昭和30年代、集団就職で沖縄から大勢の人が本土の工場へ寮生活でなだれ込んだ。
数年もすると飛び出すが、身よりもなく親の援助や庇護もない。
世の厳しさに負け、犯罪に手を染める人もいた。
ニュースで名字から沖縄出身者であることは判明する。
沖縄出身者への偏見が漂っていたのだ。
光男はパスポート時代に結婚。単なる反対ではなくこのような時代背景もあり、塩をまくだけではなく、警察を呼ぶと喚かれたことがあった。
何もなくても、その内事件を起こすだろう、と見られていたようだ。
先日沖縄の会合へ出ると、演壇の挨拶者が昔の偏見について話し、沖縄出身者には大家が部屋を貸さない風潮で、心底悔しい思いをした。
衣食住に事欠いた等の話をし、大泣きで挨拶を終えた。
年配者が頷きもらい泣き、光男に同調を求めてきたが、過去よりもこれから前向きに生きようよ、といってやった。
当時アパートには「沖縄出身者お断り」の看板が結構あったことは事実である。
今時の若者、光男から見るとあまりにも恵まれすぎている。
光男は逆境を生き抜いてきたからこそ、先を見通す思考が不可欠だった。
チャンスは日夜降り注いでいるのに、このチャンスを捉えきれない、見過ごしているのではないだろうか。
チャンスの女神、何度かそっぽを向かれると、遠ざかっていく。
しからば確実にチャンスを捉える方法はないのか、と考えると、思考配分をキッチリ出来れば可能である、と光男は言う。
光男論、3年先に30パーセント、5年先に20パーセント、現状に50パーセントの思考配分、エネルギー投資配分を常にするべきだと主張する。
確かに今日、明日の現状も疎かにすべきではないが、足下ばかりに気をとられていると、いきなり山が立ちはだかったり、谷や川が立ちはだかる。
3年、5年先の目標を見、思考配分すると、草原の一本道を歩むが如く山や川も確認できる。
山登りの準備も出来、川は水量の一番少ない時期にタイミングをとり渡ることもできる。
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