2025年7月18日金曜日

1065 値千金

 

我々の日常は、朝晩寝起きし、時計は回転して元に戻り、一年が終ると、また新しい年を迎える、が繰り返されています。

人生もまた、繰り返しの連続のように錯覚しがちですが、繰り返し以外にも、子供の誕生や親との別れ等、繰り返す事の少ない事もあり、人生が成り立っています。

人生を80歳まで、生きられると計算し、80センチの物差しに置き換えて見ましょう。

物差しの10ミリを12か月単位に置き換え、仕事や結婚の経歴、上段には親の年齢で、下段には女房や子供達の年齢を棒線で記入。

この一方通行のスケール上で、家族や人生を考えると、子供の進学や成人の時、自分は何歳で、子供達と、どのような会話が必要か。

教育資金が、一番必要な時期に、どう対応すべきか。

定年時、家族の年齢や状況が、どうなっているか。

位置付けが、よく理解出来、今後の展開等、色々な新しい事が、発見出来るかと思います。

人生は不確定要素があり、完璧とはいきませんが、決して後戻りの出来ない、一方通行のスケール上で、物事を考え、

人生の目標なりを設定する事により、毎年繰り返す事柄と、五年や十年、生涯を通して貫く事が、年代ごとに計画され、

己の人生が、より良きドラマとして演出出来、かなりの精度で、人生の青写真なり、予測なりが出来るのではないだろうか。

そして長い人生を考えた場合、我々の鼓動は、一分間に七三回打つとすると、一日に十万回以上、八十歳まで生きるとして計算すると、なんと三十億回以上も打つ事になります。

体内に張り巡らされた血管の総延長と、片時も休む事なく、三十億回以上も血液を送り続け、回収する作業。

しかも酸素やビタミンなどの量を調節し、八十年も打ち続けるのです。

地球を何周するのだろうか?

生涯、どれだけのエネルギーを生み出すのだろうか?

いかに技術が進んだ現在でも、部品交換なしに八十年間、動き続ける機械を作る事は不可能。

己の持てるパワーの偉大さ、改めて考えさせられます。


2025年7月16日水曜日

 1064 ハブジャンプ

 

また、ある虫が発生すると、ある魚種が近海に集まっている、と言う虫との間違いない関連もあります。

小さな島、周りの海から吹いて来る風、虫などの情報は、生きて行く大事な知恵でした。

ひかるが子供の頃、島の収入源は、サトウキビ生産で、サトウキビは、ネズミの格好の餌。

ネズミが繁殖し、その天敵として、猛毒を持ったハブが、大繁殖していました。

ハブは、脱皮をするので、皮を見ると、どれくらいの大きさか、ハブの棲家が、どの近辺かは、子供同士の情報交換で察知出来ます。

しかしハブは、かなりの行動範囲を持っているので、常に心の準備が必要でした。

ハブに噛まれた人を数多く見、ひかるも噛まれる直前の危険な目に何度か遭い、毒の猛威は、嫌という程知り尽くしていました。

噛み所によっては、命に関わります。

昔からの知恵で、島の道には、真っ白い砂を敷きつめてあり、美観の問題は勿論、夜道を歩く時、ハブが発見可能なように出来ています。

石垣の合間から、ハブが出てきた瞬間、本能的に、ガニ股で飛び退きます。

いわゆる、究極の「ハブジャンプ」です。

これは、子供の時から、親に教えられなくても、自然に出てくる行為。

それが出来なければ、猛毒を持ったハブに、間違いなく噛まれていた事でしょう。

上京して間もない頃、歩道を横断中、なにげなしに足元を見た瞬間、ハブが現れ、思わずガニ股、ハブジャンプ!。

自転車で横を通り過ぎようとした、おじさんと、もろにぶつかり、怒鳴られました。

まっすぐ歩けば、いいだろうに!

わざと、やったんだろう!

謝るしかありません。

前方には誰もいない、すれ違う人もなく、見通しの良い歩道。

いきなり、思いっ切りガニ股で、横っ跳びに出る行為は、自転車めがけ、体当たりをして来た、としか思えないはずで、怒鳴らない人は皆無でしょう。

「ハブが出たので、ハブジャンプをしたのですが・・」と説明しても分かってもらえません。

よく見ると、ハブではなく、ネクタイが落ちており、それがハブに見えたのです。

ハブが出るはずもない、アスファルトに覆われた東京のど真ん中で、子供の頃から、命に関わる本能として覚えた、見事なハブジャンプが出てしまったのです。

改めて、ごめんなさい!

ごめんなさい!

ごめんなさい!

(黒島は今、ほとんど牧場となり、ネズミも激減、そのため、ハブもほとんどいません)

 1063 怒鳴られる

 

ハブの性器は、メスには二つ、オスには四つあります。

数が合わないので、疑問に思いますが、オスの性器は、ペアになっており、しかもイボイボ状。

ペアでメスの性器へ挿入し、交尾。

蛇体は絞め縄の如く、もつれ喰い込み、飲まず食わず、執念深くエキスをむさぼりあう。

その姿はすさまじく、犬や牛馬の交尾とは比較にならず、ゾクゾクとさせられます。

しかし、ハブは害のみにあらず。

初夢にハブを見ると、大金が転がり込む、金運の女神、とも言われています。

興味は、海へも向けられます。

魚のヒレに切れ目を入れた場合、まともに泳げるか実験。

必死に、尾ビレで舵を取るにも、ほろ酔いチドリ泳ぎ。

残酷な事をしてしまった、と後悔させられました。

ある時、父が空を見上げ、急に、今日は、ハトッシ(方言魚名)が、大量に捕れる日だと、漁へ出かけ、間違いなく、言った通りの魚種を捕って来るのを目撃。

陸に居ながら、何んで海中の魚の事が分かるのだろうか?

不思議に思い聞くと、風で感じるとの返事。

魚の臭いがする訳でもなく、どうしてだろう?

再度尋ねると、海から吹いて来る風の温度で、北上する黒潮の水温を体感。

近海を、どの魚種が回遊して行くのか、当てるとの事である。

1062 画 ガニ股

 


ガニ股。

 1061 似た者同士

 

子供の好奇心、色々な事に、疑問を感じます。

ひかるは、野生のハトを生け捕り、飛べないよう羽先を切り、ニワトリ同様、飼い慣らそう、と実験。

難なく飼い猫に食べられてしまい、小さなウズラですら、野良猫に襲われても逃げ切れるのに、何んでいとも簡単に食べられるのだろうか、と考えさせられました。

やはり、空を飛ぶ鳥は空で生き、たとえ小さなウズラでも、地上で生きる代々の知恵が備わっているのだなぁと感心。

また、大空を飛び交う、ひばりを観察すると、巣へ入る時、直接巣には入りません。

わざと別な場所へ降り、茅の根を這って近づき、巣に入ります。

直接巣に入ると、カラスに巣の場所を狙われ、卵や雛を食べられる為、知恵を使っているのです。

しかし、巣から出る時は、直接飛び立ちます。

頭隠して、尻隠さず、の格言通り。

やる方もやる方、気付かない方も気付かない方。

どちらも、似たもの同士。

間抜けな鳥もいます。

ニワトリを野生化させた場合、卵を産む度に、必ず喜びの大声を「コケコッコー コケコッコー」と上げます。

カラスはその大声で、卵が生まれた事と、巣の場所を確認、労せずして、栄養満点な卵を頂戴。

ニワトリの馬鹿さ加減は、見て居られません。

他にも無責任な鳥がいます。

野生のハトは、人間に見つからないよう、細心の注意をし、場所を考え巣を作ります。

野生のハトの巣を見つけるのは、容易ではありません。

一度、人間が巣を見つけ、近づいた気配が感じられると、警戒し、二度と巣には戻りません。

多分、人間の匂いを感じるのでしょう。

我が子より、我が命を大事にする、臆病な生き物。

普段は、楽しく飛び回っているスズメやひばり達、台風の時どうするのだろうか。

台風を避け、遠くへ逃げるはずは無い。台風を避け、数十キロ先の島へ逃げ、翌日その島へ舞い戻って来る事は、とうてい考えられません。

それが証拠に、台風が過ぎ去った翌日には、元気よく飛び回っているのです。

その疑問は解けました。

小鳥達は、危険が迫った時、岩穴で台風が過ぎ去るのを、じっと待っているのです。

彼らは、どうしたら尊い命を守れるか、心得ていたのです。

我々も、小鳥の生き方に見習うべきではないだろうか。

時代のうねりや大きな組織力で、一人で立ち向かっては、どうしようもない事が、しばしば身に振り掛かります。

何も一人で立ち向かい、尊い命を落とす必要はなく、厳しい嵐が自分に振り掛かった時、岩穴でじっと時を待ち、思案する事も必要。

嵐が通り過ぎた時、思いっ切り行動に出ましょう。

 1060 時差処理

 

生きていく中、誰もが持って生まれた財産、知恵を使わない方はありません。

基本的な知識は、学校なり、本を読む事で得られますが、知恵は見方、考え方、立場や状況等で、十人十色。

絞り出せば出す程、無尽蔵に出て来ます。

親子や将来に関する問題等、少なく見ても、一人30以上の問題があるかと思いますが、一つ一つの問題に対し、いま採れる最良の方法。これしかない! 道を選んでみましょう。

30通りの、これしかない! があるはず。

後は、その最良の方法を実行するだけ。

そして、30通りの問題すべてが矢と成り、自分の方へ向かって来ますが、すべての問題には時間差があり、その時間差を利用し、一つ一つ処理して行く。

100問題があったとしても、決して、処理不可能と言う事はありません。

今は小さな問題でも、将来は大きな問題になる場合もあり、それに対しては、今の内に手を打っておけば、大きくならずに済ます。

今は大きな問題でも、時間が解決し、消滅する問題もあるかと思います。

良きリーダーに成れる人は、問題点を見つけられるか、処理出来るか、将来、伸ばすべき芽を見つけられるか、そして、育て大きく出来るか、という事へ、知恵をいかに絞り出せるかが、大事な要素ではないだろうか。

数年後に、大きな問題に成る、と判断したならば、担当者を置き、現状のまま大きくするな、と指示。

今は小さくても、将来大きな芽にしたい場合は、しっかり説明をし、目標を持たせ、担当させれば、芽は徐々に育って行きます。

将来、大きくなる問題でも、今は処理が出来ない、という場合は、担当者を置き、調査を継続。

後で経過を知らずに荒治療するのと、知っていてやる事では、処理方法に大きな差が出て来るのは当然。

男の働き盛り三十代、ひかるは八十人の部下を任され、下請けや外注を含めると、百数十人の仕事を処理していました。

だいたいが十五から、二十班に分かれ、国内外取材、翌日以降の予定や下見、打ち合わせや段取り等、同時進行。

他にも兼務が多く、電話は鳴りっぱなし、客は順番を待っている状況で、目の回る忙しさでした。

これ程多くの問題をどう整理し、同時処理しているのか、コツを教えて欲しいと言われましたが、問題処理に、前記した通り、知恵を使っていた事が分からなかったようです。

色々な問題があったとしても急ぐべきか、直接自分が実行すべきか、部下に振り分け、実行させて大丈夫かどうか、即座に判断し、指示して行けば問題にはなりません。

大事な事は、三十本の矢を描き、時差処理をして行く。

このような事は、決してコンピューターには出来ず、そこが知恵を使う人間の、偉大な要素ではないだろうか。

 1059 母は母

 

母は晩年、アルツハイマーとなりました。

上京させるべく父を説得するにも、「母の面倒は自分が見る」の一点張り。

やむなく、石垣島の療養施設へ入所させました。

アルツハイマー特有のものなのか、白衣の医者や看護婦、薬を極端に拒んだとの事ですが、東京のひかるの所へ行けるんだ、と言うと、素直に病院や薬も受け入れ、見知らぬ人を捕まえ、東京のひかるの所へ行くんだと口走っていたとの事。

日増しに容体が悪化しているとの連絡に帰郷。

しかし、あれだけ待ち望んだ対面は、まさかと思われる再会となってしまいました。

既に息子ひかるの面影は、母の記憶の領域に跡形も無くなっていたのです。

お母さん、帰って来たぞ! ひかるだぞ!と声をかけるにも後ずさりをし、部屋の隅へ逃げ、脅えて睨む拒否する眼差し。

妖気すら漂う、一度も見た事のない視線でした。

ひかるが帰って来たんだぞ、と近寄れば近寄る程、恐怖の色は濃くなるばかり。

何んで、息子を怖がるんだ!

何んでこうなってしまったんだ!

辛い時、孤独な時、何時も優しい母を思い出し、例え落ちぶれた姿でも、温かい眼差しで迎え入れてくれる。

どんな時でも母にだけは信じてもらえる、という心の拠り所があったからこそ、今まで頑張って来れた筈なのに・・・

元気な姿を見せ、喜ぶ顔が見たくて頑張って来れたのに・・・

子供の頃、怒られもしました。叩かれもしました。しかし常に温かく見守る眼差しが有り、愛が有りました。

命有る限り、我が身に限って、母の愛が閉ざされるなんて・・

まさかこのような親子の再会に成るとは、一度も想像しなかった・・

夢だに見なかった・・

母の元、一つ屋根の下で生活出来たのは15歳迄。

人間、いくつになっても母は母。

もっともっと甘え「お母さん」といっぱい呼んでやりたかったのに・・

話したい事が、背負い切れない程、沢山有るのに・・

母の事を思い出さない日は、一日たりとて無かった。

母とて一日たりとも忘れなかっただろうに・・・

会える日を一日千秋の思いで待ち続けた母子。

何んで無情にも鉄の扉が降りてしまったのだろうか。

子供達との離別生活、会いたい一心が高じ、アルツハイマーに成ったのだろうか。

待たせ過ぎた! 許してくれ・・・

母の為、何一つしてやれなかった、喜ばせてやれなかった悔しさに、懺悔の波は押し寄せ、断腸の思いに唖然と立ちすくむだけでした。

母子の心さえ通わせられないアルツハイマーの怖さ。

これ程辛くて、寂しい世界があるだろうか・・

母の好物を思う存分食べさせると、脅えが和らぎ、手を握れるようになりました。

そして足腰の弱った母を背負い、散歩に出た時、あまりの軽さにつんのめり三歩歩んで立ち止まる。

ランドセルの重さにしか感じられません。

全ての記憶を失った母に心は通じず、長き別離を償う無言の歩み・・

南国の陽射に汗ばむ背中。

涙は止めどなく、踏み出す影へ、七つ・・八つ・・・・

海を見下ろす丘の上、洗剤の如く押し寄せる白いさざ波。

波の足音は、ザザザーサー、ザザザーサーと浸み、身や心、砂浜までも洗い清めて行きます。

はるばる長い旅路を渡って来たのだろうか、風は優しくすれ違い「風の渡り来る南、生まれ育った島、我が家があるんだぞ、風の行く先、東京があるんだぞ」と語りかけると、心が通じたのだろうか。

母は何時迄も、生まれ育った南の空をじーっと見つめ、他を向こうとはしません。

懐かしい古里、遠い昔の事を思い出しているのだろうか。

首に抱き付く、か弱い両手にこもる力、島を手繰り寄せているのです。

大きくあえぎ、高まる息遣い、首筋に二つ、熱く伝わる母の涙。

翌年、死に水も取れない、心を通わせる事すら出来なかった、永遠の別れとなり、生涯、ぬぐう事叶わず、消す事の出来ない、涙を背負い続ける人生と成ってしまいました。

・・親不孝 詫びる息子の 背に涙・・

 1175 豊年際

  黒島には、かなり古くから伝わる、豊年際の、ハーリー競争がある。 ハーリー競争は、中国や沖縄本島、石垣島や周りでも行われているが、この黒島の場合、かなり違った行事である。 船を漕ぐ競争だけでなく、ウーニーと呼ばれる、走り手、その競争が、かなりメインの役割をする。 写真は、ウーニ...