昭和38年4月、一週間も船に揺られやっと東京晴海港着。
当時の沖縄は米国統治下、パスポート持参、勿論飛行機は飛んでおりません。
上京にはどうあがいても一週間必要でした。
沖縄は電車のない県ですが、島には車や耕運機すら無く自転車すら数台しかありませんでした。
当然お金持ちしか自転車は持てなかった。
電車という乗り物は初めての体験。
けたたましく責め立てるベルに、前の人に連られ急いで乗り込みました。
すると、あまりにもタイミング良く待っていたかのように、ゴロゴロとドアが背後で閉まったのです。
生まれて初めて見る自動ドア。
好奇心旺盛な少年は、ドアに目が付いているはずだ・・
ドアの目がどこに付いているのか、と探しておりました。
次の瞬間、電車は走り出したのです。
自然の息吹と共に伸び伸びと育った、少年の初めての電車。
2026年4月20日月曜日
1012 初! 自動ドア
2026年4月18日土曜日
ひかる通信~
このサイト長い間ご愛読頂き感謝申し上げます。
ハブジャンプ少年ひかるも何時の間にか83歳。
サイトを絞って鼓動ある限り続けたいと思います。
下記URLサイト、混んでいるかと思いますが、
引き続きお付き合い頂きますようお願い申し上げます。
https://note.com/taratara_z88
1011 生き別れ
今更、船から飛び降り戻る訳にはいかない・・
戻れない・・
親子の全てを断ち切った!
木の葉のような橋渡船の父に、最後の別れを一言。
「許してくれ! 息子は亡き者と諦めてくれ・・!」
心底絞り出す言葉は、声になりません。
千切れんばかりに手を振り、今後の無事をひたすら願うしかありませんでした。
船は全ての未練を断ち切り、一路北へ・・・
この船の進む先に、ロマンがある・・
そしてテレビがある・・
過酷な試練が、刻々と近付いているのも露知らず・・
ひかる少年は帆先へ立ち、目を大きく見開き、未来を見つめるだけでした。
(これから先、ひかるはテレビ界で縦横無尽に活躍、結果的に両親の死水は取れなかった)
1010 夕陽の涙
年老いた両親と体の不自由な妹を島に残し、旅立つ息子は親不幸なのだろうか・
10歳の遊び盛りに、足の不自由な妹の遊び相手は誰がするのだろうか・・
何時迄も、何時までも元気に暮らして欲しい・・・
夕陽は周り一面を真っ赤に染め、西の海へ深々と物悲しく沈んでいきます。
なびく髪、風さえも赤く染められ、心に滲み渡る蛍の光。
大海原に落とす夕陽の涙は、今生の別れを惜しんでいるのだろうか・・
無常にも二度目の汽笛は空と海へ途切れ、鳴り渡るドラの音に一段と激しく身を揺するエンジン振動。
溢れる涙に視界はこぼれ落ちて行きます。
未練の糸なのだろうか、夕日に赤く染まった海面に尾を引く白い航跡。
橋渡船の父と本船の少年は、縋る甲斐なく引き離され、大きな人生の別れをするのでした。
この先、妹は兄の帰りを待ち切れなかった。
東京がどんなに厳しい戦場なのかつゆ知らず、松葉杖を突いて着の身着のまま兄を頼りに上京。
地を這う生活苦の中、独学にて国家試験縫製技能一級、更に特級を取得。
東京都の身障者教育に身を捧げる事に成る。
2026年4月16日木曜日
1008 別れの杯
空路が開かれた今では想像出来ませんが、当時、上京するには黒島から朝一便の船で石垣島迄行き、夕方石垣を出港し翌日の昼頃那覇港着、夕方那覇港を出、東京の晴海埠頭まで3泊4日、便数も週2便しかなく更にパスポート持参での上京。
もし危篤の知らせがあったとしても、帰郷するには最低一週間は必要。
ニキビだらけのあどけない顔の少年ながら、決して死に水は取れないだろうと、覚悟しました。
両親を前に生き別れの杯を交わさせてくれと頼み、別れの杯を交わしての旅立ちと成りました。
杯を交わす時、父は決して目を合わせまい、としていました。
拗ねているように視線を外し、何かを必死で耐えている様子。
多分、視線が合えば、上京は取りやめなさい、と口から出るのを耐えていたのでしょう。
両親にとって一番辛い時だったのかも知れません。
ひかる少年は、心から寂しがる両親の横顔を見せつけられ、白髪の様子や禿げ具合、シワの数までしっかりと瞼に焼き付け、刻々と迫る別れが辛く、この世で一番長い夜を過ごしました。
当時、石垣島の港は遠浅の為、沖縄本島行きの大型船が港に入れません。
7、8隻の橋渡船が沖の本船まで荷物や人を運び、最後に見送り人を運びます。
本船は一度目の汽笛でゆっくりと走り出し、見送り船は別れを惜しむかのように、周りを追走。
覚悟の上とはいえ、親との生き別れは、これが最後で2度と会う事が出来ないのかと思うと、あまりにも切なく、身を引き裂かれる程辛いものがあります。
妹は棒切れを突いてピコタン,ピコタン追いかけ「兄ちゃん、行かないで・・」と泣きじゃくる。
「兄ちゃん必ず帰るから」と諭し心を鬼にする。
1007小さな寝息
米国の統治下、勿論、保険制度もなく手術や渡航滞在費等、細々と暮らす一家にとって、とてつもない費用。
遊び疲れたのだろうか、妹は膝に抱かれ小さな寝息、ランプの薄灯かりに映し出される、疲れ切った父の横顔は、藁をもつかむ眼差し。
普段ですら無口な父は、更に無口になって行きました。
11歳の多感なひかる少年は、この大きな試練に家族が押しつぶされるのではないか、と不安に成り子供心にも明るく振る舞う。
無邪気な妹の遊び相手をするよう、心掛けたのでした。
そのうち小児マヒが伝染病でない事が分かり、明るさを取り戻して行ったのです。
9年後の昭和38年、ひかるは高校卒業と同時に東京へ出、魔法の箱、テレビを解明しようと決心。
経済的、精神的にもまだ暗いトンネルの中、上京は誰が考えても無理な相談。
心の内を父に相談すると「自分の思った通りやればいい・・」と一言。
しかし周りは大反対、年老いた両親と足の悪い妹を島に残し、なんで東京に出るんだ!
せめて沖縄本島位にしたらどうだ・・
無口な父は、ただ黙っているだけ・・
人間は一度不幸のどん底に落ちると後がなく、怖いものが無くなるのだろうか・・
これから先一家は離散、それぞれの幸せをコツコツと築き上げて行ったのです。
1018 貧食時代
現在の飽食時代、パンの耳で過ごす事等、考えられないかも知れませんが、日記に昭和40年当時の状況を見る事が出来ます。 「3月29日、月曜日、今日は朝から会社は休み、給料日は目の前だけど、どうしても金が不足。 しかたないので、電子工学、図解パルス工学、電気論の3冊、2000円相当を...