2026年2月8日日曜日

 1127 さすが東大


M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。実は私もM君の才能を高く評価しています。

彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ自信を付けさせたい。民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。

そして、その才能ノーハウは今後、必ずフジテレビの為に使います。と淡々としゃべったのである。

H氏はしばらく天を仰ぎ沈黙の後、いきなり立ち上がると、握手を求め、この話はなかった事にしよう、と言ったのである。

さすが東大出だな、とひかるは感じいった。

論争を続ければ、ひかるは業界、世界までも視野に入れている、一局、一番組だけにこだわっている己がケツの穴の狭い男に写るか、また先ほどからの態度を見れば、この男は決して引かないだろう、クビが飛ぼうがみじん切りに会おうが平気だろう、ととっさに考えたのだろう。

ひかるは名字で即沖縄出身である事は分かり、普段は沖縄と呼ばれ、かくして沖縄東大紛争は決着した。

周りからはどうやって説得したのか、興味半分に聞かれたがひかるは何もしゃべらなかった。

ひかるはわざわざ放送業界や世界における日本のメディアの位置付けなど用意した訳ではない。

子供の頃より手に取るような天の川、流れ星を庭に育ち、入社当時は魔法の箱解明に専念.

10年もすると何時の間にか業界や世界を視野に入れた思考をするようになっていた。

今の若者達には光年単位で息ずく天の川を眺め、どうせ気がつけば短い一生、スケールの大きな人生を歩んで欲しいと願うゆえんである。

H氏はさすが東大出で、後に歌合戦はタケシに視聴率を食われ、あえなく終焉する。

しかしタケシはさんまと組んでタケちゃんマンでフジテレビに貢献する。

そしてひかるに新企画、ねるとんが持ち込まれ、即M君を起用、約束通りその才能をフジテレビに生かしたのである。

ねるとんは二つの大きな効果を局にもたらした番組である。

テレビ局は時間を売る商売だ。

当時ねるとんの時間帯はなかなか視聴率がとれない、売り物にならない死に時間帯で、それを何とかしたい、と模索の末の企画。

そのヒットにより、他の曜日の同時間帯にも火がつき大きな利益をもたらしたのである。

また前にも記したが、カメラとVTRを4台パラ回しで多重記録する事により、オールロケでど素人を主役にいとも簡単に番組が出来る事を証明。

以後ロケ番組が軌道に乗り番組革命が出来たのである。


 1126 雨傘番組

 

タケシは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたがその後、影が薄くなっていた。

浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。

ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてタケシの名前を番組の冠に付けた、元気が出るテレビなる番組の企画が持ち込まれた。

この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターでフィーラー番組、いわゆる雨傘番組であった。

名の通った役者なら断りそうなものだが、タケシは縋るしかなかったのだろうか。

当時、フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんのオールスター家族対抗歌合戦が好評。

ひかるはそのチーフカメラマン、M君を裏番組、タケシに起用する事にした。

歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、翌週日曜日放送でタケシは日曜日は収録無しとの事で起用を決めたが、ゴールデン番組の裏表。

両局のメンツがぶつかり、ひかるは窮地に追い込まれる事となる。

フジテレビの日曜8時、ゴールデン番組のチーフカメラマンを、いわゆる完璧な裏番組に起用する事にHディレクターが異を突き付けて来たのである。

担当課長等に交渉させるがらちがあかず、とうとう最後の砦、ひかるの出番となった。

H氏はフジテレビきっての東大卒駿腕ディレター、学生運動では安田講堂の屋上で大きな旗を振り、リーダー役、全国弁論大会を制覇して来た、と噂される弁舌家。

当時の芸能界大御所、古関祐爾や水江タキ子など、こうしましょ、こうして下さい、など歯に絹きせぬ自信溢れるてきぱきぶり。

フジテレビでは当時、早稲田卒が圧倒的に多くいたが、この東大卒にだけは勝てない、といわれていた。

かたやひかるは、子供の頃から25歳までオシと言われ、社内でも窓外族で通し、やむなく社の中心に据えられたばかり。

勝負は既にあったも同然と言われたが、ひかるは日本テレビ側にM君の起用を通達済みで、引く訳には行かない。

H氏にアポをとり会いに行くと、歌合戦の編集中だが、完璧に無視した態度。

待つこと2時間近く、ひかるはソファーで微動だにせず薄目で様子を見ていた。

この男、終電になっても明け方までテコでも動く気配がない、と観念したのか、Hディレクターは前に座ると一気にしゃべりだした。

何度も言っているが、M君は私が手塩にかけノーハウをつぎ込んで、やっとチーフが張れる迄育て上げて来た。

事もあろうに当面の敵局、裏番に起用するとは常識外だ。

向こうが軌道に乗れば、こちらの視聴率が喰われるんだぞ。子会社の身分で場合によっては君のクビだけではすまない、社長だって危ないぞ、とひかるを逆なでする事まで言われ、怒鳴り返したかったが、そこは忍々。

存分にしゃべらした後、たどたどしいながらひかるはしゃべりだした。


1125 人生の証


我々が地上で生きられる時間は、大きな宇宙の営みから見た場合、まばたきの瞬間なのかも知れません。

例えまばたきの一瞬でも、地上に生を受け、鼓動が動き出した以上、この鼓動が動いている間、止まる前に、自分自身が生きていた、という証、足跡を残したい。

人々がひしめく大都会、巨大化した組織の中、これが自分の足跡だと言えるものは、なかなか見つけられません。

ひかるの場合、少年の頃見た夢に、人生の殆んどを費いやし、追い求め続けた、魔法の箱、テレビ少年物語、ブログそのもの自体が、ひかるの細やかな人生の証ではないかと、考えています。

たかがブログ、だけど、宝だブログ。

たった一人でもいい、人生灯台の一コマになれば・・・

長年待ち望まれた、沖縄最南端八重山地区への民放、2局ながらも開通、ひかるの両親が眠る墓にも、電波が届きました。

ひかるの夢は実現したのである。

島を訪れると、わざわざ船でビデオテープを借りに行かなくても済むようになった、と若者たちは大喜び。

テレビを見ていると、おばあちゃんが不機嫌になり、血を流し争うテレビは嫌いだ、といきなり電源を切ってしまう。

演技で、本当にはやっていないと、説明しても分ってもらえません。

NHKしか写らない時代はそうでもなかった、東京へ帰ったら、そんなテレビは作るな、と言われ、穏やかに生活して来た島のお年寄り達の心を乱してしまったのではないかと、考えさせられました。

また、北半球の日本から南十字星が見えるはずがない、と思われる事でしょうが、この地区では、5月の末から6月の初め頃、見事な十字星が見えます。

南の島、夕闇せまる浜風と、水平線にひときわ輝くこの神秘的な星に出会う時、何とも言えない安らぎを感じます。

ただこの時期は梅雨時で、特に南の空は積乱雲が多く、この星に出会えれば、心身共に癒される事でしょう。

南の孤島、夜の砂浜で大の字になり、空を眺めると迫る天の川、宇宙が手に取るようです。

今起きているようだが、流れ星、もしかして、半年前の事象では?

そして迫る壮大な宇宙、地球の鼓動を背にすると、今、己は地球を背負っているんだ、と思いを馳せる事でしょう。

いや、地球は俺が背負って行くんだ、背負っていかなければ、とスケールの大きな人物になれるはずです。

皆さんもそうだが、中学生くらいのお子さんをお持ちの父なら、是非、地球を背負う体験させるべきです。

(東京の浜で大の字になってもいいが、宇宙を目前に感じられない、南島をお勧めします)

ひかるは周りからタイニン(大人)タイニンと呼ばれたが、子供の頃、地球を背負っていたこと知らなかった事でしょう。

常に国内外、世界を視野にメディアはどうあるべきか、考えていたのである。


2026年2月7日土曜日

 1124 挑戦

 

ひかるの、もの言わぬ少年時代を知る人は、これ程変身出来た人はいないだろう、何かあったのか、と聞かれますが、何もない。

ただ情熱のほと走るまま、人生の波を味方とし、知恵を使っただけだ、と。

抑圧された人間の悔しさが開き直る時、その悔しさの度合に応じ、変身出来るのです。

人生のチャンスという波が訪れた時、蓄えたエネルギーをバネとして使える生き方をして欲しい。

背伸びし切った生き方は、いつの日か息切れする事でしょう。

また、ひかるの場合、物事に挑戦する時、一つの思考パターンがある。

作物を育てる時、出来の良い種を翌年植え、徐々に収穫を増やし、満足するまでには、数年必要とします。

この事から、ひかるも、何か成す時は、畑を耕し、種を蒔き、水をやる。

3年目に花を咲かせ、4年、5年目に、実績という収穫を得るの例えで、3年から5年先を視野に入れた実行方式を取り入れてきました。

この思考パターンは、じっくり腰を据えて取り組めるため、殆んど失敗する事なく、結果が得られます。

参考にしてみてはいかがでしょうか。

もし、貴方が3年前と、今現在を比較し、何の変化も感じられないとすると、いま何か手を打たなければ、3年後も同じです。

と言う事は、前後で6年間、何の変化もない人生という事になります。

何の変化もない人生を求めるならともかく、自分は、20代、30代、40代は、こういう事をやって来た、と言える、人生のアルバムが、必要ではないだろうか。

人生ドラマ80年、1日1日が、ワンカットの積み重ね。

スターは、あなた!

監督も、全てあなた一人の独壇場。

己の人生、楽しい、最高のドラマです。

テレビのドラマ、己の人生ドラマと比べたら、比較に値しない。

若者よ! 即、己の人生ドラマ、企画立案、取り掛かろう!

今日一日、あなたは、納得出来るワンシーン、作れたかな?

ひかるの御告げ・・

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり!

若者よ 思い残すな 明日は華!

貴方には 誰にも盗られない 知恵がある。

貴方には 誰にも止められない 鼓動がある。

これしかない!

己の人生ドラマ ロマンを持て!

そして、 

 命を張れ!

 命を張れ!

 1123 傘をさすのは人間だけだ !


イベントは晴天に恵まれ大成功。その会社の社長が「ひかると言う男、雨が降ろうが、やりが降ろうが、しっかり仕事をやり遂げる、一番信用出来る」と尾ひれを付けて回ったのである。

もっと大きな財産は、回りが全員風邪を引いていても、部屋中菌が充満していても、絶対と言っていいくらい、この男の体はまともじゃないのでは、と疑うほど、風邪を引かない、丈夫な体になったのだ。

そして言う「地上にいる動物の中で、雨が降ったからとて、傘をさすのは人間だけだ、雨なんぞ、負けるな」と。

母との約束で学校へ行きはしたが、やはり借りてきた猫の如く、もの言わぬ人(オシ)とあだ名され、中学を卒業。

高校へ進むにもまた、島からは同学年で、ひかる一人。

地元の石垣中学から、なだれ込んだ連中が、徒党を組んでいるように見え、ここでもまたもの言わぬ人とあだ名され、卒業。

上京後、就職するにも、今度は異境の沖縄人として見られ、その事が自分自身にも大きく乗しかかり、言葉のなまりが気にかかり、多くをしゃべりませんでした。

同期の人は、30前に管理職として登用されていきますが、やはり置いてけぼり。

やっと30歳で管理職の末席につくようになった頃、先輩管理職がごっそり飛び出していったのです。

その後、社の状況は、日に日に悪化、殆んど泥沼に片足を突っ込んだ状態となりました。

取り巻く状況が悪い時、殆んどの人は、身を守る方へと向かいますが、ひかるの場合、全く逆で、一気に攻める事を考えたのです。

長い間、もの言わぬ環境で育ち、何かに挑戦してみたい、他人に負けるはずがない、という、情熱のエネルギーが、爆発寸前まで蓄えられていたのです。

貧乏のどん底を這いずり、嘗め回す、しこたま、言葉を無くす程いじめ抜かれる、人生の一番大事な結婚では、生い立ちを罵られ、塩を撒かれる。

人間、生まれた所で価値が決まるわけではない!! と怒鳴りたいが、耐え抜いてエネルギーを貯めるしかなかった。

そのエネルギーは、人間が豹変したのではないかと思われる勢いで、トップを説得しまくり、承諾を得ると即行動。

まず100人を動かすには、行動を共にするブレーンが10人いれば、流れは変えられるだろう、とブレーン作りを開始しました。

守りに回った人を攻めに転じさせる事は、容易ではありませんでしたが、熱意をもって説く姿にブレーンが増え、大きな展開が出来るようになったのです。


1122 大きな財産


筋肉が付き、ビッコも徐々に目立たなくなり、勉強で他のいじめっ子を負かす事が出来る、と悟ったひかるは、必ず一番になる、と猛勉強をするように成った。

回りの家では、石油を一升瓶で買うが、貧しく二合瓶でしか買えない、小さなランプだが、父はひかるに明け渡し、細かい仕事を明るい内に済ませ、暗闇でせっせせっせかと内職をする。

子供の時の境遇は大人になってから、大きな財産と成る。

小中学を通し、どしゃ降りの雨に打たれた事は、いつの間にか苦痛ではなく、ひかるの中で、修行僧が滝に打たれる如く、快感になって行ったのである。

ある日、営業で大きなイベント収録を受注、最終打ち合わせ確認時、途中よりどしゃ降りの雨となったが、例によって快感を感じ、客先へ行った。のき先で滴る雨を切り、客の前へ立つと、相手がびっくり。

タクシーも有るだろうに、傘も買えるだろうに、と・・・

ソファーに座ると濡れるので、立ったまま最終確認をし、またどしゃ降りの雨の中を平然と帰る。

1121 ペルテス病


振り返ると、ひかるは小学校入学時、登校拒否児でした。

五歳の時、股関節を痛め、かなりのビッコ、入学時、他の子が運動場一周するにも、半周しか出来ない、ピコタンピコタン状態。貧しくカッパが買えない大雨の日、母は蓑傘を着させ、登校させる。

途中、ひかるはあまりの格好悪さに気ずき、帰ると脱ぎ捨て、ずぶ濡れで登校。急に体を冷やしたせいか、下腹部に激痛を感じるが、我慢できずウンチを漏らしてしまう。ビッコ野郎、ウンチ野郎、といじめられる。

女の子が木切れでつっついて逃げるに、ピコタンピコタン追いつかない。更に、他の村は、同級生が大勢いたのですが、ひかるの村はたった一人。しこたまいじめ貫かれたのである。

登下校時、他の村の連中が徒党を組み、襲ってくるのではないかと、恐怖を感じ、とうとう言葉を失う、しゃべらなくなったのです。

登校拒否に、母はひかるを抱きしめ「ひかるが学校へ行ないんなら、お母さんは生きていけない・・」と大粒の涙をおとす。

当時、母は貧しく栄養失調ぎみ、三人の子が次々と育たなく他界、ひかるがビッコで学校へも行かない・・

顔色から本気で死の道を考えている事が感じられる。母の心の内を感じたひかるは、だまって小指を出した。

ひかるの初めての指切りは、母との約束であった。

どしゃ降りの雨でも、口を真一文字に噛み締め、ずぶ濡れで学校へ行くようになった。

いじめは止まず、当然、成績はすべて零点だったが、通信簿は学校の配慮なのか、1ではなく、オール2のアヒルの行進。しかし、四年の終り頃、勉強もしなかったが、30点、40点が出るようになった。

この、ちょっとだけ成績が良くなった事を、先生が見逃さず、進歩賞なるものを直筆で作り、みんなの前で表彰、褒めてくれたのです。

口を閉ざしたひかるの学校恐怖症、素晴らしい先生との出会い、粋な計らいが自信となり、徐々に心を開いていったのです。

登校拒否やいじめ問題は、このような思いやりのある先生に出会えれば、事なきを得る事でしょう。


 1127 さすが東大

M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。実は私もM君の才能を高く評価しています。 彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ自信を付けさせたい。民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。 そして、その才能ノーハウは今後、必ずフジテレビの為に...