2025年7月19日土曜日

1072 カラスの大統領

 

カラスの行動を観察すると、見事な連携プレー、編隊行動をとっている事が、分かります。

ニワトリのヒナを狙う時、一羽は見張り役。

もう一羽は、ケンカを仕掛ける役。

残りの一羽は、ヒナを奪う役目で、三羽での連携プレー。

親鳥が、ケンカを仕掛けられ、一羽のカラスに向かって行き、ヒナ鳥は、親の泣き声、様子に、危険が迫った事を感じ、オロオロ逃げ回るだけ。

奪う役目のカラスは、空から急降下し、逃げ回るヒナ鳥を事もなげに持ち去ります。

この行動を三度繰り返す事により、平等にヒナを確保。

雑食性で、食欲旺盛なカラスに、殆んどの鳥類は、木の実や虫、卵やヒナ等をことごとく持って行かれ、その悪知恵には、とても追いて行けません。

小学生の頃、ひかるはカラスに弁当を取り上げられ、仕返しに卵を取ってやろうと、カラスの巣へ近付くと、何時どうやって呼び寄せたのか、数百羽のカラスが、上空に飛来し、編隊行動。

カラスは、巣を高い所に作る為、木の上で、本気に襲れたのでは、ひとたまりもありません。

事実、数十羽のカラスは、二メートル圏内に接近し、羽を広げて、黒い口ばしを目いっぱい開け、赤口での威嚇合唱。卵を取れば、即座に攻撃出来る臨戦態勢、恐怖を感じ逃げ帰りました。

何んで自分の卵でもないのに、他のカラスが集団攻撃行動に出るのか?

攻撃態勢のカラスは、血族なのか、それとも種族を守る為、安全保障条約を結んでいるのだろうか?

昨今、自然界の生態バランスが崩れ、人間が原因のように見られていますが、問題はカラスに有るのではないだろうか。

他の動物が減少する中、カラスには殆んど天敵がいない為、繁殖の一途です。東京の空も既に制覇され、神宮の森は、絶好の棲家として、他の鳥は、黒い軍団の恐怖に近付けません。

現在、地球上に、十億のカラスがいるとし、10年間で倍増すると、想定した場合、50年先には、320億の数に大繁殖。


1071 画 カラス

 


カラスの大統領。

2025年7月18日金曜日

 1070 夫婦喧嘩

 

また、沖縄のおみやげ店で目に付くのか、100歳にもなるかと思われる、シワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面でしょう。

この老夫婦面、実は、夫婦和合の、不思議な力が秘められている面だという事は、あまり知られておりません。

夫婦喧嘩は、どこでもあるかと思いますが、口もきかず、冷戦状態が続いた後でも、このシワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面を見ると、思わず吹き出してしまい、些細な事での夫婦喧嘩が馬鹿馬鹿しくなり、仲直りするとの事。

また、このお面をかぶっての、老夫婦の面踊りは最高です。

おじいちゃんは若い時、人一倍スケベーだったとの事。

腰も立たなくなった今、おばあちゃんが、「私のこと、好いとるか・・」と色っぽく迫り、もじもじし・・「おばあちゃんは、世界で一番美しい・・昔も今も一番好いとるぞー」と答えると、「よくも、焼きもちを妬かせてくれたもんだ・・」、とつねり、100歳もの老夫婦が、這いずり、顔を赤らめ、新婚初夜を思わせる仕草は、腰が抜ける程笑わせてくれます。

お祭りや結婚式などに舞れ、舞台上では決してお面を取らず、どの夫婦が舞ったのか、演者当ても場を盛り上げます。

夫婦の機微、和合を楽しませる踊り、一度は世の夫婦に見せたい踊りです。

また、この面踊り、忘年会や結婚式に踊ると、大受けする事間違いなし。

お面を新婚祝いに送ると喜ばれる事、受けあいです。

このお面は「ヤマシキのアブジヤーマー」、と呼ばれ、山崎村のおじいちゃんおばあちゃん、と言う意味で、この山崎村、今は廃村ですが、昔黒島にあった村で、歯っ欠けお面の発祥地です。

知念家では代々、高砂のお面、として大事に祭られております。

ひかると言う男の脳内プログラム、生い立ちの影響なのか、引く事、後退するという事が、考えられないのである。

前記した通り、12ミリ、いや、12カ月、80センチのスケール上で人生を考えるので、後退という事はあり得ないのである。

勿論、後悔するという事も殆んどない。

そして後輩達には、「俺は、背中に断崖絶壁、崖を背負っている、振り向けば、目まいでまっ逆さま、木っ端微塵。だから、振り向く事もしない。常に進む以外はない。嵐が来れば、四つん這いになり、更に激しくなれば、腹這う、そしてミミズとなって、這いずってでも、前へ進む」

人生とは、そういうものだ、と説くのである。

「生半可でない、常に極限の生き方を求めろ!」と。

1069 画 面踊り

 


ジジババ面踊り。

1068 パーイ

 

日本人のルーツは、南方説、北方説、中国説と、色々議論されていますが、南端の黒島では、南方説を裏付ける、珍しい方言が残っています。

例えば、農耕に使うクワの呼び方ですが、島では、「パーイ」と呼びます。

言語学者によると、ペルーの山奥の原住民が、同じ「パーイ」と、呼ぶとの事。

どうしてこのような事が起きるのか、学者自身も不思議がっていました。

一説によると、ペルーやミクロネシア諸島等、赤道付近の島から、黒潮により言葉や生活様式が、運ばれたのではないか、と言われています。

更に不思議な事に、島では、足の事を食べるパンと同じ、パンと発音します。

もしかすると、南の島で、足の事を、パンと呼ぶ所が、あるのではないだろうか。

個人的な推測ですが、食べるパンの語源が、どこから来たのかは分かりませんが、その昔、小麦粉を足で踏みこね、発酵させたか、麦踏の足に関係しているのではないだろうか。

そして、足の事を、パンと呼ぶので、この食べ物をパンと、名付けたのではないかと、大胆な推測をしていました。

この地区は、島により多少方言の違いはありますが、黒島では殆んど「パ、ピ、プ、ペ、ポ」「ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ」等の発音だらけで、日本の五十音の発音だけで構成される言葉は、あまり見当りません。

私を方言で言うと「バー」、太陽が「ティダ」、鎌が「ガッキ」、笛が「ピーラキ」、太るが「パンタル」、逃げるが「ピンギル」、てんぷらが「パンビン」等、載げれば限がなく、日本にそのような言葉があるのだろうか、と疑いたくなりますが、紛れもない事実。

何んの因果か、ハブの事も「パン」と呼び、足、ハブ、パンを方言で言うと、パン、パン、パンになり、てんぷら、太る、逃げるが、「パンビン、パンタル、ピンギル」。

最近、南の国から輸入される果物等の呼び方を聞くと、アボガド、パパイヤ、マンゴウ、パイン等、島の方言にゴロ合いが、ぴったり合う発音に驚かされ、少なくとも日本の南端地区では、南方説を裏付ける現象がみられます。

また、「ようこそいらっしゃいませ」という、歓迎の言葉を「オーリ、トーリ」 と表現。

石垣島の商店街のアーケードに、この言葉が大きく、「おーり とーり」と掲げられています。

しかし、ほとんどの観光客は、「おーり 通り」と通り名を連想。

通りとは全く別な場所で、歓迎の「ようこそ、いらっしゃいませ」、「おーり とーり」の立て看板に出会うと、初めて疑問を感じ、正しい解釈をするようになります。

おかしな事に、石垣島の人通りの一番多い交差点に、カニウマの二人乗りは、やめましょうと、大きな立て看板。

本土の人は、蟹のように、横歩きをする、珍馬がいるのかと、興味をそそられますが、実は、カニウマの二人乗りとは、自転車の二人乗りの事で、

自転車の事を、カニウマ と言うのです。

金馬(カネウマ)が訛ってカニウマ??

本土のチャリンコ、いかにも可愛らしい呼び方だと感心させられられましたが、石垣島のカニウマは、ユニークな情緒のある呼び方ではないだろうか。

他にも面白い方言があります。

例えば、昔を方言で言うと、「パ~ンティ」と言います。

高校時代、物語を方言で発表しようという事で、昔々、というくだりを、いきなり「パ~ンティー、パンティ・・・」 と切り出すと、女生徒がキャーと大笑い。

パンティーと解釈され、爆笑の内に物語は終わりました。


1067 鼓動は泣きません


これから先、何十年間、動いてくれるのだろうか・・

きのうも、明日もご苦労さん!

どんなに、どんなに辛くても。

泣く事、知らない鼓動さん。

打ってみせます、淡々と・・

淋しがり屋の、精神さん!

泣き虫、弱虫、飛んで行け!

そうです、我々の精神は、淋しがり屋で、泣き虫です。

しかし、鼓動は泣きません。

しっかりとした足取りで、辛かろうが、嵐が来ようが、淡々と打ち続け、精神も一緒に頑張ろう、と元気ずけ、導いてくれる事でしょう。

人は、一人ぼっちだと思うから、辛いんです。

寂しいんです。

愛する人を失い、生きる事すら辛く寂しい時、貴方を命ある限り、励まし続ける・・

そうです、頼りになる味方が、身内にいたのです。

生涯の伴侶が、出来たのです。

現時点でスタートする鼓動や、最後の一鼓、役目を終わる鼓動あり。

例え五十億個の一つでも、響きに無意味はなく、人種や貧富、男女や宗教の差別や区別なく、全ての人に平等に脈打つこの鼓動。

生き延びたい、と願いながらも、飢え等で消えゆく命を見る時、何のために生まれて来たのか。

人間として最低限、鼓動を維持出来る食糧が、確保されるべきではないかと、考えさせられます。

命の誕生、精子と卵子が合体した時点で、鼓動はスタート。

細胞分裂で肉体が育まれ、その上に精神が芽生え、一人の人間として成長。

そして人々は、己の分身、証として新しい命を引き継いで行きます。

しかし、鼓動が停止した時点で肉体は滅び、精神は、瞬時に消滅する。

鼓動は、万人平等に与えられた最大の宝。

何故、脈打っているのか?

止まる前に、何をなすべきか?

今一度、人間の"命の原点である、”鼓動”と言う側面から己自身や人生を見、物事を見定める必要があるのではないだろうか。

人々が、人種や国境を越え、お互いの鼓動を尊重し合い、地球全体が幸せの鼓動の響きで覆われん事を願っております。


1066 鼓動との対話


脳死という言葉がありますが、脳が死んでも鼓動は続いており、逆は成り立ちません。

不幸にして道半ば、やむなく止まる事を宣告され、残る鼓動をどう使うべきか、と思案に暮れる人生があるかと思うと、朝の目覚めに己の鼓動へ触れる時、昨夜来、全ての機能が休んでいる間も、元気に続けるこの響き。

値千金で、感謝せざるを得ません。

これほどすばらしい鼓動でも、一度止まったら終点。

例え、栄耀栄華を極め、いかなる名声を得ようとも、間違いなく止まる宿命を帯び、ただひたすら打ち続ける。

これしかなく、無意味に打たせれば、白髪とシワが増えるだけ。

しかし、精神には終点がありません。

音楽や芸術の世界、生き方など、先人達が残してくれた思想や、素晴らしい作品に、何百年後でも感動させられ、小さな事でもいい、自分の子供にだけでもいい。

何かを残せる人生を、歩みたいものです。

一人ぼっちで寂しい時、人生の嵐が襲い掛かり、苦しい時、そっと胸に手を当て、生まれた時と変わらない、清らかな響きで打ち続ける、鼓動との対話を試みてみましょう。

今まで、何十年間、動き続けたのだろうか?

精神が全てを休め、ぐっすり眠っている間も、暗闇、孤独、何のそのと打ち続けるだけ。

ひと休みしたいだろう・・

疲れるだろうに・・

 1175 豊年際

  黒島には、かなり古くから伝わる、豊年際の、ハーリー競争がある。 ハーリー競争は、中国や沖縄本島、石垣島や周りでも行われているが、この黒島の場合、かなり違った行事である。 船を漕ぐ競争だけでなく、ウーニーと呼ばれる、走り手、その競争が、かなりメインの役割をする。 写真は、ウーニ...