2025年6月28日土曜日

 1033 窓外族

 

20代後半、沖縄が本土復帰をする。

ひかるは大事にしていたパスポートを焼き捨てた。

ひかるの中で何かが吹っ切れたようだ。

そしてちょうどその頃、社内には、一大異変が起きていた。

第一期入社の同期の連中は、管理職として各部門を統括していたが、よりによってその連中が束になって、会社を辞め別会社を設立し、従来の仕事をそっくり持って独立していったのだ。

組合が出来労使問題でガタガタしているとはいえ、発注先であるフジテレビ゙が、設立されたばかりの、資本の入っていない独立会社へ翌日から仕事を廻す。明らかに契約違反であり、フジテレビは、ひかるの所属する子会社を潰しにかかった、と解釈されても仕方のない事情であった。

取り巻く周りからもかなり注目されている中、唯一残った第一期生、ひかるは社のど真ん中へ担ぎ出されてしまったのである。

しかし、ひかるは苦境に立たされれば立たされる程、頭を使う。

次から次と、誰もがあっと驚く奇抜な策を行使、放送業界全体をも覆すリーダーシップを発揮して行くのである。

四度にわたり、管理職が有能な社員を引き連れ独立、残された社員が殆んど組合員、会社の存亡すら危惧され混乱。

当然、沈静化する迄待とう、何んとか無難に切り抜けよう、と守りに徹するのが普通である。

しかし、ひかるは全く逆の発想だ。

こういう時だからこそ打って出る、しゃにむに攻撃態勢を取り、社内の目を組合騒動からそらせ、一丸にする。

攻撃目標も、生半可でないどでかい目標を掲げる、という発想だ。

当時のテレビはドラマやクイズ花盛りで、スタジオ、局内中心で作られている。

ロケを大量に取り入れ、山や川、家の中まで入り込み、外部の映像を茶の間へ届けよう、番組作りの土俵を強引に外へ出す。

技術プロダクションとしてテレビ局と番組の内容で勝負しようとの考えである。

ひかるが手始めにトライしたのが、タケシのデビュー番組「天才タケシの元気が出るテレビ」だった。

兵頭ユキや高田順次の映像は、お茶の間に大いに受けた。

そして、業界を、あっと驚かせたリアルな表現、しかも素人を相手にした、オールロケの集団お見合い番組「ねるとん紅鯨団」だった。

勿論この番組はとんねるずのデビュー番組だ。

この二つの番組でスタジオ中心から強引に外の映像を茶の間へ届ける。

並行して海外ロケ機材開発、海外の電源事情や電波問題などデータを確立。

30年後ノーベル賞に輝くリチュームバッテリーの初期商品BP-90を開発。

その後、日本は世界に類を見ない映像、テレビ王国へと突き進んでいったのである。

次回、裏話など・・・ご期待を。

 1032 倒産

 

東通は、TBSから社長が送り込まれ、経営陣もTBS色が強かった。

第一事業所がTBS内に置かれ、第二事業所が、フジテレビ内に置かれた。

頭が良く入社試験の成績の良い人がTBS内第一事業所に配属されたと言れたが、たぶん事実であろう。

TBSはドラマ制作に力を入れ、ドラマのTBSというイメージで、フジテレビは、ピンポンパンなど子供番組がヒット、母と子のフジテレビというイメージで、両局とも快調に業績を伸ばしていった。

昭和40年、白黒からカラー放送へ転換していく中、NHKは視聴料はなし完全国家予算で運営されており、開局の早かった4チャンネルの日本テレビは巨人戦と力道山のプロレス超二大スポーツ番組の放送権利を保持。

横綱級で次に開局したTBSはドラマに挑戦で大関級。次に開局した8チャンネルのフジテレビはやっと幕の内かな?

親会社毎日新聞のTBSと産経新聞のフジテレビは手を結びカメラマンや音響証明VTRスタッフを有する東通を設立、将来はカメラ機材やVTRスタジオなど共有し巨大メディヤ企業化、日本テレビやNHKの番組まで作る想定だ。

しかしお互いがライバル局として見るようになり、第二事業所は、後に100%フジテレビ子会社化していくのである。

バブル時、東通の経営陣が、巨額の資金をゴルフ場開発に注ぎ込み、バブル崩壊と同時にあっけなく倒産した。

新聞紙上を賑わせ、昨日まで社長と崇めた社長を、今度は社員が放送カメラを持って犯人扱いで追い回すという、考えられない事が起きたのだ。

第一事業所配属、同期の連中は、設立当時から心血を注ぎ、大きくした会社が訳の分からない倒産をし、どれ程つらい思いをしたのか、胸が痛む思いである。

勿論、会社更生法が適用されているとの事だ。

ひかるは、ここでも頭がよくなくて、第二事業所へ回され、幸運だったと胸をなでおろした。

カラー放送も軌道に乗り、毎年新入社員が大量に採用され、社内は活況を呈していく。

しかしひかるは、冷暖房完備、皆んなが好むスタジオの仕事より、外の中継の仕事を自ら好み、王、長嶋選手の活躍していた当時の野球中継、ファイティング原田のボクシング中継、コント55号の萩本欽一とは、関東近辺の公開場をドサ回りをしていた。

たっぷり汗をかき、焼き鳥屋で仲間と酒を飲むのが一番の楽しみだ。

年々増える社員に、同期の仲間達は、主任、課長、部長へと次々に出世していくが、ひかるには全く蚊帳の外だった。

窓際族というよりは、むしろ窓外族だ。

課会や部会、全体会議があっても外回りのため全く出席しない、出社しても機材室へ直行、機材をまとめそのまま中継で、帰って来るのが夜遅いから、管理職や上司と顔を合わせる場がないのだ。

しかし、上司の批判を焼き鳥屋で聞きながら、自分ならあのような管理職にはなりたくない、管理職はこうあるべし、という脳内トレーニングはしっかりと出来ていたのだ。


1163 ヤギ様

  南の島々には、ヤギを飼育しており、ヤギ汁は生活に欠かせない。 そして必ずと言っていいくらい、そこにはヨモギが入っている。 ヤギ汁は血圧を上げる、ヨモギは血圧を下げる効果があるとの事。 だからこの組み合わせは、どこの家庭でも行われている。 古老に聞くと、ヨモギは、サギグスイ、下...