結婚をさせ、子供でもできれば、元の明るい子に戻るだろうと、石垣島の知人に相手を紹介して欲しいと依頼した。
五歳年上の健一という男とお見合いをしたが、抜け殻のようになった明子は、親の言うまま結婚。
健一の仕事は、船の荷役という日雇い労働者だ。
当時は重機がなく、男どもが蟻の如く沖縄本島行きの船へ荷物を乗せ降ろししていたのである。
明子との間には、子供ができなかった。
それもあったのか、荷役の仕事は、船の出港が午前中のため、朝早く仕事に出かけ正午頃には自宅へ帰るが、酒浸りとなった。
この島にはパチンコなどなく、暇を持て余してどうしても酒に手が出るのである。
酒に酔うと言葉の暴力、物を投げ、手まで出す始末。
健一の妹がやはり子供もできず、出戻ってきて姑にいびられる。
挙げ句の果ては、健一が外の女、良枝に子供まで生ませてしまった。
良枝は石垣島生まれで、健一の家族も顔見知り、臆面もなく、しゃーしゃーと子供連れで出入りするようになった。
明子は女中以下の扱いだ。
健一は、酒を飲み過ぎたのか、肝臓を患い、五十七歳で他界してしまった。
健一の両親は、他所の女に産ませた孫を可愛がり、その女は堂々と出入りする。姑にはいびられる。
収入がないので、近所の空き瓶を拾い、それで生活するような、困窮を極めた生活となった。
リヤカーも買えない、天秤棒の前と後ろに、カシガー袋(大型土嚢袋)で空き瓶を拾い回り、天秤棒担ぎをしている姿を島の人に見られてしまった。
親父は、強引に乗り込み島へ連れ戻した。
明子五十二歳の時である。
不幸はどこまで追いすがるのか、母は病に倒れ、一年後に他界、父もまた後を追うように翌年他界した。
不幸は更に追いすがる、古い家もまた台風で吹き飛んでしまったのである。
本当の家無し、施しを受ける身となってしまったのである。
建て直す金などあるはずがない。
近所の人が廃材となったトタンを集め、やっと一人が生活出来る、掘っ立て小屋を建ててくれた。
電気代を払う金もなく、ランプ生活。
プロパンガスとて無理、土間で薪を拾い煮炊きする生活だ。
あまりにも惨めな物乞い生活であった。