2026年6月8日月曜日

111 人生最後のゴール

 三高流行の今時、しっかりした考え方に感心させられました。

確かに三高に越した事はないはずですが、世の男性に求められているのは外見や条件よりも、その人の持てる内面的な考え方や個性、生き方ではないだろうか。

夢を語り人生を語り、一緒になって人生ドラマを築き上げて行こう、と真剣に取り組む姿に本当の男らしい魅力が感じられるのです。

燃える男の情熱、希望に胸膨らませ、光り輝く瞳に心惹かれる女性が現れるはずだ。

見果てぬ 夢がある限り!

たった一度の人生なら!

試してみよう この人生!

必ず 結果が出るはずだ!

何を言われようともたった一人の、自分だけの夢を持ち、未知なる道を求め、見たことのない、他人の真似事でない花、人生の一輪を咲かそう。

そして人は、泣いても笑っても、黙っていても年を経ますが、この世に生まれた以上幸せを求めない訳にはいきません。

生まれたい、と望んで生まれ出る人は一人もいないはず。

もし、生まれ出たくて生まれ出た人なら、生まれ出ると同時に演説をぶっています。

また、望まなくても死んで行くのが人間。

人生最後のゴールは、たった一人で切るしかありません。

誰も道連れはしてくれません。

二度と戻らぬ人生、一睡もせず、刻一刻と止まる方向へ進む鼓動。

今一度、胸に手を当て対話を試みてみましょう。

今まで、何のために打って来たのか。

これから先、何のために生きるのか。

真剣に考える時、生涯休むこと許されず、けなげに打ち続ける鼓動に負けない、強い精神が求められます。

いかに無駄な時を刻んではいけないのか、過ぎ行く一日の大事さが分かるかと思います。

たとえ喜怒哀楽の激しい、振幅の大きな人生だとしても、恐れることはない!

むしろ、浮き沈みの大きな人生程、他人の気持ちを広く受けとめられ、苦境を苦とせず、信頼される人間になれるのだ。

2026年6月4日木曜日

110 夢こよみ

 子供の頃、日めくり暦でしたがこの暦、不思議と夢が詰まっていたことを思い出します。

誕生日や夏休みまであと何枚か、と1枚1枚めくる楽しみ。

夏休みが日増しに過ぎ、宿題の重みがヒタヒタとのしかかり焦る日々。

年末には、ほんのちょっぴりと薄くなった暦をめくり、お年玉までもういくつ寝ると、とウキウキ。

そして一年間の反省。

元旦には、分厚く真新しいページをめくり、新学年や今年1年間の夢を見る。

昔の子供たちは暦をめくり、知らず知らず日々を重ねる意味を知り、夢が積み重ねられていたのです。

日めくり暦、今の若者たちにもぜひ利用し、常に夢を膨らませ続けて欲しいものです。

そして夢を追い求め、40年が過ぎた今、人間はパンのみに生きるものではないことが、本心から理解できるようになりました。

貧しくても夢のある人生、自分の考えた通りに生きられる人生が最高の人生で、夢のない、老いを待つばかりの人生は、最大の苦痛なのです。

夢を展開し、これが自分の歩んで来た道だ! ドラマだ! とはっきり言える生き方。

そして老後の人生を楽しめる生き方こそが、大事ではないだろうか。

最近20代後半の独身女性と話す機会があり、数年間も交際続行中の恋人がいるにもかかわらず、どうしても結婚に踏み切れない。

訳を聞くと、これと言った欠点もなく、嫌いという訳ではない。しかし夢がない。

会う度に仕事の不満や世の不平を聞かされ、この男の不平不満に、生涯付き合わされるのかと思うとうんざり。

どうしても付いて行く気分になれないとのこと。

109 己の主役ドラマ

 そして、少年の求めた魔法の箱は、当時の状況下、あまりにも大きな夢でした。

好奇心旺盛な光男少年は、諦めることなく、心に秘めて上京するにも三千円の家賃さえ遅れがち。

オーバーが買えない初めての冬「沖縄だってね~ 死んだ亭主のオーバーだから着な、家賃は出世払いでいいよ!」と励まし、慰めてくれた大家のおばちゃん。

オーバーを着た時、湯気が出る程ぽかぽか暖かかったのは、一生忘れられません。

トラックの助手時代、寮費は心配するな、と声をかけてくれた社長。

卒業時、「決して悪いようにはしない、我が社に留まれ!」と言われましたが、どうしてもテレビの世界を求めたいと丁重に断りました。

苦しい中で初めて鼓動に触れ、自分にとっては夢を追い続けるしかない!

たとえ苦しみが続こうとも、進むしかない、と言い聞かせ、自らの手で全国へ映画を放送した時、思わず流れ出た歓喜の涙は、生涯忘れられません。

そして、人は誰でも、夢を見ます。

夢があるから、喜びがあるんです。

初詣の人出に、大勢の人達が幸せを願い、夢を追い求めている姿が見られますが、神に祈るだけで、夢は実現しません。

幸せにも、なれません。

では、幸せとは、何だろうか。

やはり40年を通した中から、夢を、己のドラマ、ロマンとして展開した人生を体験することが、幸せの一番大事な要素ではないだろうか。

小さな夢でも、それを追い求め、努力するからこそ、汗や涙に価値がある。

己のドラマとして展開することが幸せの出発点で、体験をした結果として、幸せが感じられるのです。

まぐれや奇跡を当てにしているような人生では、あまりにも心細い話でしょう。


2026年5月30日土曜日

108 蘇って来る

 少年の目に映った魔法の箱、テレビは、東独はじめ東欧諸国の民主化にも大きな影響を与え、オリンピック中継等でもわかる通り、人々の目となっています。

情報の乏しい小島で育った、ひかる少年の目、子供らしい素直な目、だったのではないだろうか。

今の子供達にもこのような目は、あるはずで、清らかな瞳を見る時、将来、どのような素晴らしい人生が約束されているのだろうか、と期待せざるを得ません。

また親元を巣立つ時、県内にとどまるべきか、当時の、常識を越えた所へ飛ぶか、と真剣に悩んだ時期がありました。

しかし、親は既に50才を過ぎ、自分なりの人生を歩んで来た。

20歳30歳と歩む、己の今後の人生を考えると、ここで別れがあったとしても生涯離れ離れになったとしても、自分の人生を優先すべきだ。

という結論を得、行動に移したのです。

はたして何が少年に、生涯を左右する大きな決断をさせたのだろうか。

おそらく、遊びや悔しい思いの中から、沸々と湧き出た情熱でしょう。

あの甲子園で繰り広げられる高校野球、若者達が、たった一つの目標のため、最大限努力し、熱き鼓動、燃える鼓動をぶつけ合う。

勝っても負けても涙する、あの姿はブラウン管を通し、燃える情熱を感じさせ感動させてくれます。

光輝く瞳から流れ出る、あの大粒の涙は、どんな味がするのだろうか。

辛苦の涙だろうか

歓喜の涙だろうか

満足の涙だろうか

忍耐の涙だろうか

他人には分からない、自分一人の味でしょう。

流した涙は人生のアルバムとして脳裏に収められ、何万回でも蘇って来ることでしょう。

107 涙

 ひかるは昭和40年の入社時、都会の人にだけは負けたくない、という一心で、自分なりの知恵を絞っていました。

当時のテレビカメラはバカでかく、支える三脚は鉄の塊、ケーブルは78芯で銅の束。

それをカメラ台数分セッティングし、撤去。毎日が大綱引き。

それに比べ、スタジオは冷暖房完備で、暇な時には、タレントとも気楽に接する事が出来、同期の人達は、大半がスタジオ勤務を希望。

ひかるは都会の人達に負けない為には、丈夫な体を使い、皆が嫌がる中継部門で、自分の存在価値を見い出そう、と考え中継部門を希望したのである。

当時、球場は勿論、ほとんどのホールなど、中継回線が敷設されておらず綱引きだらけ。

しかし体力だけでは、単なるバカ力持ちだけに過ぎず、勝負になりません。

わら半紙を買い込み、毎日出かける球場や劇場は勿論、各区民ホール等の中継車の駐車位置やケーブル長。

引き回しからオケピットや舞台裏の状況。

ケーブルがお客の動線をまたぐ場合のケーブル覆いの絨毯の枚数から色など。

克明にデータを作り、次回そのホールを使う時は、必ずデータを頭に叩き込み仕事に臨みます。

数年後には、関東一円のほとんどのデータが出来上がり、あいつがいれば大丈夫だ、と言われ、若い連中のリーダーシップが取れるようになったのです。

そして30歳で社外族から、会社全体の流れを見る立場に立たされ、自分なりに周りの状況を分析、突破口を見い出したのです。

我々の脳細胞は、120億もあると言われ、この組み合わせから絞り出される知恵は、無限で、枯渇することはあり得ません。

もし、枯渇を心配する人がいるとすれば、それは太平洋の水をバケツで汲み、水が枯渇するのを心配しているようなものです。

無尽蔵な財産を使わずに、このまま灰にするには、あまりにももったいない話である。

ひかるは、波と岩の熾烈な戦いの中にも自分なりの答え、「これしかない!」を見いだしました。

そして父の生き方より、前にも行けず引く事叶わず、ただ現状のまま耐えるしかない。

「これしかない!」ことを教えられ、これしかない道を求めるよう心がけることが出来ました。

誰しもその時々の状況に応じ、今採れる最良の道を求めれば、結果については納得できるはず。

知恵という財産、知財を最大限有効に使うテクニックとして、これしかない 方法を試みる必要があるかと思います。

遅くない これしかない道 やってみよう。


2026年5月26日火曜日

106 知恵

 都会の子供たちを見る時、伸び伸びと遊ぶ場所や自然を見つめ、自分を見つめる場が少ないのには、考えさせられます。

子供は、遊びや自然との触れ合いの中から世間を見、色々な事に興味や疑問を感じ、人間や自然のルール、正しい心のあり方を学びとって行きます。

親の育て方にも問題があるのではないだろうか。

子供は誰しも、多少の癖や粗相はあります。

その部分を拡大するのではなく、良い点を10倍20倍にも拡大。

信じ見守ってやるべきで、子供は親に信じてもらえなければ、誰に信じてもらえるのだろうか。

もし親の考え方や方向づけで、子供の持てる素晴らしい才能や芽を潰すような事があっては、子供の生涯に問題を残し、大きな罪を犯した事になります。

ひかるは14歳で5コマ漫画に出会い、魔法の箱、テレビの解明を志し上京。

当時は、数少なかったできたばかりのカラーテレビ学科を選択。

テレビ業界を目指し、貫き通しました。

今の子供たちには、もっと広い門戸が開かれているはず。

皆が同じ方向に殺到する必要はなく、自分の求める道を本気で全うすべきでしょう。

恵まれ過ぎ、夢が見つけられず、虚無の世界をさまよう若者達を見る時、心痛あるのみ。

子供は、親の宝であると同時に世の宝、無限の可能性を秘めています。

物事を自分で判断し、自分に合った生き方、世界を舞台に活躍出来る、立派な人間に育って欲しい、と願わざるを得ません。

無い無い尽くしの少年が、体一つで生き抜いて行くには、どうあるべきかと考えた時、知恵を使う大事さに気づきました。

一口に知恵と言っても、日常の些細な問題から、仕事や人生に関するまで多種多様。

世の中、大発見と言われるものでも、ちょっとしたアイディアや、見方、発想の転換から出てくる場合が多いかと思います。

成り行きに身を任せて過ごす人や、何事にも知恵を絞りだす人。

こうした個人差、これこそ人生の分かれ目に、なるのではないだろうか。

如何なる有名大学で学問を詰め込んだとしても、それを引き出し、自分の個性に合った知恵として応用出来なければ、宝の持ち腐れ、時が過ぎると忘れていきます。

また、知恵を引き出す訓練の出来ている人は、どんな職種や職場へ回されたとしても、何らかの形で結果を残せる実行力のある人間になれるのだ。

105 花の予備校

 夜学時代はともかく、入社後も仕事に付き合いに、睡眠時間4時間の連続でしたが、今だに風邪ひとつ引いたことがありません。

3番目は、自然の中で育ち、色々な事に疑問を感じながらヒントを得、知恵を使う訓練が出来ていた点です。

どんな難問だとしても、どこかに解決策があるはずで、知恵を使う大事さは言うまでもありません。

4番目は、小さな貧しい島での生活から生まれた、周りの親戚や村人同士が助け合い、思いやる心です。

部下を持った時、100人いれば、100人に思いやる心が大事です。

自分さえよければ、他人はどうでも良い、という自分本意では、部下は付いてきません。

上京当時、田舎者という劣等感やプレッシャーはありましたが、その中でもひかるは、このような環境に育ったのだから、決して都会育ちの人達には負けるはずがない。

と、自分に言い聞かせ前向きに考えていた。

今でも間違いではない、との考えだ。

都会育ちの小学生が、北海道の農家へホームステイとして体験学習し、先生や友達と仲良く遊ぶ中から学ぶシーンが放映されていました。

素晴らしい制度ではないでしょうか。

屋根の雪下ろしや、2キロの雪道通学、厳しい自然と直接触れ、初めは恐れた牛とも仲良くなり、乳しぼりをしたり、父にジャレるが如く牛の背中に乗る。

牛の体温や肌触りの感触、目で交わす言葉など、脳裏に収められ、人生の良きアルバムになったことでしょう。

過疎化の中、廃校にならないよう取り組んでいるとの事ですが、可愛い子には旅をさせ、他人の飯を食わせる。

何事も百聞に勝る体験! 

これぞ生きた教育! 

子供たちの将来を考え、行政面からも制度化、促進する必要があるのではないだろうか。

体験は 花の予備校 人生の。

104 部族を維持

  本土の人には、なかなか理解できないことが、しばしば南の島では起こる。

陸続きでないため、また、その昔はエンジンなるものがなかったため、往来が難しく、方言や風習など、目と鼻の近い島でも違いがあるのだ。

黒島にも数十の部落名が残っており、それぞれの集落が自分達の子孫や部族を維持守るため、他部落との交流や結婚などを嫌ったということが実際にあった。

島の古老達の方言を聞いていると、色々な発見考えさせられるものがある。

方言で「痩せる」は「ヤギ」という。

動物の山羊からきているのかと思うと、動物の山羊は「ピシダ」という方言があり、まったく別ものだ。

逆の「太る」は「パンタル」という。

あれれ?丸丸に太った動物、中国にパンダがいる。

パンタルは、パンダと関係あるのかな?

ところで、テレビでは痩せる、ダイエットが流行っているようだが、そのうち日本全国、豚ではなくヤギだらけになるのかな?

あなたの周りに、ヤギ君いる?

パンタル君いない、あなたは、ヤギになりたいの?

我輩は、ヤギである。

ひかるは小さな過疎の島で生まれ育ち、都会育ちの子供達に比べ、恵まれていたのではないか、と考え、自負する点が多々あった。

一番目は先祖代々台風と戦い、作物が薙ぎ倒されようとも、忍耐強く生き抜いて行く。

根性なるものが、生まれながら宿っていたのではないかと思う点。

今の若い人達には、古くさい言葉に聞えるかも知れませんが、長い人生を歩む上では、コツコツと目標に向かって努力する、ということは大事な要素ではないだろうか。

2番目は子供の頃から裸で育ち、灼熱の太陽エネルギーを目一杯体で吸収、人一倍健康な体が育まれたのではないかと思う点です。


103 画

  


ヤギである。


2026年5月24日日曜日

1102 海の色

 沖縄県で3番目に大きな石垣島は、人口約5万人。

世界で初めて黒真珠の養殖に成功した地の一つで、鮮やかなエメラルドの湾。

波間にキラリと光る真珠の輝きがあり、入江に浮かぶ島々は真っ白い砂浜に取り囲まれ、砂浜から深みへの微妙な色の変調は絵の具を流し込み、風の筆で描かれたのではないかと思われる眺めです。

この色は、どうして砂に染まらないのだろうか?

例え、どのような名文をもってしても表現は不可能でしょう。

決して日本三景に見劣りのしない絶景。

一見に値するのでは無いだろうか。

 風筆や 描き尽くさん 八重の島

 海の色 湧き出る元か 川平湾

近年川平湾には異常に外国人が多い。それも中国や台湾 近くの東南アジア諸国の人ではなくヨーロッパ系の人でフランス人が大半。

ボンジュールが連発される石垣島だ。

訳を聞くとフランスの著名な旅行雑誌、価値ある観光地ベストテンに川平湾が入っているとのこと。

ぜひ一度、その目で確かめてみてください。


1100 画像

  


川平湾(かびらわん)

1101 西表島

そして、この残された自然を観察すると、動物たちは、月の引力による旧暦での行動。

黒島では、旧暦の決まった日の満潮時、島中のカニが、一斉に海へ向かい産卵をします。

道路や砂浜までが、足の踏み場もないくらい、カニで埋め尽くされ、これ程のカニが生息していたのかと思わせる数。

海は、卵で赤く染められ、ほとんど魚の餌食になる中、わずかながら、生き残って行くのです。

甲羅が5センチ以下のカニ、どうやって産卵日を計算しているのだろうか?

年に一度、間違いなく日時を計算し、一斉に産卵する自然の営み、一度は都会の子供達に見せたいものです。

また、日本では、唯一亜熱帯気候に属するこの地区は、2月に入ると、気温が二十二、三度にも上昇し、どっと春風が押し寄せ、百花繚乱の季節。

もし桜があれば、間違いなく正月には咲くでしょう。

3月には日本一早い海開きが行われ、暖かい春風が、沖縄本島へ九州へと北上、日本の春は、八重山の元旦から出発していくのです。

南国の山々は、一年中緑を湛え、春夏秋冬というはっきりした変化もなく、季節は北風の吹く季節とか、うりずんの季節、という呼び方で表現され、春夏秋冬という方言も見あたりません。

ひかるが上京して一番驚いたのは、山一面が紅葉し、落葉する事でした。

初めての冬、木々が落葉し、裸山の姿を見た時、間違いなく枯れた、木々が新しく地面より芽ぶき大木になる迄、これから何年かかるのだろうか。

化学兵器が使われたのか?

天変地異が起きたのか? と考え、この世も終わりではないかと思ったものです。

子供の頃不思議に思った、落ち葉焚きが後に理解出来るようになったのだ。

また考えられない事かもしれませんが、ひかるの家の前には、自然のサボテン林がありました。

トゲがあるため、人間や牛馬、他の動物は一歩も入れず、トカゲやヘビなど、爬虫類の格好の棲家。

サボテンと言うと、誰しもメキシコを連想するかと思いますが、日本にも自然のサボテンが群生する気候があったのです。

そして、誰しも、沖縄の自然は素晴らしい、と絶賛しますが、この八重山地区は離島のため、未だにあまり知られていません。

この地域は珊瑚群が、海底いたるところに見られ、この海域に眠る、世界屈指の珊瑚群は、復帰に伴う、日本最大の財産ではないでしょうか。

台風が作り上げた地形や山並みの変化に富み、西表島は、全体が絶景の至りで、沖縄本島に次ぐ大きな島にもかかわらず、人口は1700人程度。

いかにこの島が人を寄せ付けなかった島なのか分かるかと思います。

そして地球上の動物が絶滅していく中、20世紀最大と言われる、イリオモテヤマネコが、古代の生態系を残したまま、この島で発見されたのです。

遥か昔、西表島が中国大陸と陸続きだった時より生き続け、動物学上、貴重な猫だとの説。

外国からは、経済アニマルと呼ばれ、自然破壊が激しい国に見られていると思いますが、世界に類なき動物が生息する日本、おおいに誇るべき発見ではないだろうか。

今日も日本のどこか、息を潜め、獲物を狙う、百万年来生き続けた、古代の目が光っているのかと思うと、大きなロマンを駆り立たせてくれます。

古老の話によると、その昔、この西表島は山国のため、収入が少なく、税金を滞納。

島ごと、税金のカタに取り上げられ、国有化し、開発されなかったと言っていましたが、真意の程は、定かではありません。

2026年5月21日木曜日

1099 魔法の箱物語

 普段は、15、6頭の牛を庭先の牧場で放牧し、牛には家族の名前をつけ、子や孫と話すように、牛と対話しながらの生活。

いち早く血統書に注目、島根県産の血統書付母牛を導入。

初めの内は、訝かられたそうですが、今では血統書が重宝されるようになりました。

牛は、子を産むごとに、角に一輪ずつ節目がついて行きますが、父の牛は、血統書の生年月日と、節目の数がぴったり合う、いわゆる、毎年子供を産む安産型、骨太で肉付のいい優良牛だったのです。

その牛を競売に出したところ、今までにない最高値が付き、大きなトロフィーが贈られ、位牌の横に、誇らしげに据えられました。

父は小さな島で一生を終え、息子と一つ屋根の下で生活する事が、叶わなかったにも関わらず、幸せだったと思います。

きっと、ひかるがテレビを運んで来る、と信じ、自慢していた父。

親にとって、息子が信頼出来、自慢出来る事は、最高の幸せではないだろうか。

そして貧しいながらも、住み慣れた土地で、生涯が送れたのです。

家で映画が見られる、魔法の箱物語。父は最初から賛成していましたが、晩年の父の姿に、その訳が分かりました。

映画が好きで、特に洋画の世界は、我をも忘れる大好き人間。

過疎の村で、朝一番に、お茶ではなく、コーヒーを点てて飲み、洋画の世界に浸る父は、本格的なロマンチストだったのでしょう。

少年の夢、父の理解が大きな役目を果たし、5コマ漫画のロマンは、親子2代のロマンでした。

我々日本人は、大自然に浴し過ぎ、恩恵を過小評価しているものではないだろうか。

北海道から、南は台北よりも南に位置する、八重山地区までの海岸線の総延長。

暖流や寒流が交差し、北が氷に閉ざされている時期とて、南の島では水泳が出来、四季折々の花や食べ物など、季節感が楽しめる。

これ程、自然に恵まれた国は無いでしょう。

特に最南端の八重山は、商業放送のテレビが最近開通したばかり。

観光事業や他の事業等も経済的な面で、採算がとれず、孤立した地区として、乱開発されず、豊富な自然が残されて来たかと思います。

1098 テルビ

 親に隠れ、おじいちゃんの位牌に線香をあげる、中学1年生の息子を感じた時、一人旅は無駄ではなかった。

学校では学べない、大事な事を南の小さな島で学んで来たな、と。

おじいちゃんも、孫と1カ月間同居出来、天国へのなによりのお土産だった事でしょう。

 ひかるの父は、島で生まれ育ち、島から出た事がありません。

勿論テレビなんて物は見た事もなく、何度言い聞かせてもテレビの発音が出来なく、テルビ、テルビと言っていました。

役場や農協の窓口の事務員を捕まえ、息子が東京で、テルビをやっているといつもの自慢話。

遠い田舎の事です。テレビの組立配線工として働いているのだろうとしか、思わなかった事でしょう。

帰郷の際、早速農協や色々な所へ連れて行かれ、東京でテレビの番組を作り、全国へ放送しているんだ、と話したら驚かれたのも当然。

更に、自慢話にハクが付きました。

子供達との同居をかたくなに拒み続けた父も、孫から要望され上京を決意。

島を引き上げる前、夏休みに家族全員で会う事を約束。

4月に他界した時、通帳に孫二人分、10万円ずつの飛行機代が用意されていました。

島のこの家で、家族そろって過ごす日、指折り数え待っていたのです。

夏休み迄には、まだ間があるのに・・

孫達には、お金に変えられない、おじいちゃんの気持ちが伝わったのは言うまでもありません。

父が必死で守り続けたこの家で、家族全員泊まる日、小さな夢、小さな幸せを叶えさせてやりたかった。

1097 恐怖の体験

 ひかるの息子、光一が、小学校6年生の夏休み。自然との触れ合いや冒険を体験させる、良いチャンスと、島のおじいちゃんの所へ、一カ月間、一人旅をさせました。

12歳で飛行機や船を乗り継ぎ、2000キロも離れた島への一人旅、不安だった事だろう。

島へ着いた夜9時頃、息子からの電話。

「おじいちゃんが、寄り合いに行き、一人でいるけど、オバケが出るよ! 怖いよー、今すぐ帰りたいよー」と、泣きべそ。

無理もありません。周りは家もなく静寂そのもの。

時期的に、コウモリの大好物な、防風林の福木の実が熟し、暗闇の上空を奇妙な声で行き交っており、遠くに聞こえる、フクロウの鳴き声も都会で育った子供には、恐怖の体験でしょう。

その家は、お父さんの育った家だし、オバケなんか出ない、男の子が、1カ月間の約束を破るな、と諭しました。

息子は畑仕事や牧場を手伝い、漁へも同行。

腰痛で、50メートルごとに立ち止まるおじいちゃんが、海へ入ると、もの凄いスピードで泳ぎ、素潜りで魚を取って来る姿に、驚いたとの事。

おじいちゃんの腰痛を見かね、初めての料理、目玉焼きを作ると、事のほか喜ばれ、失敗しながら何度か作るうち、うまく作れるようになったとの事でした。

無事、1カ月が過ぎ、黒々と日焼けして帰って来ると、早速お風呂へ入ろうとの誘い。

ひかるの足を点検、傷跡を見つけると、あったあったとはしゃぎ、ひかるが怪我した時の様子をおじいちゃんに聞かされ、確認したかったとの事。

おじいちゃん、本当の事を教えてくれたんだね・・と。

この際、ほかの傷跡も、一つ一つ教えてやりました。

この傷は、漂流した飛行機の残骸を解体中につけた傷だ。

この傷は、自転車の発電機で風力発電をしようと、木の上へ取り付けるため登り、その時落ちてつけた傷だ。

この爪は、水中鉄砲を作る時、留め金が外れ、潰したんだ。

など、教えると、興味深げに、目を白黒。

小さな手で、傷跡をさすり、「痛かった?」 と見上げる瞳は、輝いておりました。

そして夕食時、お父さんに意見がある、島のおじいちゃん、一人で生活するのは無理だよ、家に引き取ってくれ、と言われた時は、一人旅をさせてよかった、逞しく育ったなあ、と感心させられました。

翌年、同居の段取りを進めている最中、おじいちゃんは亡くなったのです。

孫の見る目は正しかった。

2026年5月20日水曜日

1096 別れ

 昭和63年4月、父危篤の報に、急ぎ帰郷。

しかし、父と会えたのは、息を引き取ってから既に15時間が過ぎていました。

ひかるがきっとテレビを運んで来ると、ひかるの作ったテレビが見られる日を、生涯の楽しみにしていた父は突然心筋梗塞に襲われ、79歳で帰らぬ人となりました。

ひとつ屋根の下で住みたかったのに・・

許してくれ!

少年の夢を見守ってくれて、

有難う・・

有難う・・

冷たくなった父を抱きしめ、何度も何度も呟きました。

お互い死に水は取れないと覚悟の上とは言え、何の反応もしなくなった父の姿に、「親不孝な息子だったのか」最後に一言答えて欲しかった。

15時間も経過しており、ゆっくり対面している間もありません。

喪主としての段取りや弔問客との応対、時は目まぐるしく過ぎ、仏事での貸切船や船頭へのしきたり等、長老の皆さんに教わり石垣島から黒島の墓へ無事納骨。

島の家で、位牌となった父と二人っ切りになった時、親子でありながら、生涯に交わした会話の、余りにも少なかった事を、しみじみ感じさせられました。

振り返ってみると、中学時代は、一家を襲った試練に両親が必死で立ち向かい、高校は石垣島での下宿生活、卒業と同時に上京。

親子が一緒に生活する期間が、余りにも少なかったのでした。

父は島を離れられず、息子は夢を追い続けるしかなく、別々の道を歩むしかなかった。

親子の絆のあり方、人生はこれしかなかった、と自分に言い聞かせるしかありませんでした。

もっと、たくさん話し合いたかったのに・・こんな親子関係で終わりたくなかったのに・・今となっては仕方がありません。

父は周りの人達が島を引き上げる中、目の前に広がる海を味方とし、自分には太平洋という、大きな畑がある。

海がある限り魚は獲れる、決して飢える事は無い、と言っていました。

この海は、息子や娘のいる東京まで続いているんだ、といつまでも浜に佇み、語りかけていたとの事。

弔問客も途絶えた真夜中の三時、父の愛した海が懐かしく、浜へ出てみました。

南国の夜空に、黙黒の大海原。

千古変わらぬ、さざ波の音。

遥か彼方より漂う、潮の香りを体一杯吸い込み、別れの杯を交した父の事を思い浮かべた時、満天の夜空に、白い歯でニッコリ笑う日焼けした父の顔が、超特大パノラマ画面で映し出されました。

親父! 親父は世界で一番、素晴らしい親父だった。

ひかるは、世界で一番幸せな男になったぞ! と言ってやりました。

必ず両親の眠る墓に、テレビを届けてやる!

親子の約束、必ず果たす迄頑張る、と心に誓い位牌を胸に、島を後にした。

テレビを待つ島の子供達や、お年寄り達がいる。

・・ロマン旅 いつまで続く また歩く・・。

1095 画像

  


親父~・・


1094 防風林

 太平洋に浮かぶサンゴ礁の島は、リーフに打ち寄せる白いさざ波と、砂浜で、二重に縁どられ、家々は、四角い石垣と、鮮やかな緑の防風林にかこまれいます。

サンサンと降り注ぐ光と、鮮やかな原色の中、大地を踏み鳴らし、指笛を吹き、拳を握りしめ、力強く、激しい陽気な歌と踊りの世界。

汗あり、人々は、嬉々として、活気づいております。

そして汗ばんだ体を、夕凪が心地よく洗い流していく頃、待ちかねたように現れる一番星。

静寂の夜も深まり、ひときわ心を揺する、潮騒の音。

見上げると、満天に光り輝く星空。

しかし、この夜景は、昼間と様相を一変させてくれます。

星々の光は反射光で、影や色を再現する程強くなく、明るくない。闇でもない。淡い幻想的な、ふわっと浮く明るさのモノクロトーン。

青白い、冷たく透き通る光が、温暖な気候には、見事に溶け合います。

真っ赤なハイビスカスや、エメラルドの海など、原色の世界から色が消え、影のない、おぼろげな星明かり。

潮風は、体を通り抜け、草花は、夜風になびき、砂浜にたむろする恋人達は、影絵そのもの。

白いうなじにそよぐ黒髪は、一段と強調され、目元や鼻筋の陰影、微妙な濃淡の唇からこぼれる、白い歯。

かすかに現れる、モナリザの微笑など、今まで感じた事のない、エキゾチックな墨の世界が発見出来るかと思います。

この星明かりの世界、不思議と身も心も、和ませてくれ、繊細な部分や微妙な変化を見逃す事なく、再現してくれますが、なぜだろうか。

おそらく、視界に眩しく光る物がなく、猫の瞳孔が全開する如く、人間の目や心が、共に見開かれるためではないだろうか。

壮大な夜空を南北に割り、宝石をちりばめた、橋のない川、天の川。

年に一度、川を渡る、男女の逢瀬があると言う。

川幅は、何光年にも及ぶ事でしょう。

数え切れない星の数、砂粒一つが地球に値すると言うのですから、昔の人は、とてつもない、夢を描いたものだと感心させられます。

そして、昼間の原色の世界から、星座を眺め、エキゾチックな潮騒の淡い幻想に浸る時、心が穏やかに澄んで行くのが感じられます。

この大きな心の振幅の中から、人間としての情操が芽生え、育まれて行くのではないだろうか。

子供の頃、清らかな心の、まん丸い満月のような、欠ける所のない、立派な人間になりなさい、という意味の子守歌を聞き、満月を眺め育ちました。

星空を眺め、星の数は数えようと思えば、読めるけど、親の愛は、数えられない、という意味の歌など、今でもこの地方では、唄い続けられています。

誰もが思い出す、七夕祭りの彦星、織姫物語。

かぐや姫物語、月の砂漠の歌、幼い頃、歌い踊った、モーツァルト作曲のきらきら星等、月や星を眺め、幻想的で、おぼろげな世界。

その昔、日本全国、電気や車はなく、空は澄み、おぼろげな星あかりの世界は、各地で感じられ、人々の心に、大きな影響を与え、情感豊かな人間味が育まれたのではないだろうか。

あなたは、愛する人の瞳に映える星を、見た事がありますか?

人生、昼間と夜は半分っこ、太陽の下では星は輝きません。

また、我々の人生、陽のあたる時ばっかりとは限りません。

悩みや悲しみに光を求め、迷う時、星は一条の光を与えてくれる事でしょう。

人間として生まれ、月や星と無関係に生きるのは、大きな不幸ではないでしょうか。

星空に縁遠い都会の子供達、星の巡り合わせ、赤い糸で結ばれた親子の絆のあり方、子守歌代わりに、教えてやる必要があるのではないか。

人は、豊かな自然に触れる時、豊かな心が培われて行くのではないだろうか。


1093 二十歳の夢

 

昭和39年、小さな島から出て来た青年には、成人式とて誰も祝ってくれる人はなく、同郷の親友と二人、着飾る同年代を横目に、お金のかからない新宿御苑へ出かけ、二十歳の夢を語り合いました。

ひかるは、テレビの世界で生きて行く事を表明したのは、当然。

親友は、人に使われるのは嫌いなので、人を使う人間になる。すなわち、社長になることを表明。

当時、沖縄出身者だと、パスポートや身元保証人問題等ハンディキャップもあり、条件の良い会社へは、なかなか就職出来ず、使われる身で、よほど悔しい思いをしたことでしょう。

30年後、親友は、立派な大社長になっていました。 

いち早くコンピューターを導入、ステンレスを設計図通り自由に曲げる技術を確立。

列車や飛行機の厨房システム、ホテルの大型厨房システムなどの特別注文品を作れる会社を設立し、二十歳の夢を見事に実現して見せたのです。

小さな島から着の身、着のまま上京、金やコネ、頼れる人とてなく、自分の夢を追い続け、寸分の狂いない技術を確立するには、どれだけ知恵を絞り徹夜をしたのだろうか。

「この工場の地には、俺の汗が沁み込んでいるんだ」と言った言葉は、忘れられません。

共に少年時代を南の小島で過ごし、体一つで上京、二十歳の夢を語り貫き通した二人。

「夢は実現出来るものだなあ・」としみじみ。

「いつまでも、老少年で生きよう、旨い酒を飲もう・」と年に数回酒を酌み交わし、未だに未来を語り合う弥次喜多道中の男同士。

いつの日も、友は宝だ、ライバルだ!

現在、人口5万人の八重山地区からは、著名な人達が数多く輩出しています。

中でも、昭和39年から12年間、早稲田大学総長を努め上げた大浜信泉氏は、この地区の誇るべき師として仰ぐ大先輩の一人。

師が声を大にし「人は生まれた所で、価値が決まるものではない!」と言った言葉は、師ならではの、含蓄のある、奥深さを感じさせてくれます。

おそらく上京当時は、若く、命を賭けた決死の時代だったことでしょう。

そして激苦の人生を歩まれ、この言葉に表現されたのではないだろうか。

早大生はもとより、我々も師の言葉を座右の銘とし、後世まで引き継いで行きたいものです。

また、政財界にも多くの知人を持ち、当時の佐藤栄作総理大臣を動かし「沖縄の本土復帰なくして戦後は終わらない」と言わしめ実現。

プロ野球コミッショナーや数々の要職を歴任。

更に沖縄海洋博や、復帰後の復興に情熱を傾け、自ら尽力した事はあまり知られておりません。

他にも、カンムリワシと呼ばれ、全国を沸かせた、元ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高君も、この地区の誇るべき出身者。

沖縄は戦前、戦中、戦後と波乱万丈の歴史を歩んで来ました。

また沖縄出身者も一人として恵まれた人はいなかったはずで、上京後それぞれの人生模様を体験したかと思います。

やはり人間は、ハングリー精神が大事で、ふるさとへ戻るに戻れない。

前へ行くしかない!

この気持ちが、強い人間に鍛え上げて行くのだろうか。

ふるさとは、辛き人生、慰める。

ふるさとは、いつも優しき母の顔。

2026年5月19日火曜日

1092 サンゴの花

 親サンゴは、動く事できず、自分の産んだ卵が、生き延びているのか、生死すら確認する事叶わず、2度と会う事も出来ず、ただひたすら、子の無事を祈るだけ。

私たちに、生き延びる厳しさを教えてくれ、まかり間違っても、殺めないで欲しい、と叫ぶ、親サンゴの願いが届くはず。

そしてサンゴの産卵、潮の流れが風となる、命の舞。

一度見ると、サンゴに対する愛着と理解が、一層深まるのではないだろうか。

また、黒島のサンゴに囲まれた海面下、1メートル前後の岩に、ある日忽然と、直径十数センチくらいの、岩の付け根が薄い茶色、花自体は、濃赤色のシャクナゲに似た花が咲きます。

薄くて、ゼラチン状の、ぬるっとした肌触りで、あまりにも薄く、潮流があると破れてしまい、咲く事は出来ません。

台風が綺麗に洗い流した後、潮流がほとんどない、直射日光が届く場所。

毎年咲く訳でもなく、同じ岩に咲くのでもなく、ある海域の何処か、一輪咲くだけの不可解な岩花。

サンゴの1種かと思いきや、4、5日後には跡形もなく消滅。

サンゴとは違う、微生物の集合体ではないかと思われ、今だに訳の分からない、幻の岩花。

観光客の多い今、幻の岩花は、見られるのだろうか。

111 人生最後のゴール

 三高流行の今時、しっかりした考え方に感心させられました。 確かに三高に越した事はないはずですが、世の男性に求められているのは外見や条件よりも、その人の持てる内面的な考え方や個性、生き方ではないだろうか。 夢を語り人生を語り、一緒になって人生ドラマを築き上げて行こう、と真剣に取り...