゥジィと言われるのは、当たり前である。

友人のことを、島の方言では、ドゥシ、と言う。

友達という、複数、総称する場合は、普通、島の方言では、ERがつくが、この友人には、それが付かない。

友達はドゥシンキ、という。

この友達という、ドゥシンキは、他の方言と共通しない、変わり種だ。

この言葉がどこから来たのかわからないが、もしかすると、アフリカの山奥で、友達のことをドゥシンキ、というような所があるかもしれない。

渡り鳥が、その言葉をくわえ、島へポコリと落としていったかも?

種子が島で根付き、しっかり島の言葉になったような気がする。

友達の、友達はみな友達だ。

ドゥシンキの、ドゥシンキは、みなドゥシンキだ。


2026年7月24日金曜日

161 人生のスタート

 

私(光男)が、なぜテレビ業界を目指したのか。

昭和30年代、テレビは緒についたばかりだ。

遥か南端の小島、映画館は無いが子供心に映画を見たかった。

石垣島まで渡れば映画は見られたが、家が貧しく船賃もなくできなかった。

南端小島、当時飛行機は無く船輸送、漫画本等は半年以上遅れて着く。

その漫画本の片隅に、5コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。

それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。

そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て着の身着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。

ブログをやっている人なら、かつての通信会社ウィルコム(現ソフトバンクの前身)と言う会社、知っているだろう。

当時のホームページに誇らしく、人口カバー率99%と出ているが、光男の育った島はまだカバーされていなかった、日本最後の情報過疎地だ。

半年遅れで漫画本が流れ着くが、それが唯一の情報源だ。

昭和39年、第一回東京オリンピック開催。

翌年の40年、やっとの思いでテレビ業界へ入った。

もちろんテレビは白黒時代で、朝と夜の放送で、昼間はフィルムの昼メロドラマ放送。

就職までの道のり、本当に人生の辛酸をなめ尽くしたと言われる状況だった。

その後しがみ付き、魔法の箱解明、夢を全うした。

もちろん長男ではあるが、両親の死に目にも会えなかった。

そんな経験の中から、今の若者たちには是非、勇気を持って己の道を貫いて欲しい。

親が何を言おうと己を貫け。

親は、己の人生を既に歩んできている。これからは、自分の人生は自分で決断する、でいい。

この世にポコンと動き出した貴方の鼓動、100パーセント間違いなく、いずれは止まる。

何のため、今まで動いてきたのか?

今、何のために動いているのか?

これから先、どう動かせるか?

己の可能性に立ち向かおうではないか!

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり

若者よ 思い残すな 明日は華

  貴方には 誰にも盗られない 知恵がある

  貴方には 誰にも止められない 鼓動がある

これしかない!

己の人生ドラマ ロマンを持て!

そして

 命を張れ!

 命を張れ!


167 新婚生活

  私の新婚生活、女房の実家に猛反対され、それこそ三畳一間、電化製品ひとつない貧乏どん底からのスタート。 木造で廊下は歩くとミシミシ音がし、トイレはポットン便所の安アパート、夫婦で共働きでやっと家賃が払えるという生活。 東京で家賃が一番安いアパート。 当時アパートに「沖縄出身者入...