2026年7月28日火曜日

169 献杯


女房一族のドンが亡くなった時、献杯の音頭は、光男しかいないと音頭を取らされる信頼、急変ぶりである。

勿論、光男は必死に働きマイホームを構えていたが、女房の親が年を取り、足元もおぼつなかったので、親の面倒は子供が見るべし。

と嫌がる女房を説得し、同居に踏み切っていたのである。

塩を撒いたはずの男が、今や心から信頼出来る婿として同居する。

安心した親は、都心の一等地と建物を遺言で女房に譲って、あの世へ旅立って行ったのである。

光男は常々女房に言っていた。

お金は、生きる為の道具、幸せになるための小道具に過ぎない。

金の亡者となり、金の奴隷と化すべきではない。

貧しくても、心豊かに、優雅に生きられる方法がある、と言って、つつましく生きて来たのである。

女房も財産が転がり込んだからとて、ブランド品を買いあさる訳ではなし、孫たちの成長をいつくしみ、楽しんでいる。

孫はかわいい、ジジ、ババとマクドナルドへ行くのが、一番の楽しみのようで、ハンバーガーをほおばる横顔を見ていると、毎日が楽しい。

一緒に風呂に入り、ジジ、ババの買ってくれたパジャマだ。

と言ってウルトラマンのパジャマを着、ウルトラマンのパンツを着て、フトンへ潜り込んでくる。

スヤスヤ寝息を立てる横顔を見ると、幸せの極致である。

片や学は、昼間は掃除、炊事洗濯など、お手伝いにやってもらえるかも知れないが、夜は一人でチクチク痛む肝臓をさすり、不安な日々。

寝ても覚めても頭の中は、札束が飛び交っている。

布団に入って、横に寝るのは猫だ。

夢枕には、金の延べ棒で出来た階段を、一歩一歩上がっているだろう。

一歩一歩、あの世へ近づいているんだぞ!

これから先、この男の頭は正常化するのだろうか。

少子化の影響なのか、親の遺産を当てに、フリーターを誇らしげに自慢する人に出会う。

冒頭に出会った、文京区の青年は、最たるもので、光男から見ると、己の人生を無駄にする、許せない輩で、怒り心頭だ。

おい! めん玉ひんむいて、よく見ろ!

土手の川風を涼やかに受け、夫婦が孫二人と手をとり、心豊かに優雅に散策している。

対岸には、男がリュックサックに札束を詰め、周りをキョロキョロ警戒しながら歩いている。

後からは、悪しからぬ輩がなんとかリュックサックの中身を、少しでも掠め取りたいと見え隠れして狙っている。

しかし男は屈強な恐ろしい犬、三匹に引っ張られ、一生懸命犬の糞を処理している。

貴方は、この二つの姿を見、どの道を選ぶのか、本気で考えて見ろ!

貴方の鼓動、今の一鼓は、もう後戻りしない。

のんびりしている場合ではない。

貴方は今、一刻一刻、白髪、シワ、禿げの世界へ、一歩一歩近づいているんだぞ!

もう一度、めん玉ひんむいて、土手を見ろ!

そして、胸に手を当て、己の鼓動と、冷静に会話しろ!

まさかお前の両親は、お前を犬の糞拾いにこの世へ誕生させた訳ではあるまい。

 人生の 喜怒哀楽に ロマンあり

 若者よ 思い残すな 明日は華

 貴方には 誰にも盗られない 知恵がある

 貴方には 誰にも止められない 鼓動がある

 これしかない!

 己の人生ドラマ・ロマンを持て!

 そして

 命を張れ!

 命を張れ!


168 子孫

 

投資した金は半分に減ってしまったのである。

それからというのは、親からもらった財産を半分に減らした分を、なんとか元に戻すと、更にお金に対する執着、そして呪縛は、日を増すにつれ、膨らんで行った。

とうとう60を過ぎても結婚出来なかったのである。

それでもまだ五億くらいの金は背負っていたので、もうお金の事は諦めろ。

老後を楽しく過ごそう、と言ったが全く聞く耳を持たない。

母親も亡くなり、これから先、自分が死んだらこの財産、どうなるのだろうかと不安がっている。

また若い時、金に任せ女遊びと酒を飲んで肝臓まで患ってしまい、不安な毎日を過ごしているそうだ。

ちなみに、渋谷で億ションを買って遊び呆けていた

姪御たち、中山家の人たちは誰一人として子供が出来なかったそうだ。

金に狂った一族だと言わざるを得ない。

私はアパートを転々とし、引っ越し貧乏を繰り返していた。

仕事が忙しく、徹夜の連続か午前様で、朝は子供たちが目覚める前に出社する。

子供たちが父親を怖がり近寄らない状態。

あまりの貧乏さに、ある時女房が怒鳴りつけた。

貯金が4万円しかない、これからどうやって生活する!

どうせこれからも母子家庭に間違いない。

あなたなどいない方がいい、出て行け! と怒鳴ったのである。

あなたなら貧乏王国へ行けば即大統領になれる、素晴らしい人だ。

もうこんな生活はイヤだ!

それで私は、コツコツと働きに働き続けた。

子供たちにも、祖父母の存在は必要だろうと考え、女房の実家とも丁重に頭を下げ、和解した。

女房の実家側からすれば、最初に沖縄という、想像出来ない所の人間で、まず拒否感が出たのであろう。

それなりに家庭を守り、またテレビ業界での仕事ぶりは、大きな評価を得る。

塩を撒き付けたはずの男が、何時の間にか神棚に上げられるような大変な信頼ぶりである。


2026年7月27日月曜日

167 新婚生活

 

私の新婚生活、女房の実家に猛反対され、それこそ三畳一間、電化製品ひとつない貧乏どん底からのスタート。

木造で廊下は歩くとミシミシ音がし、トイレはポットン便所の安アパート、夫婦で共働きでやっと家賃が払えるという生活。

東京で家賃が一番安いアパート。

当時アパートに「沖縄出身者入居お断り」の看板が出ていた。

沖縄名字の多良間光男は、当然パスポート保持者。

光男はテレビの世界で仕事をしていたが、当時は白黒放送で給料など一般企業の社員と比べものにならないほどのどん底生活であった。

ボーナスが入ったら洗濯機を買おう、その次は冷蔵庫、テレビと夫婦で夢を描き、必死で働いていた時。

学が自由が丘に五階建ての賃貸マンションを建てたので、管理人をしてくれないか、との話。

家賃はなしとの話だったので、これ幸い飛びついた。

ただほど高いものはない。この管理人の仕事、とんでもない結果を生むことになる。

当時マンションという言葉は聞き慣れない言葉で、マンションの「はしり」だったのである。

家賃も高かったので、入居者はハイクラスの人ばかり。

有名な銀座の老舗ビルの息子夫婦だとか、新宿の高級クラブのママさんだとか、自他共に金持ちと認める人ばかりである。

そういう人達から見ると、明らかに若くて家賃を払っていないマンションの管理人をやっている人間など、見下げた貧乏人に見えたのだろう。

隣人同士のいざこざ、上下階のいざこざ、トイレが詰まっても管理人の責任だとか、やたらめったら無理難題を押し付けてくる。

下の階からの焼き肉の匂いを、あれは我が家に対するあてつけだ。なんとかしろ、と言ってくる。

とうとう女房が、初めての子を流産してしまった。

住人は流産したことを知っているが、優しい言葉をかける訳でもない。

貧乏人など子供を作る資格がない、と言わんばかりに輪をかけて自分たちの争い事を管理人に押し付けてくる。

金持ちなら心豊かに周りへ温かい目を向け、優しい言葉をかけられるものだと思ったが、全く逆だ。

金持ちは人間としての情が金に奪われてしまうものだ、としみじみ感じた。

その後、妊娠したが流産の恐怖の涙にマンションを出る決心をし、安アパート生活に戻った。

マンションを出た後も学との交流は続いていたが、彼が35歳になった頃、母親から嫁探し、お見合いの相手を見つけて欲しいと頼まれた。

友人のためと思い、あちこちに声をかけ、二度も見合いをさせたが成立しなかった。

相手はなんの非の打ちどころもない。素晴らしい女性で、成立しないということはおかしい。

本人を捕まえ、とことん本音を聞いてみるとびっくりした。

女は自分の背負っている金、財産が目当てだ。

そんな女に子供が出来、子供にまで財産を持っていかれるかと思うと、どうしても決断ができないという。

金の亡者、呪縛に縛られた人間の頭の中というのは、そういうものか、と呆れ果ててしまった。

以後、私は二度とお見合いの段取りはしなかった。

周りの友人も、同じ経験をしているから、誰一人として学に結婚を勧める人はもういなくなった。

学はゴルフが好きで、金に任せゴルフ場の会員権を北海道から九州までくまなく買いあさっていた。

先行投資で、いずれ倍、倍になると自慢していた。

事実、ある程度倍くらいにまでなったようだが、しかしバブルがはじけてしまった。


166 田舎者


当時、沖縄は日本国ではなかった。 

米国統治下でパスポートを持っており、ましてや私の生まれ育った島など、日本の地図には載っていない。

彼女の実家は、代々手広く卸問屋をしており、

嘘か真かは分からないが、皇族にもつながる由緒ある家だと言っていた。

そんな家柄が、光男みたいな見た目も格好も田舎者、ましてや沖縄とパスポートとなると、反対するのは当然だ。

座布団を投げ付けられ、しまいには塩を撒かれるありさまだ。

生まれて初めて他人さまに馬鹿にされ、コケにされる屈辱感は半端じゃない。

当時、沖縄生まれでパスポートを持っている。 

自分でも劣等感を抱いていたが、それをもろに罵られると、人間の感情は火に油を注ぐようなものだ。

冗談じゃない、こんな人間、生かしておけない、と行動に出るところまで憤りを感じた。

しかし故郷で、今日もヘラで草取りに汗を流し、爪に火を灯して生きる両親のことを考えると、息子が東京へ出て事件を犯した。

なんて白い目で周りから見られて生きるのは、あまりにも酷だ。

悔しくても、侮辱されても、頭を下げ続けたが、結果的に許してもらえなかった。

彼女が、親兄弟、親戚含め全て縁を切り一緒になる、と言ってくれた時は、涙が止まらなかった。

光男は一生、彼女を路頭に迷わすことはすまい、と心に誓って新婚生活をスタートさせた。

新婚当時、女房の友達を含め7、8人、同年代の仲間でよく飲み食いをした。

その中に一人、独身の中山学がいた。

学はとんでもない男で、十数億もの資産を持ち、自由が丘の邸宅住まいだ。

外国製のカマロだとかいう、訳の分からない外車を乗り回していた。

日本の車は、ドアを閉めた時の音が軽すぎる。

といって重厚なドアの音のする外車を次から次と乗り回していたのである。

親父を早くに亡くしており、母と2人の生活だ。

邸宅へ誘われて行ったが、庭には外車を4台収納できる車庫があり、門の横には鉄格子で囲った、立派な犬小屋だ。

光男の三畳一間の生活、犬以下だ。

この犬がまたデッカイ、3匹もおり、人間なぞひと噛みで殺しそうで、それこそ血統書付のいい犬だという。

家の中へ入ると、そこにはまた、青い目をした、ペルシャ猫だとかなんとか言っていた。

これまた血統書付の高級な猫だというのが3匹ほど、母親が可愛がっていた。

家の中の家具や調度品は見たこともない、皇族のお宅ではないかと思われるようなしつらえだ。

泊まっていくようにと勧められ、泊まった。

そこには全く見たこともない、そのために作らせたのかと思われるような本棚があり、とんでもない百科事典等がびっしり収まっている。

母親は上品な女性で、何人かのお手伝いを雇い、家の中や庭など、綺麗に作り上げていた。

なんで金があるのかと聞くと、学の父は次男ではあったが長男を手伝い、その昔造園業をやっていたという。

貯木のため、原っぱだった土地をかなり持っていたので、兄貴に分けてもらったとのことだ。

その土地は自由が丘、あれよあれよという間に値上がりし、手が付けられない程の大金が転がり込んできたという。

本家の姪たちは、20歳前だと言うのに二十億もの資産を相続、渋谷駅近くに億ションを所有。

優雅に遊び呆けているとのことだ。


2026年7月26日日曜日

165 軽い男

 

食事を済ませ8時過ぎ、庭のテーブルで、泡盛を飲んでいると、民宿の20代半ばのカップルが2組散策がてら、ぶらりと入って来た。

東京と島を年間半々生活してる私を見て、うらやましい。自分の両親にもそのような生活をしてもらいたいと、話していた。

親父は定年になるの楽しみにしていたが、いざ定年になると、朝から晩まで夫婦角突き合わせで、些細なことで、口争いが絶えないという。

若い内は朝昼晩喧嘩するが、セックスをすれば、仲直りができる。

歳をとるとセックスが少なく、なかなか仲直り出来ないというと、おじさんのいうことは的を射ていると、おおはしゃぎだ。

世間話をしていると、同じ民宿の泊まり男客が2人、話につられ、ぶらりと入ってきた。

一番年上だと思われる、30歳くらいの男の言動がどうも気になる。

自分は1度も仕事をした事がない、フリーターである事を自慢している。

態度や言動から見て、どうも軽過ぎる。

スタイル格好そのものは普通の十人並みだが、男として結婚をしようとか、そういう感覚は全くないようだ。

東京の文京区に親と同居しており、どうも生活するのには困らないようだ。

文京区あたりは東京のど真ん中で、そこに親の代から生活しているという事は、土地なり資産があるだろう。

当然あくせく働く必要もなく、十分食べるくらいの収入があるだろう。

が、しかし男として考えると軽すぎる。

ティッシュペーパーがふらふらしているようなもので、ちょっと風が吹けば舞い上がり、己をコントロール出来ないような、あまりにも軽い幼い感じすら受けるのである。

それに引き換え、私の息子は40歳、子会社や下請会社を数社使いこなしバリバリ働いている。

今の時代はどうだのこうだのと、親父に説教するくらいのバリバリ、毎日が充実しているようだ。

軽い男に言い聞かせる気などさらさらないが、つい経験した犬の糞物語を話してやった。

光男は高校卒業と同時に、周囲12km、海抜12mという、日本最南端の小さな島から、着の身着のままで上京した。

昼間は必死で働き、夜学の後テレビ界へ就職した。

その時知り合った東京生まれの東京育ち、江戸っ子の彼女と出会う事が出来た。

結婚の約束をし、相手の親の所へ挨拶に行くと猛反対だ。


2026年7月25日土曜日

164 ヤギの乳

 

離島で子供が生まれても、昔は栄養が行き届かず母親の乳が出ない場合があった。

勿論、粉ミルクは無く冷蔵庫もない時代。

そこで、ヤギの乳を頂く、そうやって島の子供たちは育ったのである。

光男も母に3軒の家からヤギの乳を頂いたと言われた。

だから3軒の家のヤギ様には感謝しなさい、と言われた。

よって恩返しのため、物心ついた時からヤギを飼わされ、一生懸命ヤギの草を刈ったもんだ。

そしてその3軒の家に子供が誕生した時には、私の飼っていたヤギの乳を恩返しするということだ。

光男がこうやって生きていられるのも、ヤギ様のおかげで神様である。

領土で中国と揉めている魚釣島、野生のヤギが生息しているが、この地区の人が昔住んでいた証だ。

皆さん無人島で住む場合、女房と必ずヤギ様もオス、メス同伴が条件。不滅の鼓動だ。

ヤギ様恩返し草刈り生活の中で、こんな不思議なこともあった。

ある小雨の日、牧場をやっている青年が我が家へ来た時のんびり喋っている。

牛の草は刈ったのかと聞くと、牛は濡れた草は食べないという。

それでは雨が降った日はどうするんだと聞くと、干し草を食べさせるとのことだ。

初めて聞いたが牛は刈った草、どんな新鮮な草でも雨に濡れていると食べないという。

枯らした草、干し草なら食べるとのことだ。

勿論、生えている草なら雨に濡れていても食べるが、刈って雨に濡れた草は刈りたて、新鮮な草でも食べないという。

本当なのだろうか?

この島の牛だけが贅沢な生活をしているのか?

なんで新鮮な草でも、雨に濡れたら食べないのだろうか。

生えた、雨に濡れた草は食べるのに。不思議である。

牛飼いさ~ん、教えて。

島のじいさんが、おしゃべりにきた。

泡盛とサバの缶詰で飲んでいると、ハエがうるさい。

このハエ何とかならないのかなぁというと、8時半まで待てよという。

訳を聞くと、ハエは8時半になると就寝の時間だという。

言われてみて初めて気がついたが本当に8時半になると、ありゃりゃ、ハエがピタリといなくなった。

島のハエは夜8時半就寝だそうだ。

島の人たちは行動時間が夜型だ。

9時10時から平気で飲む。ハエの時間を考え行動をずらしているのだろうか。

島の生き物たちのルールに合わせて暮らすのは、案外知恵が必要なものだ。


163 ヨモギ

 163 ヨモギ

南の島々ではヤギを飼育しており、ヤギ汁は生活に欠かせない。

そして必ずと言っていいくらい、そこにはヨモギが入っている。

ヤギ汁は血圧を上げる、ヨモギは血圧を下げる効果があるとのこと、誠かは解らない。

この組み合わせは、どこの家庭でも行われている。

古老に聞くと、ヨモギは下げ薬(サギグスイ)と呼んでいる。

昔の人はよくぞ血圧計もなかっただろうに、どうやってそのような組み合わせを考えたのだろうか。

南の島には、色々な不思議が一杯だ。

この島の人たちは昔、牛肉は食する風習はなかったが最近では牛肉を食べる機会が多い。

やはり、その時も牛汁にはヨモギを入れて食べる。

島の人たちは知らないところで、健康管理ができているようだ。

ちなみに、ヨモギは野生でどこにでも生えている。

一方、おしんこを多く食べ塩分摂取の多い地域では、血圧高で寿命に影響があるとのこと。

庭先にヨモギを植え、利用するといいかも。沖縄の長寿はヨモギのせいかな。

人間をはじめほとんどの動物は、生きていくのに水を必要とする。

しかし、ヤギは川がなくても水の無い所でも何ら問題なく生きられる。

八丈島の手前に、周りは崖で人が住めない山だらけの小さな無人島があるが、崖でかなりのヤギが野生化して育っている。

勿論無人島で、川もなく水溜まりや雨水を溜める容器も無く大雨が降ってもサンゴ礁の島は即地下水になりヤギの飲み水はない。

非常に過酷な環境で、川などの飲み水がなくても草を食べるだけで問題なし。

ヤギの生き延びる力は半端じゃない。

この黒島では昔、妊娠すると栄養不足で母乳に不安があり、出産日を計算しまず妊娠しているヤギをどう確保するかが、大きな問題だ。

そんな生命力の強いヤギだからこそ、島の人には欠かせない存在である。

牛乳も考えられるが、牛は人間の数倍水を飲む。川のない水を貯めるプラスチック容器のない時代、一滴の水でも重要であった。


162 トゥジィ

 

この島の方言を見ていると、突然変異みたいな訳の分からない方言が時々出てくる。

豊年祭にハーリー競争が昔からある。その船のかじ取り役は重要である。

かじ取り役のことを島の方言では、トゥージィという。

なぜかじ取りが、トゥージィなのか?

日本の言葉でいうと、統括、統治に当たり、つながるのではないかと思う。

統治が、トゥージィになったのではないだろうか。

その昔、この島には、あまりものを書くという習慣がなかったのに不思議である。

昔から続くこの島のハーリー競争は、かじ取りが絶対の権限を持っており、完全に統括している。

言うなれば統治者が、トゥージィになっているのだろう。

また女房、妻を、なんと言うかというと、トゥージィのハイフンをとった、「トゥジィ」と呼ぶ。

トゥジィ(妻)は、家庭を賄い、やりくりする、言うなれば、家庭の統治者だ。

よってトゥジィと言われるのは、当たり前である。

友人のことを、島の方言では、ドゥシ、と言う。

友達という、複数、総称する場合は、普通、島の方言では、ERがつくが、この友人には、それが付かない。

友達はドゥシンキ、という。

この友達という、ドゥシンキは、他の方言と共通しない、変わり種だ。

この言葉がどこから来たのかわからないが、もしかすると、アフリカの山奥で、友達のことをドゥシンキ、というような所があるかもしれない。

渡り鳥が、その言葉をくわえ、島へポコリと落としていったかも?

種子が島で根付き、しっかり島の言葉になったような気がする。

友達の、友達はみな友達だ。

ドゥシンキの、ドゥシンキは、みなドゥシンキだ。


2026年7月24日金曜日

161 人生のスタート

 

私(光男)が、なぜテレビ業界を目指したのか。

昭和30年代、テレビは緒についたばかりだ。

遥か南端の小島、映画館は無いが子供心に映画を見たかった。

石垣島まで渡れば映画は見られたが、家が貧しく船賃もなくできなかった。

南端小島、当時飛行機は無く船輸送、漫画本等は半年以上遅れて着く。

その漫画本の片隅に、5コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。

それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。

そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て着の身着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。

ブログをやっている人なら、かつての通信会社ウィルコム(現ソフトバンクの前身)と言う会社、知っているだろう。

当時のホームページに誇らしく、人口カバー率99%と出ているが、光男の育った島はまだカバーされていなかった、日本最後の情報過疎地だ。

半年遅れで漫画本が流れ着くが、それが唯一の情報源だ。

昭和39年、第一回東京オリンピック開催。

翌年の40年、やっとの思いでテレビ業界へ入った。

もちろんテレビは白黒時代で、朝と夜の放送で、昼間はフィルムの昼メロドラマ放送。

就職までの道のり、本当に人生の辛酸をなめ尽くしたと言われる状況だった。

その後しがみ付き、魔法の箱解明、夢を全うした。

もちろん長男ではあるが、両親の死に目にも会えなかった。

そんな経験の中から、今の若者たちには是非、勇気を持って己の道を貫いて欲しい。

親が何を言おうと己を貫け。

親は、己の人生を既に歩んできている。これからは、自分の人生は自分で決断する、でいい。

この世にポコンと動き出した貴方の鼓動、100パーセント間違いなく、いずれは止まる。

何のため、今まで動いてきたのか?

今、何のために動いているのか?

これから先、どう動かせるか?

己の可能性に立ち向かおうではないか!

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり

若者よ 思い残すな 明日は華

  貴方には 誰にも盗られない 知恵がある

  貴方には 誰にも止められない 鼓動がある

これしかない!

己の人生ドラマ ロマンを持て!

そして

 命を張れ!

 命を張れ!


160 帰るな

 

沖縄の母親、子供が旅立つ時、辛いことがあったら、何かあったらいつでも、すぐ帰ってこいと言って旅立たせる。

それだと考え、私は沖縄の母親たちに子供を崖から突き放し、ニ度と帰ってくるな、どんなに落ちぶれても帰ってくるな、と言って旅立たせよ。

と説いているが、どんなに言い聞かせても、それは無理だった。

昨日も東京の大学にいる娘から電話があり、辛かったらいつでも帰ってきなさい、と母親は伝えたそうだ。

沖縄の女性は、あまりにも情が深すぎ、子供を崖から突き放せない。

結果的に親の面倒を見る、と格好をつけホームシックに負け、厳しい大人の世界へ踏み込めない。

それがいいことなのか、悪いことなのか、悩んでしまう。

20代、その人の人生を大きく左右する一番大事な時期である。

Y君のように地元へ帰ると、同窓生は地元企業でそれなりに活躍しだしている。

東京から帰った人間は、キャパシティが狭いからすぐ噂になる。

同窓生の下で、あるいは自分の後輩の下で、顎で使われる身となると頭へくる。

それで喧嘩をし、また上京する。

20代で、そのようなことをしていると、あっという間に30代だ。

好きな恋人がいたとしても、女は生活力をまず先に考える。

いつの間にか他の男と結婚してしまうという結果だ。

そうなると、彼女を恨みつらみ、場合によっては、彼女を奪った男にまで逆恨みをし心が荒れる。

30代になって、余程謙虚な気持ちで、一心不乱に、人生を立て直せばいいのだが、それもまた難しい。

経験した人でなければ分からないが、30代、あっという間に10年が過ぎてしまう。

人生で一番時間が短く感じられる30代だ。

所帯を持つこともなかなか難しい状況になり、40代に突入すると、人生を立て直すのはかなり困難である。

フリーターやニートと呼ばれる人たち、本気で20代をどう過ごすか考えて欲しい。

まずは親や周りが親身になって、立て直しを支援する必要があるだろう。

生活力の基盤のない男、どんなに男前が良くても女は逃げていくぞ。


159 帰郷病

 

東京の放送局キー局に沖縄出身者は私一人しかいなかった。

どこで聞きつけたのか、沖縄の若者がキー局で番組制作したいけど、どうしたら良いかという相談、いわゆる就職相談が結構あった。

私の知人に、

人格良好な素晴らしい男がいたので、技術プロダクションを作らせ、毎月一定量の仕事を出し、バックアップ体制をとっていた会社が数社あったので、一人の沖縄出身者、Y君を紹介した。

社長は貴方の紹介ならば、と即座に採用が決まった。

Y君の仕事ぶりの評判もよく、そろそろレギュラー番組を持たせてもいいかなと、思っていた矢先、社長からの電話。

Y君が仕事を辞め、親の面倒を見るため田舎へ帰る、というので説得して欲しいとのことだ。

親のこともあるかも知れないが、自分の年を考え仕事を優先することを薦める。

なかなか自分のやりたい仕事、簡単に手に入らないぞ、と説得をし、何とか思いとどまらせることができた。

Y君の評判も良かったので、そろそろチーフとして番組を仕切らせ、テロップで画面に名前が出れば責任感も出て、やる気も出すだろうと思っていた矢先、また社長から電話だ。

また帰郷病が出たという。

今度は何度説得しても田舎へ帰るの一点張りだ。

仕事はどうするのと聞くと、タクシーでも何でもかまわないという。

何で仕事を紹介してしまったのか、と後悔。

とうとう沖縄へ帰ってしまった。

更に数年後、上京し社長に仕事をさせて欲しいと頼み込んだという。

呆れ果て、世の中甘く見るんじゃないぞ、と言いたくなったが、勝手にしろ、と言ってやった。

今どきの若者の中には、郷愁に抗えない特有の葛藤があるようで、世代の違いというのか私には理解できないことでした。


2026年7月23日木曜日

158  ワーキバ!のルーツ

 

この島の方言を聞いていると、訳の分からないことが出てくる。

足のことをパンと呼び、ハブのこともパンという。

畑に使うクワのことをパーイと呼ぶ。

このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。

インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。

島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。

ちなみに島では、食器のおわんもマハンと言う。

また島の方言で、ほとんど当てはまることだが、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければことが済む。

その点は、どうも英語と同じだ。

例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。

複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プリマーになり、プリムンたちという意味だ。

わんぱく小僧のことを、ヤマング、という。

複称、ないしは総称すると、ERをつけてヤマンガアー、になり、ヤマングたちとの意味だ。

太る、というのは、パンタル、と表現する。

太った人たち、と総称すると、やはりERをつけて、パンタラーになる。

逃げるは、ピンギルだが、逃げ足の速い奴らは、ピンギヤーだ。

極めつけの方言は、働くだ。

働くことは、石器時代の昔からあっただろう。その言葉が、ものの見事、英語のワークと同じだ。

働く、それは、方言でも「ワーク」である。

屁理屈こく前に「働けば」の方言は

屁理屈こく前に「ワーキバ」になる。

日本南端の島は、ERだらけだ。

日本国内に、理解しがたい日本人がいた。

しかし、日本人のルーツかもしれない。

島ジーに、なんで働くが、ワークなんだと聞いたら、お前は、ヤマトウへ行って屁理屈屋になった。

そんなこと、ワシに聞いても分からない。昔からそうなっているのだから、しかたないさ!

ごちゃごちゃ屁理屈ばかりこいてないで、「ワーキバ」(働けば)と怒られた。

まあ まあと言って、泡盛をつぐと全て円満解決。

飛び交う方言を聞いていたら、いにしえの昔へタイムスリップ。

島の年寄りは、性根が正直で優しい。

私は島の年寄りが大好きだ。 


157 死なすぞ! 


島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?と感じることがある。

話の中で冗談に「殺されるぞ!」という表現が出てくるはずだ。

島人の表現では、それは「死なされるぞ!」と言う表現になっている。

何でそんな表現になるのだろうかとよく考えると「殺されるぞ!」という表現には、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。

その点、島の表現では、そのような残酷さは抑えられる。

島の人たちがもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。

島の人は素晴らしい、とつくづく感じる。

マスコミでは、子供が親を、あるいは兄弟、家族を殺害する残忍な事件の報道がある。

皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに「殺すぞ!」という言葉が日常、ポロリと出ているのでは。

子供は親の背中を見て育つ、いつの間にか親や周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に残酷なシーンが受け入れられる。

喧嘩等、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から言葉の使い方、表現の仕方に心配りが必要だ。

子供は親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!

気をつけよう。

以前、民宿のヘルパーをしていた27歳前後の女がいた。

父親は公務員だという。

南の島へ行ったきりで、心配だっただろう。迎えに来た。

今日は子牛のセリで、見に行くと帰ったはずのその子が牧場へ泊まり込み、牛飼いをやっているという。

親が許さないだろう、と言うと、ミイラ取りがミイラになったのか、父親はこんな良い島はない、とたびたび訪れるという。

よく聞くと、他にも牧場に泊まり込み、牛飼い女が3人もいるという。

彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリアウーマンとしても通用する頭脳明晰。

牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。

160頭もの子牛がセリに出され、70万円前後の値が付いていた。

あすは神戸牛か松阪牛か。

子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。


2026年7月22日水曜日

156 強制移住

 

南端に浮かぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。

ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。

真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。

その記述が本当ならば、黒島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。

それ以降も石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。

1500年代から1600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は幸せで豊かに、文化を謳歌した人たちがいたと思われる。

島には特に豪族らしきものはない、また貨幣なるものも見当たらない。

人々は物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心にお互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。

島には墓はあるが、お寺は一軒もない。

法事は自宅で親族同士で行う。

御嶽は健康子孫繁栄、豊作祈願の太陽崇拝の場で、親族同士が門徒である。

島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。

岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに粟なら十分作れるとのことだ。

言われてみれば80年前、島には粟の原野、粟が好物の野生のウズラがたくさんいた。

ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて食したことを思い出す。

また御嶽は今でも十数箇所残っている。

直径2キロちょっとの島に、本土では考えられない十数箇所の御嶽の跡が残っている。

沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が降り立ったということで、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。

しかし400キロ離れたこの島には、そのような信仰は無関係のようだ。

理解出来ないのは、島の十数箇所の御嶽は、それぞれ方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されない疑問、不思議である。

御嶽は本土でいうお寺みたいな存在だが2キロ前後の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。

この島を調べていくと、不思議なことだらけだ。


2026年7月19日日曜日

155 北海道のおばちゃん

 

島の民宿では夕食後、泡盛がただで振る舞われる。

中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。

ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。

北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。

きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。

こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。

出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。

話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入り娘のばーさんタイプ。

こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。

島の人たちはテーゲーグヮーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。

島人と争いを起こし、後々嫌な思いをするので、この人の相談にだけは乗らないようにしようと心に決めた。

その内、ひょんな質問をしてきた。

この島に、クモはいるのですか?

はぁ~と思わず聞き返す。

クモはいっぱいいるし、毒は持ってないが森へ行くと大きなやつもいるよ、と言うと、ギヤアーと血相変えた。

クモは嫌いどころか糸が体に触れただけで蕁麻疹ができるという。

民宿のベランダでも糸を張っているし、島を散策すると間違いなく糸に触れるよ、と言うと顔面蒼白。

わざと嫌がることを言って脅かしているのではないかと、毛嫌いするというか嫌悪感あらわに睨み付けている。

芯からクモが嫌いで、アレルギーのようだ。

隣にいるのも嫌になっただろうか、席を移していった。

その話を聞いていた他の観光客が、そのおばちゃんを説得。

日本全国クモのいない所はない。

あなたは、まかり間違っても田舎暮らしなど、考えないほうがいいと言われ、渋々納得したようだ。

このおばちゃん、島で連泊するつもりだったらしいが、翌日、早々に引き払ったという。

次は西表島観光だと言っていた。

あの島は、毒はないが、大きなクモがもっといっぱいいる。

大きなクモが首に貼り付き、泡を吹き吹き失神する姿、目に浮かぶわ。

その人は北海道だと言う。

おーい北海道~  

クモはいないか。


154 風葬

 

亀甲墓は子宮の形だと言われ、命は子宮で育まれ、全うしたら、またそこへ戻ると言われ、入り口は80センチほどの四角い入り口になっている。

もちろん蓋は分厚い四角の石で覆われ、空気が外へ漏れないようになっている。

風葬と呼ばれる方式で、遺体は決して焼かない。また、西洋のように埋めるようなこともしない。

棺のまま墓へ入れ、肉体が風化したころ、きれいに洗骨し墓の中で保存。ピラミッドや日本の前方後円墳同様、焼却はしません。

遺体を棺のまま墓の中へ入れる為、異臭が漏れないよう、入り口が密閉できるようになっているのである。

もちろん100日での洗骨は強烈な異臭など、赤の他人ではなかなかできないものである。

写真は多良間家の墓で祖父母の代まで焼却しなかったので遺骨が入ったまま、DNA鑑定すれば数百年前まで調べられるかな。

光男も両親が亡くなった時、初めて小さな入り口から這いつくばって中へ入ったが、暗闇の周りは、こうべと骨だらけ、足の踏み場もない。

しかし先祖であり、血の繋がったこうべだと思えば、なんとか佇んでいられた。

赤の他人だと、どうしても恐怖心で、その空間には、いられないだろう。

もしかして入り口が、何らかのかたちで塞がってしまえば、もう2度とそこからは出られない。

声を出しても絶対に届かない。

そういう意味で、全く他人はそこへ入れないということだ。

墓の中のスペースは、先祖代々のお骨が保存できるスペース、そして棺を入れ、入れた人が入り口から出るスペースも必要だ。

よって、かなりの空間が必要で、先祖代々の血族が一つ屋根の下で祀られるのである。

大きな亀甲墓を作ることは大きなエネルギーが必要で、罪を犯せば墓に入れてもらえない。

ということは最大の屈辱であり、悪事に対する抑止力は墓だったという。

ちなみに墓の入り口を開けるのは、遺体を入れる時以外は決して開けてはいけない。

どうしても分骨したり、墓の中のお骨を取り出す場合は、鶏などの生贄を捧げて代わりの儀式を行い、開ける必要がある。

日本に風葬をする人種がいたということである。

光男の両親が他界した際、火葬場で焼却することに猛烈な反対があった。

黒島の言い伝えでは、泥棒や殺人など極悪人は焼き捨てる。親を焼くなんてとんでもないことだ、親不孝者になるのかと言われた。

火葬が焼き捨てることと解釈されたのである。

黒島には火葬場はないが石垣島にはあり、行政や保健所も伝染病などの件も考慮し、火葬を勧めていると

長老の皆さんに了解してもらった。

以後は他の島も含め遺体は石垣島へ運び火葬が行われている。島では50年前まで火葬なし、洗骨、風葬が行われていたのである。


153 墓の入り口

 


入り口は棺桶の入る大きさ。


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亀甲墓。

2026年7月18日土曜日

151 転がすのですか。 

 

飛鳥古墳見学ツアーに参加した時、近くに巨大な石室があった。

参加者に、高校の先生がカメラを持って参加しており、機械や重機のなかった昔のこと。

どうやってこの巨大な石を運んで来たのか、ガイドに聞いても分からず、説明書を隅から隅まで読み、頭をかしげていた。

3トンの石等、昔の人は簡単にかついで移動したはずだと言うと、その先生は怪訝な顔をしてきた。

転がすのですか、どうやって運ぶのですか、としきりに聞く。

写真のように、1トンの鉄の塊があったとする。

それにA点でロープの端をしっかり結わえ付ける。ぐるぐるに6回ほど巻く。最後はB点でまたしっかり結わえ付ける。

そして担ぎ棒を6本入れ、左右ペアで担ぐ、この図だと12名で担ぐ事になる。

この方式は、12名に均等に荷重がかかる。1人90キロ弱だが昔の人ならそれくらいは担げるであろう。

59センチほど浮かせて、声をかけ、右足、左足、と全員同時に、移動すれば、1トンにつき12人で十分運べる。

勿論ペアを組むのは、背丈の近い人、低い人同士、場合によっては、ロープをもう1回巻きつける。

担ぎ棒をもう1本増やせば、女性が加わったとしても何ら問題はない。

石室の3トンの石を縦、横に2本ずつ支柱を入れ巨大な石を結わえ付ける。

上下左右4箇所角に、この原理と同じようにロープを巻きつけ、2カ所で固定する。

一角に10人ずつ配置すれば4角で40名になり、一人当たり75キロの重量だ。

昔の人ならこのくらいの重量、一日数キロの距離でも行軍出来るであろう。

石室から数十キロ圏内に、この石と同じような石の産地があるはずだ。

石室の周りは盛り土したように、小高くなっている。

多分その下には、足場に使った、石垣があるはずだというと、その先生はえらく感心していた。

早い話がピラミッドの石は5メートルの丸木に6回巻き固定し、担ぎ棒を6本入れ丸木に石をもっこ(網袋)で固定。

12人で担ぐと1トンの石を長距離、いとも簡単に移動できる。ロープはあだんの木の気根で出来る。

どこでそのような事を知ったのですかと聞かれたので、黒島には大きな亀甲墓がある。

屋根の部分には、大きな石が載せてあり、下には一坪ほどの空間が出来ている。

屋根の石を運ぶ時、この方法が用いられた。

時代劇に出てくるもっこ、網の真ん中に重い石を載せる。

周りの大勢で持ち上げる、背の高い人と低い人では網目が違いほぼ均等に重力がかかるということだ。

これは亡くなった曾祖父から聞いた話で、エジプトのピラミッドも同じ縄担ぎ方式で作られたと聞いている。

すると、その先生は是非亀甲墓を見せてくれという。

外から見ても、漆喰で固められており、ほとんど分からない。しかし中に入ることは絶対に許されない。

人が亡くなった時でも、決して女性は入れない。

直系の一番近い人から入ることになっており、中は二人が限度で、残念ながら見ることはできないと言ってやった。

先生は教科書の何処にも載っていない。

大変参考になりました、とお礼を言って別れた。

本土のお祭りの御神輿は、背丈の高い人に負担がかかる。

縄担ぎ方式を導入すれば、もっと大きな御神輿が出来たはずなのに。

150 画

 


縄担ぎ。


149 神様だよ

 

この島に、年は58歳、東京からUターンしてきたY君夫婦がいる。

子供はいないが、島の誰もがうらやむくらい、どこへ行くにも二人、すこぶる仲の良い夫婦だ。

普段は無口で、酒もあまり飲まず、ひたすら仲の良い夫婦をやっている。

先日、家を手直しするので、手伝ってくれと言うと「はいきた兄貴、任せてくれ」と引き受けてくれた。

仕事も無事完了、ビールと泡盛を飲むと、ペラペラ喋りだした。

俺みたいな男の所へ、嫁に来てくれた女房、神様だよ、ありがたいと思っている。

実はそれには訳がある、と喋りだした。

小学校5年生の時、担任は若い女のS先生だった。

この先生には、隣の西表島に、同じ教員で恋人、K先生がいたという。

そのK先生は週末になると、考えられないことだが、西表島で拾った、写真の飛行機の残骸、燃料補助タンク。

それに乗って、一人で櫂をこぎ、8キロ近く、海流もある荒海を渡ってこの島のS先生に会いにくる。

島中の人がK先生の命懸け、と言うか、命懸けの恋には、あきれ果て大きな話題だったという。

島の子は、猫よりも身軽に石垣を乗り越え、猫よりも音をたてずに忍び寄り、S先生の戸の隙間から大人のお付き合いなどを観察したという。

素知らぬ顔で、教壇に立つS先生の顔を見、友達同士でつっつきあって面白がっていたという。

そのうち4月になり、島に新しい男の先生が赴任してきた。

こともあろうに、S先生は新しく赴任してきた若い先生にぞっこん、出来ちゃっていることは島中の人が知っている。

命懸けで通ってきたK先生は、泣く泣くまた命懸けで帰るしかない。

島の人たちはK先生が自殺するのではと同情、あまりにも身勝手なS先生の変わり身は、話題になったという。

そしてS先生は、新しい恋人とさっさと結婚してしまったのである。

「兄貴よ、俺は女が信じられなかった、俺など何の取り柄もない、女房はずーっとついてきてくれている、神様、仏様のように思える」だと。

世の男性共よ、女房を大事にしよう。

逃げられてからでは遅い、神様、仏様だ。

そんなY君の余韻に浸っていると、入れ替わりで島一番の物知り博士だと自認する、島じいが泡盛を片手にニコニコ入ってきた。

「何をしているんだ」と言うので、ブログを書いていると言うと、グローブは知っているが、何だそれは、と言う。

島ではインターネットをやっている人はほとんどいない。

年寄りたちはインターネットと言えば、人を誹謗中傷する道具と解釈しているようだ。

まかり間違ってもそんなもの持ち歩くんじゃないぞ、と注意されるのである。

島じい、インターネットって知ってるか、と聞くと「バッハルン!」(あったりまえ、しっているさー)と方言で自信ありげに答えた。

昔は、女しかしなかったのに、最近は男までがやっとる、と言い出す。

観光客が、ヘッドセットをかけて歩くのを見、それがインターネットと、解釈しているようだ。

昔、女性がヘアネットをしていたのを、最近では、男までがやる。それがインターネットと解釈しているらしい。

ヘアネット、ヘッドセット、インターネット、頭の中で混乱しているようだ。

言われてみれば、インターネットは頭を使う。

頭に関係するヘアネット、ヘッドセット、インターネットのチャンプルーだー

あれれ、この島じいの解釈、間違っているのかな?

おい、おい!こっちまで脳内超伝導現象だ。


148 画像

 


ジュラルミン製、飛行機の残骸。

147 「良かれと思った『肩たたき』が命取りに―島移住の落とし穴」

 定年後に島へ移住した吉田氏(仮名)が深刻な顔で相談に来た。

移住した時に世話をしてくれた人が、いつの間にか疎遠になり、その次に親しくしていた人も付き合ってくれなくなった。

とうとう3番目に親しくしていた人に、酒を飲んでいる時、怒鳴りつけられたという。

本土では、男同士が親しくなると、肌を触れ合ったり、肩をたたいたりするのは、ごく当たり前だ。

しかし島の人たちは、男が男に触れること、ベタベタしたり肩をたたいたりすることは、一番嫌悪感を抱くのだ。

「男が男にべたべたするな!気持ち悪い!」という、男気が異常に強いのだ。

吉田氏は島の気質を知らずに、親しくすればするほど、こまめにベタベタ、肩をたたいたりしたようだ。

島の人にとって肩をたたかれようものなら、とんでもないことで、往復ビンタを喰わされたような、嫌悪感を覚えるのだ。

吉田氏もそれに気付き、なんとか関係を修復したいとのことだが、一度壊れてしまった男同士の関係は、そう簡単に修復できない。

その悩みの相談であった。

たぶん、男気が強い島の人たちとの関係修復は、かなりの時間を要するだろう。

深く反省し、時間をかけて解決しようと諭した。

島暮らしや田舎暮らし、ペットの問題や、周りとの付き合い方、その土地の習慣などは、注意が必要だ。

よく見ると若い人たちは意外とベタベタしているが、中年以上の人たちはベタベタすることを異常に嫌うのだ。

注意しよう。


146 至福の時間

 人生、いくつになっても苦楽は付き物だ。

おじさんも東京に二人の孫がいるが、二人とも、小児喘息持ちだ。

娘からのメールで、今病院で点滴をして来たとの事。

孫のゼーゼー苦しむ顔、普通の人並みの子になって欲しい、と夕日に願をかけていたところだ。

若い時の辛さや苦しさは、いくらでも取り返すことができる。

年を取ると時間と体力に焦りを感じ、本当に心が痛む。

胆汁を搾り切られる思いがする。

確かに今は辛いかも知れない。

しかし取り戻せるのだから。

その辛さを肥やしとして、強い女性に変身したほうが良い、と言うと二人は目を合わせてうなずいた。

最初の娘は、横浜出身で、続いた子が名古屋出身だという。

二人とも年齢は20代後半、ぎりぎり30歳前かなという感じだ。

話をしていて感じた事は、二人とも、私に限って、という自信があった。

そして、まだまだ遊びたいという気持ちが働いたようだ。

もし男が、それを察知したら、遊び心は、女より、はるかに上だから、遊び相手を探して次へと、展開していくのは当然だ。

他所事(ひとごと)ではない。自分の人生なんだから、何でもっと真剣に、積極的に、先へ進めなかったのだろうか。

若い時に少しでも遊びたい、という気持ちは理解出来るが、結果として、それは後々ツケが回ってくることになる。

私の知人にも晩婚で、30代後半で子供が出来た人を何人も知っている。

定年時、子供がまだ大学生、定年で時間が出来、楽しい老後をと思いきや、それどころではない。

やむなく働きに出るが給与はがっくり、今まで自分が顎で使っていた、子供みたいな若造に今度はしごかれ、心身共に疲れ果てる。

帰りに、飲み屋で気を紛らせる、ストレスで体調まで崩してしまう。

そのような人を何人も見てきた。

結果的に、結婚が若ければ若い程、早ければ早いほど、定年後は時間がたっぷりある。

そこで夫婦旅行したり、場合によっては共通の趣味を育てたりと、本当の至福の時間ができる。

若い時に苦労すれば、年を取ってから楽出来る。

若い時に、楽をして遊んでいると、今度は老後に、苦労が待ち構えている。

だけど、まだまだ大丈夫だ。めそめそしないで、新しい恋人を本気で、積極的に探したほうがいい。

南の小さな島は誰も、周りにいない。心を打ち明けたとしても、他人に聞かれるはずがない。

二人とも心の内をさらけ出し、明るくなった。

しかし本当に、胸がつぶれる思いで心配をし、夜も寝ないで、心を痛めているのは、親御さんだろう。

分からないはず、と思っても感じるのが親だ。

今ごろ自殺でもしているのではないかと、心配で心配で寝られない日だろう。

元気な声を親に聞かせてあげるんだぞ、と言うと、二人とも、にっこりうなずいた。

ところで昨夜、民宿で遅くまで酒を飲んでいたが、年齢30歳前後と思われる、好青年が連泊。

恋人募集中だと言ってたから、今日にでも可能性はあるぞ。

帰って夕食がすんだら、民宿の庭で今夜も大勢で酒を飲むだろうから、さっそくアタックしてみろ。

二人はもう元気そのもの。

がんばるぞ! がんばるぞ! と、シュプレヒコールだ。

いつの間にか夕日は、若い二人の失恋という2文字、漆黒の海の底へいざなっていった。

夕日よ、今夜もありがとう。


145 馬鹿野郎!

 いつものように、海辺の休憩所の横で、一服しながら真っ赤な夕陽を眺めていた。

潮時は満潮で、砂浜にも珍しく観光客の姿はなかった。

すると二十代後半と思われる女性が、自転車で来るなり、私の存在も気づかずそのまま砂浜へ降りて行った。

波打ち際で止まるかと思ったのだが、その子はそのまま海の中へ、ズブズブとまっしぐらに歩き出した。

途中で止まるかと思うと、その子はさらに深い所へ、止まることを知らない。

ありゃありゃ、入水自殺か?  

私の前を通り過ぎる時の思いつめたような横顔からして、ただごとではないな。

取り急ぎ、島の消防団を呼ぶ必要があるな、と腰を浮かせ携帯電話を取り出すと、その子は胸元まである深さへ行くと、ピタリと止まった。

そして両手を口もとへ持っていき、腹の底から、あらん限りの声で、夕陽へ向かって叫び出したのである。

OOの馬鹿野郎!

OOなんか死んじまえ! 

OO! あんたなんか動物以下だ!

失恋した男の名前だろうか、悔しさを夕陽にぶつけている。

そうしていると気づかなかったが、砂浜の岩陰にでも居たのだろうか、今度は左側からもう一人、女の子がズブズブと海へ入って行き、同じ態勢で叫び出したのである。

XXの馬鹿野郎!

XX! 今に見ていろ!

若い女性が、真っ赤に沈む夕陽を真ん中に、ステレオで叫ぶ様は、心を打たれ、物悲しい。

涙を洗い流しているのだろうか。

両手で、ざぶざぶ顔を洗った後、女性は砂浜を上がって来た。

私の存在に気づくと、ばつ悪そうな、気恥ずかしい顔をした。

「塩水のまま民宿へ帰るとまずいので、そこのシャワー浴びたほうがいいぞ」と言うと、真っ直ぐシャワーの方へ行った。

シャワーの場所を聞き返さないところをみると、この島は初めてではなさそうだ。

もう一人の子も私の声が聞こえたのか、前の子の後を追ってシャワーへ行った。

自分達の、見せては恥ずかしいシーンを見られてしまった、しかし相手は、どう見ても島の人らしい。

シャワーの間に安堵感があったのか、二人はシャワー後、真っ直ぐ帰るかと思うと、私の前の腰掛け代わりの流木に腰をおろし、一緒に夕陽を眺めた。


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島の夕日。

2026年7月17日金曜日

143 ミステリー島

 古老の話によると、昔、東南アジアや中国と直接交易し、アンナ村跡はベトナムのアンナンからの移住者村で、方言はベトナムとリンクしている、とのことだが、真偽は定かでない。

島に人口が溢れ、繁栄していたということは、マルコ・ポーロの東方見聞録、ジパングはこの島のことかな。

ロマン溢れる、ミステリー島だ!

前回紹介した住民登録台帳、これと同じような形をした、そろばんとは違う、この島独特の計算機が、あったという。

島の人はそれを、縄算と呼んでいたそうだ。

古老に聞いても、現物があったことは知っているが、なかなか原理まで覚えている人はいない。

旧暦9月、暦上は10月であるが、それぞれの御嶽に集まり、願い事をする。

50年ぶりではあったが顔を出すと、年寄りたちがびっくりしていた。

その時、出された食べ物であるが、横長のクッキーの形をした物に見覚えがある。

このクッキー、謎多き島に伝わる、不思議な食べ物、頭がよくなるクッキーだった。

縦横4、5センチほど、横に二本縦に六本ほどのパルスがある食べ物だ。

縄算の計算機をかたどっているという。 

500年前、縄パルスコンピュータが使われていたのかな。

太平洋に浮かぶ諏訪湖ほど、直径三キロの島に紙や文字はなくわからない。

クッキーを食べ、より頭が良くなり健康であって欲しい。

必ず旧暦9月の神事には、各家庭で妙なクッキーを作るという。

その日も、いっぱい食べれば頭が良くなるさー、いっぱいいっぱい食べれば、と。

これがまた、都会では味わえない珍味中の珍味で、桁違いに頭が良くなったように感じるから不思議だ。

子供の頃、母親に手伝わされ、作った記憶が蘇ってきた。

それにしても、縄算なる計算機と原理、解明したいものである。

この頭の良くなるクッキー、メーカーが見ると製品化、飛ぶように売れること間違いなし。

バレンタイン商品をはるかに凌ぐ商品開発になるだろう。

受験シーズン、入学祝など殺到すること、間違いなし。

菓子業界、頭がよくなるクッキー新開発したら売れるよ。


142 大量出土

この島で、妙な貝が、大量に出土した。

巻貝ではあるが大きさがサザエの数倍あり、ホラガイとはまた違う、形そのものはサザエの化け物のようだ。

ところがその貝には、どうしても人工的としか思えない穴が一つ写真の如くあいている。

この貝は光男が子供の頃、70年前には一度も見たことがない。

古老に聞くと、自分もその貝を見たことも食したこともないという。

しかし大量に出土したということは、100年いや200年前、この貝はこの島の周りに大量にいたと思われる。

シャコガイと同じぐらいの出土量があるから、かなり生息していたと思われる。

シャコガイは70年前、足の踏み場もないくらいリーフの上にはいたが、この貝だけは誰も見たことがない。

疑問は、人工的に開けられたと思われる穴だ。

穴のことを古老に聞くと、話には聞いたことがある。

貝に穴をあけ、石に結わえつけ、海中に放牧していたという。

目の前は太平洋、魚介類はいくらでも採れるのに恐るべし、いにしえのこの島人は蓄養方式を採用していたのだ。

小さな貝はなくほとんど大きさが統一されている。

昔は電気や冷蔵庫もなかったので、祝い事や大事なお客をもてなすとき、蓄養していた貝を取り、目の前で新鮮な料理でもてなしたという。

なるほどと感心した。

いにしえの島の人たちは、海で貝を蓄養し必要な時に必要な量、新鮮な料理をし心豊かに味わっていたのだな。

私も閃いた。

今度はシャコガイにドリルで穴をあけ、テグスで石に結わえ、必要な時だけ新鮮なシャコガイを食べよう。

南の島の夕陽を眺め、新鮮なシャコガイ、貝柱、泡盛を片手に至福の時間だ。

調べたらこの貝は学名、ヤコウガイで、太古の昔中国王朝の漆器などに使われ、とんでもない高価で取引されていたという。


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ヤコウガイ。


2026年7月15日水曜日

140 不思議島

沖縄本島から、南へ400km。日本の最南端は波照間島であるが、その手前に、ものの見事なハートの形をした黒島がある。

この島は1771年、明和の大津波以前、あふれんばかりの人がおり、一大文化を謳歌していた。

山も川もない、周囲12kmの小さな島だが、島を取り巻くように南半分、6kmにわたる見事なサンゴ礁がある。

そこからは、素潜りで大量の魚がつかみ取りでき、それで島の人たちは、豊かな生活をしていたようだ。

しかし、この島には、紙と文字という文化はなかったため、今では歴史に跡を残すことなく、ほとんど知られない存在となってしまった。

写真の、しめ縄を小さくしたようなものだが、これは何かというと、この島で使われていた、住民台帳だとのことだ。

縄から髭の如く出ているもの、それによって、家族の人数や大人、子供などの情報が、全て入っているとのことだ。

また同じしめ縄のような形で、島の1軒1軒の地図が、表現されていたという。

さらに驚くのは、この縄から飛び出している髭の長短、太さ、小さな縄状物によって、計算の繰り上げ、繰り下げが出来、今で言うと、超ハイテクコンピューター並があったという。

日本や中国ではそろばんがあったかもしれない。

この島の人たちはそろばんではなく、とんでもないものを使っていたようだ。

現在のコンピューターは、パルスのあるかなしかで基本原理ができているが、パルスの長短、太さ、色分けをしていくと、超コンピューターができるであろう。

遥か昔に日本の南の島で、高度な文化を誇った人達がいたのだ。

この島の文化が、何で日本の歴史にないのか、非常に不思議であるが、いうなれば、日本のインカ帝国と言ってもいいのではないだろうか。

沖縄の民謡に興味がある人なら、黒島口説、チンダラ節、アブジャーマ等、聞いたことがあるかと思うが、この島の民謡で、紙では残せない音楽、昔の人が残した痕跡だ。

黒島口説はマイクのない昔、祭りで大勢を前に、曲の半分を大きな声で歌いながら踊るという、今のカラオケの原点が百年以上も昔に誕生していたのだ。

こんな民謡はどこにもないであろう。

120もの島からなる沖縄県、たった周囲12km、現在の人口200数十人の島から県を代表する音楽が出ている、ということは、とんでもない音楽のDNAを持った人種であることは間違いない。

島見聞録、これから島の古老たちの話を交え、立ち上げていきたいと思います。

お楽しみに。


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島の住民台帳。

138 喉輪

  絶滅危惧種であり、天然記念物イリオモテヤマネコは西表島にしかいないが、実は石垣島にもいたという説もあるが、この黒島にも70年ほど前まで生息していた。

黒島でこの山猫を見た人は最近他界したので今では光男ただ一人しかいなくなった。

この山猫は普通の野良猫と比べ、顔がまん丸くてしっぽが太くて短い、足も短い、いわゆる短足ずんぐり型だ。

顔が丸いのは顎の筋肉がかなり付いているのだろう。足が短いのもかなり筋肉が付いているせいで短く感じられるのだろう。

運動能力は通常の猫の域をはるかに越えている。

まずは完璧な夜行性、真っ暗な夜、眼光がものの見事な黄金のビームを発する。50メートル先でも確認できる。

消えたかと思うと、こちらの動きや声で別の所から黄金のビームを発する。

また獲物を捕る時の動作が見事だ。

島のニワトリはこの猫のためか、桑の木の枝で寝る。観察するとある程度風があり、木の葉の音がワサワサし、多少しなっているタイミングを狙う。

助走から一気に桑の木を四本の足で抱くようにスルスルっと駆け登り、飛びつき、まずは鳥の喉輪を瞬時に噛み砕く。

鳥は声を出す間もない。

風で枝はしなったりしているので、他の鳥たちは気が付かない。

くわえたまま落ちるが、猫は四本の足で見事着地。鳥は地面へ叩きつけられる。

もし瞬時に喉輪を噛み砕き損ねた場合、鳥の足が猫の足を掴めば、四本足での着地は出来ず、地面へ叩き付けられ一巻の終わりだろう。

風や葉音、しなり具合の読み、瞬時に喉輪を噛み砕くなど、見事としか言いようがない。

また台風時には鳥たちは木の上では寝られない。

獲物が簡単に手に入り、この猫がこの地域に生き延びた原因だろう。

住処も重要だが、この地区にはアダンやガジュマルの木がある。

この木は横に延び、途中より気根を地面へ次々と下ろし這っていく。

木も台風から己を守るため上へ伸びず横へ這うように伸びる。

途中から気根と呼ばれる根を垂らし横に寝るように、這って大きくなる。

地面と横たわる木の高さは50センチ前後、柱の如く気根が沢山あるため絶好の住処。

勿論ハブやネズミ、ヤドカリやトカゲなど南国の動物の楽園で他の動物が入り込めないため、昼間も安心して寝られるのである。

光男は古代から生き延びるこの猫の狩りから、一番大事な事を教えられた。

時代の風向きや自分の置かれている状況等を慎重に読み、ネックの喉輪を瞬時に噛み砕く手法だ。

人生では千差万別だろうが、必ず問題があるはずだ。

慎重に読み、どのタイミングで瞬時に喉輪を噛み砕くかだ。

自分は今動けるのか、親の状況やあるかないか。

兄弟の問題、家族に病人がいるかなどを読み、飛びつくタイミングはずれていないかなどが重要だ。

137 思考配分

また思考配分をした生き方をすると、チャンスが間違いなく時系列で捉えられ、その時の流れや風向き、風色など、一気に喉輪を噛み砕く手法が採れるといえる。

思考配分、なんて初めて聞く言葉でしょうし、学校でも教えてくれない。

がしかし騙されたと思い、頭へ叩き込み実行して間違いない、人生最良のチャンス獲得思考だと言えるでしょう。

十人十色、チャンスもまた十人十色で違います。

己の脳、波長に合ったチャンスを捕らえる。

それには、思考配分を常に心がけ、好奇心を絶やさない。

その二本柱の元に前もってチャンスを見据える、そこから間違いのない決断が生まれ、実行力へと繋がる。そして結果が出るのだ。

多くの人が夢を諦めるな、と説くがこの夢が困ったものだ。

寝て見る現(うつつ)の夢と己の希望なる夢が同じ字で、子どもたちに混乱を招く。

時の総理が沖縄の基地問題などたちどころに解決してみせる、伝家の宝刀、腹案があると言って印籠をちらつかせ、結果、幻の夢であった。

挙げ句の果てが、国民が聞く耳を持たなくなっただと。

もしかして母親が夢枕に出、ささやいたのではと笑ってしまう話だが、

国権の長としてあるまじき行為であるが、現実の夢と現の夢が区別されていないのではないだろうか。

教育の間違い、外国から日本人が曖昧だ、といわれる原点は感情の区別が出来ないところにあるのではないだろうか。

議員の皆さん、寝てみる夢と、しっかり未来を見据えてみる夢、この字に区別を付けてほしい。

話はそれたが、よき決断を出すには人それぞれの考え方や見方で大きな違いが出る。

貴方の決断、熟慮を願うのみである。

光男は生まれた島へ舞い戻った。

島には時が見放したのか、時を見放したのか、のんびりした古老たちがいる。

TV界で40年間番組を作り続けた光男との会話など、面白エッセイ南島見聞録を発信します。

引き続き、お楽しみください。

136 時代背景

 昭和30年代、集団就職で沖縄から大勢の人が本土の工場へ寮生活でなだれ込んだ。

数年もすると飛び出すが、身よりもなく親の援助や庇護もない。

世の厳しさに負け、犯罪に手を染める人もいた。

ニュースで名字から沖縄出身者であることは判明する。

沖縄出身者への偏見が漂っていたのだ。

光男はパスポート時代に結婚。単なる反対ではなくこのような時代背景もあり、塩をまくだけではなく、警察を呼ぶと喚かれたことがあった。

何もなくても、その内事件を起こすだろう、と見られていたようだ。

先日沖縄の会合へ出ると、演壇の挨拶者が昔の偏見について話し、沖縄出身者には大家が部屋を貸さない風潮で、心底悔しい思いをした。

衣食住に事欠いた等の話をし、大泣きで挨拶を終えた。

年配者が頷きもらい泣き、光男に同調を求めてきたが、過去よりもこれから前向きに生きようよ、といってやった。

当時アパートには「沖縄出身者お断り」の看板が結構あったことは事実である。

今時の若者、光男から見るとあまりにも恵まれすぎている。

光男は逆境を生き抜いてきたからこそ、先を見通す思考が不可欠だった。

チャンスは日夜降り注いでいるのに、このチャンスを捉えきれない、見過ごしているのではないだろうか。

チャンスの女神、何度かそっぽを向かれると、遠ざかっていく。

しからば確実にチャンスを捉える方法はないのか、と考えると、思考配分をキッチリ出来れば可能である、と光男は言う。

光男論、3年先に30パーセント、5年先に20パーセント、現状に50パーセントの思考配分、エネルギー投資配分を常にするべきだと主張する。

確かに今日、明日の現状も疎かにすべきではないが、足下ばかりに気をとられていると、いきなり山が立ちはだかったり、谷や川が立ちはだかる。

3年、5年先の目標を見、思考配分すると、草原の一本道を歩むが如く山や川も確認できる。

山登りの準備も出来、川は水量の一番少ない時期にタイミングをとり渡ることもできる。


2026年7月13日月曜日

135 彫刻刀

人体にとって、血液は酸素やビタミンを運び、調節し、無くてはならない重要な役割を果たすことはいうまでもない。

人生においては、その役目を好奇心が果たすのではないだろうか。

好奇心があるからこそ、知恵が湧き出し工夫もするし、トライも出来、幸せも湧き出る。

小学校時代、貧しくてクレヨンが買えなかったが、じっとしていられなかった。

普請場(ふしんば)を回り釘を見つけてくる。

五寸釘は最高で、硬い木に打ちつけ、頭を火にくべ、トンカチで叩き、砥石で研ぐと色々な形の彫刻刀ができる。

カエルやハト、面や仏像など彫りまくる。

デイゴの木は枯れると硬いが、生の状態は柔らかい。

石膏代わりに使えるのだ。メガネの木なるものがあるが、その木を切って自分の骨格に合わせ、自作の水中メガネ、ゴーグルを作る。

三角や四角いガラスを根気よく削って(こそげて)丸くし、ヤラブの木の根に傷を付けると、蝋状の樹液が出る。

それをガラスの隙間へ詰める。

子供は骨格が毎年変わるので作り替えるのである。

ちなみに最初は竹で作ったが具合が悪いのでユナーの木で作った、水中メガネ発祥はこの島だと古老が言っていたが、定かでない。

最初は生芋で作ったそうだが、かろうじて一日しか使えなかったといっていた。

光男はかすかなチャンスを確実に生かしてきた、といえるのではないだろうか。

高校は叔父、叔母の家をたらい回しにされながらも、お世話になってやっと卒業する。

当然就職するところを上京のチャンスを得る。

会社選び、周りは金に目がくらみ、条件のいい会社へいくが、光男はテレビ界を選ぶ。

しばらくは鳴かず飛ばずの窓際族を決め込む。

沖縄が本土復帰をし、パスポートを焼き捨てると光男は豹変したが、そこには訳があった。


134 簿記

 石垣島の高校に理系コースはなく、光男は商業コースで簿記やそろばんを習い、上京後たった二年間夜学の理系専門コースを出、局入り。

昼間は重労働のため、勉強もままならない。

入社時、専門知識は同期の連中に比べれば雲泥の差で、かなり出遅れていたため、情報最先端のシステムは驚きの連続。

しかし好奇心の固まりの光男にとって最高の場でした。

父の言った、思った通りやればいい、これは生涯光男の座右の銘となった。

進路や会社選び、仕事の上、結婚など、誰にも相談することなく、存分に思った通りを貫いた。

おそらく、このブログを見ている人で光男より恵まれない境遇にある人は皆無でしょう。

かすかなチャンスを確実に生かす。

後へは引けない境遇が功を奏したといえるでしょう。

そう、島育ちの子供は15歳で親の傘下を出、親離れする。

親の庇護から外れるという事は、辛酸を舐める事になるが、この人生の第一関門をどう乗り切るかがその先を大きく左右する。

二十代、それは人生のチャージをする時期です。

たけしも鳴かず飛ばずの二十代があったし、テリーも書いた通りで、光男も同期にズルズル置いてけぼり。

ちょっとしたチャンスで豹変していったのである。

経験からして、人生で一番大事なのは好奇心ではないかと思います。

よく夢を諦めない、なんて言われますが、むしろ何でもかんでも好奇心をもってあの手この手でトライし続ける事が大事だ。

死ぬまで好奇心を絶やすな。

光男がメディア先進国アメリカをギャフンといわせたい。そして出来たと自負。

クイズやワイドショーなどスタジオ中心時、ロケの映像を全国のお茶の間へ流せばどんな変化があるのかテレビがどう変わるのか、好奇心の延長線だった。

ランプで育った光男は入社早々局の心臓部テレシネマスター職場へ配属。

そこは送信システム、膨大な送出機材、放送直前の素材管理、30局のローカル局制御、後に衛星回線制御システムなど情報の最先端。

高校は地元に理系がないため商業コース出で、目を見張るどころではない。

しかし寸暇を惜しんでラックの裏へ潜り込む。スタジオのラック裏、中継車のラック裏などすべて解明。旺盛な好奇心を満たす絶好の場であった。

後に光男は中継車を自作、その中継車で生放送までやってのける。

情報番組、渡辺浩弐司会「正義の味方」は光男自作中継車生放送番組であった。

キー局はネット問題、巨額のスポンサー費等を考えると、VTRやローカル番組は別とし、まず自作機の使用は認めないであろう。

キー局の歴史に自作中継車生放送番組の項目があれば、たった一人光男の名前が載るであろう。

一時、ダンプ松本などの女子プロレスがはやった時期があったが、その時も裏方として光男の存在があった。

内容的には中継車を持ち込む状態だったが、そうなると会場等で制約を受ける。

光男は映像システムをコンポーネント化しその都度ホールの隅で組み上げ、バラすシステムを作り上げたのである。

システムエラーで番組に穴が開けば膨大なペナルティーを要求される。

今なら簡単に出来るが、当時は大きなリスクを伴う手法を実行できる人はいなかった。

女子プロレス番組を見た人なら、当時他の番組にはないリアリティに富んだ番組であった。

番組制作費をかなり安く出来たのも当然だった。

133 高校

当然石垣島での下宿、高校を出ることなどあり得ないことだ。

石垣島にいる父の弟、叔父が乗り込み、生まれた子が栄養が行き届かず三人も他界して、やっと出来た男の子だ。

せめて高校くらいは出さないとあまりにもかわいそうだよ、と迫るが父は貝になるしかない。

とうとう光男を叔父が引き取り、高校を出すことになり、一年遅れて高校入学。

しかし二年も終わる頃、叔父と叔母の言い争いが光男の耳に入る。

叔父はご用聞きの便利屋家業。五人もの子沢山が、自分の子供すら育てられないくせに他人の子供まで預かる甲斐性なし。

と叔父母の言い争い。

二年終了で中退を決意し島に戻る。

今度は別の叔母さんが、もう少しだ、もったいない。

私が預かると申し出、やっとの思いで卒業。

当然地元で働き親や周りに恩返しをすべきだが、どうしてもあの五コマ漫画の映画が見られるテレビが忘れられない。

父に上京を打ち明けると「思った通りやればいい」と絞り出すように言ったのである。

わずかばかりの、戻るに戻れない金。

親や古里を捨て、本土玉砕を覚悟した特攻精神の原点。這いずっても引かない脳内プログラミングが出来てしまったのである。

光男はいつもあのカールブッセの「山の彼方の空遠く・幸い人の住むという」を口ずさんでいたが、光男にとって、それは山ではなく海だった。

人口数百人の島から五万人の大都会、映画館のある石垣島。

そして高校三年間、光男の脳内夢酵母は爆発的な発酵現象を起こし、沖縄本島を飛び越し、遙か海の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う。

東京があるという。

紙芝居ではない、映画が出るという魔法の箱、テレビがあるという。

舳先へ立つ光男の視界に、巨大な東京、己の人生を存分にぶつけられる大舞台へたどり着いたのである。

人口数百人の島から五年後、一千万人の東京、そして放送界入り、全国のお茶の間、一億人を視野に活躍できる場を確保できたのである。

後は「これしかない!」

やるしかない、だった。


2026年7月11日土曜日

132 おいしい画どす

 ところがこの男、とんでもないことをしでかすのであった。

野球中継の技術総責任者は、中継車の中でカメラやVTR、音声や照明等に指示を出し、画像を瞬時に切り替えるテクニカルディレクター(TD)である。

このTDは12台のカメラ、6台のスローなど18画面、音響や照明など、インターカムで繋がっており、適宜指示を出し、かなり経験を積んだ15年、20年選手が通常は座る。

まさかの出来事だが、このB君、5年を待たずしてTDの席へ座っていたのである。

当然大ベテランは自分がTD席へ座る番。10年早い、と怒鳴りつけ、足を引っ張りそうなものだが、どういう訳かB君にはトチらせたくない。

という雰囲気を持ってフォローしたくなる性格だ。

大先輩、三カメさんいただきました、あんがとさん。

およよ五カメさん監督キープ、おいしい画どす。OK。なんて京弁丸だし。

怒号飛び交う車内の雰囲気が、がらりと変わっていたのだ。

TD経験のある大御所から「B君は君が面接採用した光男組だろう。どこを見込んで採用した?」と聞かれたが、こちらが質問したいところです、と答えた。」

もちろん甲子園経験A君も同期に負けじと、現在でも切磋琢磨中である。

今宵も後輩たちの成長ぶりをテレビで楽しみ、晩酌する光男であった。

光男中学卒業時、小児麻痺の妹は7歳、どん底生活だった。その日の食べ物すら確保できない状況。

忘れようにも忘れられない食べ物、それはカタツムリだ。

食べ物も底をつき何もない。雨が降ると石垣の合間から小さなカタツムリが這い出る。それを沸かして食べるのである。

勿論醤油や味噌もない。

ぬるぬるし、殻ごとジャリジャリ食べるのである。

母は痩せこけ栄養失調状態だが、必死に光男の命を繋いだのである。

フランス料理、カタツムリが高級料理らしいが、光男にとってはゾッとする食べ物、生涯口にすることはない。


131 映像技術における下克上

放送業界、歴史の最重要なVTR問題に立ち上がった人は一人もいなかった。アメリカへ立ちはだかった人はいなかった。

当時民放から見ると、国家予算にも匹敵する巨額の開発予算を行使していたNHKですら、このオメガ方式には関与する猶予はなかった。

技術資料館にはオメガ方式、これに由来する物証は一案たりともないでしょう。

このオメガ方式、電子編集こそがNASA開発のVR-3000を駆逐し、日本が先進国アメリカを一気に抜き去り、映像王国にのし上がった瞬間である。

光男は3年で方式問題、編集問題をクリアし、5年後にはアメリカ大リーグがお手本にするスローVTRを多用した番組を作り上げたのだ。

全国のお茶の間が明るくなったことはいうまでもない。

チャンネルや電波の系列など、小さすぎる、コタツでテレビを楽しむ全国の人々を常に意識しろ、が口癖。

光男の上司は慶応大卒の切れ者と言われた人物だったが、光男のことは、タイニン(大人)タイニンと呼び、全幅の信頼をおいていた。

未来の番組作りを託せる社員を採用しよう、と光男は新人採用に乗り出す。

サッカー番組の台頭は著しいものがあったが、当面野球は続くだろう、と考え野球番組メンバー採用を優先させ、筆記試験、書類選考から面接へと進んだ。

その中に甲子園出場者がいたので当確にしたA君、もう一人どうしても拍子抜けするB君がいた。

京都出身で、名前も公家が使う名前、応答が京都弁でくる。

スポーツ系でもなく文系でもない。

なに系にもあてはまらないが、ドラマのカメラマンでもやらせば使えるかな、と採用を決める。

新人は2年間、ドラマや音楽、報道取材やワイドショーなど、あらゆる番組の下働きをさせ、顔つなぎや適性を見極め、本人の希望も採り入れ、方向付けをし先輩に預け育てる。

一年が経った頃、つかみどころのないB君をどのジャンルへ当てるか悩んでいた。

しゃべりや対応のしかた、ふにゃふにゃに見え、どうやっていいのか、リンダ節、こまっちゃうな~と歌いたくなる心境。

しかし本人から野球をやらせて欲しいと言ってきたので、とりあえずやらせてみることにした。


130 ソニー社長さんよ

 ソニーは昔、ホームビデオのVHSとベータ方式の規格争いで大敗し、放送用VTRもかなり立ち遅れており、VTR事業撤退かと言われたが、光男の出現で一気に逆転。

なお放送用VTRでは独占体制。

開発担当部長だったM氏は後に副社長まで駆け上がっていったのである。

そこでまたまた光男のズッコケが出てしまうのである。

光男は何時も会社の近く、すぐ戻れる一キロ圏内の焼き鳥屋で後輩たちと番組談義をしていた。

ソニーM氏から会食をしたい、との連絡。

夕方営業マンが迎えに来、連れていかれたのがホテルニューオータニ最上階の、当時最高級のフランス料理店だった。

髭の剃り跡が青く、格闘家風のがっしりした体格、ニタリ顔が似合わない、チョコんと乗った白い帽子がこれまた似合わない男がうやうやしく迎え入れた。

光男が主賓だと分かっているのだろう。

横でメニューをさかんに進める。

これがまた訳の分からない言葉である。

焼き鳥屋に指定席を持っている光男、これほど上品な店、妙な外人に完璧に舞い上がってしまったのである。

とりあえず雰囲気を察したM氏が注文。

目の前に訳の分からない食べ物が並べられたのであるが、光男は一度もフォークを使ったことがない。

使い方を知らず手が出ないのである。

野蛮ではしたないな、と思ったが、M氏がパンを手でちぎっているので真似をした。

ビールだけは通じるので、パンをちぎり、ガボガボとビールを飲む。

泡盛で鍛え、横綱を自認する光男は雰囲気と変な外人に酔いつぶれてしまったのである。

たかがビールごときだが、雰囲気が人を酔わせる初体験をしみじみと味わった。

おそらくこの店で豪勢なフランス料理を注文し、パンだけで終わらせた客は光男だけではないだろうか。

あの青顎男は店員とこちらを指さしニタリニタリしている。

おまえフランス料理を食べる資格のない田舎者が、と言っているように見え、愛嬌なのだろうが、空きっ腹にニタリは腹が立つ。

癪なので方言で「ウワ、ファ~ナカ、バフォ~ン」(あなたが食べなければ私が食べる)と方言で言ってやった。

それにしても光男は食べ物でよくズッコケる。

ソニーの社員がこのブログ見ていたら、社長に伝えてくれ。

光男がニューオータニでのリベンジマッチ待っている、と。

当時ソニーはアメリカナイズナンバーワンと言われた企業で、他のメーカーの営業マンは飲み屋の接待。

場合によってはゴルフ接待など常識だったが、ソニー営業マンは喫茶店のコーヒー代とて、必ず宛名にソニー名がないと認められない、とぼやいていた。

接待がタブーな企業が名もなき光男を日本で一番高級なレストランでもてなす。

どれだけ利益をもたらしたのか計り知れないだろう。

当時のソニー社内事情、社風からしてあれほどの接待をした人は光男だけだろう。


2026年7月10日金曜日

129 テリー伊藤氏を生かす。

 問題は完璧にテリーに反発しているスタッフだ。

帰りに焼鳥屋へ立ち寄り、この番組は思い切った強化策をとる、と切り出すとM君は、怪訝な顔をしていた。

カメラ、音声、VTR課の課長がすべてスクラムを組みスタッフを出さないことになっている。

光男が部長命令を出したとしても社内事情は無理だと分かりきっている。

業界にはボツボツ、フリーでやっている人がいるはずだ。

彼らを動員しようと言うと、やったーと膝を叩いて納得。

さすが、と握手をしてきた。

ゴールデン番組なので日当は割り増し払いの触れ込みに、一気にスタッフ問題は解決した。

テリー伊藤氏はまだ初心者、ビートたけしとの間を取り持ち充分なるフォロー体制を取るように、とMカメラマンに指示。

軌道に乗っていったのです。

当時、雨傘番組だと手を抜き、二流カメラマンを当てるのが普通だが、キー局のゴールデンカメラマンを裏番組、当面の敵局に惜しげもなく当てる。

光男がいかにロケの映像を茶の間に届ける事を重視していたか分かるだろう。

またこの番組では各メーカーの試作機を次から次と取り寄せテスト。

ノウハウは後のオールロケ「ねるとん」番組へ繋いでいったのである。。

テリー伊藤氏は、光男がロケの統括としてバックに控えていたから、社会人初の大きな番組のディレクターが務め上げられたのだ。

ビートたけしもこのMカメラマンがいたから軌道に乗ったと言っても過言ではないだろう。

民放に勤める人なら誰もがあの巨額の予算とキャスティングで展開する大河ドラマを凌ぐ番組を作りたい、と思うがレギュラー番組では実現していない。

そう、光男とMカメラマンのコンビはいとも簡単にそれを実現したのである。

当時の日テレ、フジテレビ、両局の視聴率を合算するとレギュラー番組で常に大河ドラマを上回っていたのだ。

光男があの東大卒敏腕ディレクターと一歩も引かない覚悟で臨んだ裏には、この読みもあったことを書いておこう。

ビートたけしのスタジオ部分は日テレ局社員制作、完璧とは言えないが、ロケに頼る点も大であった、おまけの解釈。

日本テレビさん、ごめんなさい。


128 立ち往生

 テリー伊藤氏の若い頃を書いてみよう。

彼は学生運動の火炎瓶で斜視になった、と他のブログで書いてあったので書くが、卒業直後「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケ担当ディレクターだった。

もちろん番組作りは初めてで、ロケの技術を受注したのが光男。

スタート当初テリー伊藤氏は、あまりにも番組作りを知らなすぎた。

番組にならない、とスタッフが総スカン立ち往生してしまったのである。

Mカメラマンにはゴールデン番組なので、決して手を抜かないよう指示はしていたが、とうとう彼ですら限界を超えた。

残るは光男がロケ総責任者として一喝すべし、とのことになり会うことになった。 

会ってびっくり、彼は童顔でどう見ても学生アルバイトではないのか、雨傘番組(あまがさばんぐみ)とはいえ、と思わせる状況だった。

学生運動での火炎瓶事件後なので、斜視がひどかった。

更に吃音(きつおん)もひどく、光男の見た感じでは障害者に見えたのである。

小児麻痺という障害者を妹に持つ光男にとって、障害者に見えるテリー伊藤氏は切り捨てるわけにはいかなかったのである。

静かに耳を澄ませてテリー伊藤氏の話を聞くと、言っていることに理はある。

技術がついて来ない旨を言っているが、一番光男がロケ機材や装備、電源など開発を急ぐべく各メーカーを駆けずり回っていた時期。

機材開発は各メーカーが協力体制をとっており先は見えている。

この男を潰す訳にはいかない、フォローしようと腹に決めた。

光男は、一喝どころか何一つしゃべらずに帰った。


127 さすが東大

 M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。

「実は私もM君の才能を高く評価しています」と光男は真面目に話し出した。

彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ、自信を付けさせたい。

民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。

そして、その才能、ノウハウは今後、必ずフジテレビのために使います。と淡々としゃべったのである。

H氏はしばらく天を仰ぎ沈黙の後、いきなり立ち上がると、握手を求め、この話はなかった事にしようと言ったのである。

「さすが東大出だな」と光男は感じいった。

論争を続ければ、光男という男は業界及び世界までも視野に入れている。

一局一番組だけにこだわる、己がスケールの狭い男に映る。

また先程からの態度を見れば、この男はクビが飛ぼうが決して引かないだろう、と咄嗟に判断し握手を求めたのだろう。

光男は名字の多良間で即沖縄出身である事は分かり、普段は沖縄と呼ばれ、かくして沖縄東大紛争は決着した。

周りからはどうやって説得したのか、興味半分に聞かれたがひかるは何もしゃべらなかった。

光男はわざわざ放送業界や世界における日本のメディアの位置付けなど用意した訳ではない。

子供の頃より手に取るような天の川、流れ星を庭に育ち、入社当時は魔法の箱解明に専念。

10年もすると、何時の間にか業界や世界を視野に入れた思考をするようになっていた。

今の若者たちには光年単位で息づく天の川を眺め、どうせ気がつけば短い一生、スケールの大きな人生を歩んで欲しいと願うゆえんである。

H氏はさすが東大出で、後に歌合戦はたけしに視聴率を食われ、あえなく終焉する。

しかしたけしはさんまと組んでタケちゃんマンでフジテレビゴールデンタイムに貢献する。

そしてひかるに新企画、ねるとん紅鯨団が持ち込まれ、即M君を起用、約束通りその才能を存分にフジテレビに生かしたのである。

ねるとん紅鯨団は二つの大きな効果を局にもたらした番組である。

テレビ局は時間を売る商売だ。

当時、ねるとん紅鯨団放送の時間帯は、なかなか視聴率がとれない、売り物にならない死に時間帯で、それを何とかしたいと模索の末の企画。

そのヒットにより、他の曜日の同時間帯にも火がつき大きな利益をもたらしたのである。

また前にも記したが、カメラとVTRを4台パラ回しで多重記録することにより、オールロケでど素人を主役に、いとも簡単に番組が出来ることを証明。

以後ロケ番組が軌道に乗り番組革命ができたのである。


126 雨傘番組

 ビートたけしは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたが、その後影が薄くなっていた。

浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。

ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてたけしの名前を番組の冠に付けた、

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」なる番組の企画が持ち込まれた。

この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターで放送時間の穴埋め用番組。

業界では「雨傘番組」と呼んでいた。

名の通った役者なら断りそうなものだが、たけしは縋るしかなかったのだろうか。

当時フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」が好評。

光男はフジテレビ日曜夜8時、欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」チーフカメラマンM君をゴールデンタイム裏番組

「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケチーフカメラマンに起用することにしたのです。

歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、元気が出るテレビは日曜収録無しでしたが、野球が終わると11月から雨傘がとれ翌年3月までゴールデン番組になります。

結果、たけしの海外ロケ企画が持ち上がり、家族対抗歌合戦収録の日曜日がもろにぶつかります。

たけしの海外ロケにMカメラマン起用を約束した光男は、両局のメンツがぶつかり、窮地に追い込まれることとなる。

フジテレビの日曜8時、ゴールデン番組のチーフカメラマンを、いわゆる完璧な裏番組に起用することにフジテレビHディレクターが異を突き付けてきたのである。

担当課長等に交渉させるが、らちがあかず、とうとう最後の砦として光男の出番となった。

H氏はフジテレビきっての東大卒敏腕ディレクター、学生運動では安田講堂の屋上で大きな旗を振りリーダー役、全国弁論大会を制覇してきたと噂される弁舌家。

当時の芸能界大御所、古関裕而や水の江瀧子など、こうしましょ、こうして下さい、など歯に衣着せぬ自信溢れるてきぱきぶり。

フジテレビでは当時、早稲田卒が圧倒的に多くいたが、この東大卒にだけは勝てない、といわれていた。

かたや光男は子供の頃から25歳までもの言わぬ人と言われ、社内でも窓際族を通し、やむなく社の中心に据えられたばかり。

勝負は既にあったも同然と言われたが、光男は日本テレビ側にM君の起用を通達済みで、引く訳には行かない。

H氏にアポをとり会いに行くと、歌合戦の編集中だが完璧に無視した態度。

待つこと2時間近く、光男はソファーで微動だにせず薄目で様子を見ていた。

この男、終電になっても明け方までテコでも動く気配がない、と観念したのか、Hディレクターは前に座ると一気にしゃべりだした。

「何度も言っているが、M君は私が手塩にかけノウハウをつぎ込んで、やっとチーフが張れる迄育て上げてきた。

事もあろうに当面の敵局、裏番組に起用するとは常識外だ、向こうが軌道に乗れば、こちらの視聴率が喰われるんだぞ」と。

子会社の身分で場合によっては君のクビだけではすまない、社長だって危ないぞ、と光男を逆なですることまで言われ、怒鳴り返したかったが、そこは忍々。

存分に喋らせた後、たどたどしいながら光男は喋りだした。

2026年7月9日木曜日

125 人生の証 我々が地上で生きら

れる時間は、大きな宇宙の営みから見た場合、まばたきの瞬間なのかも知れません。

たとえまばたきの一瞬でも地上に生を受け、鼓動が動き出した以上、この鼓動が動いている間、止まる前に自分自身が生きていたという証、足跡を残したい。

人々がひしめく大都会、巨大化した組織の中、これが自分の足跡だと言えるものは、なかなか見つけられません。

光男の場合、少年の頃見た夢に、人生のほとんどを費やし、追い求め続けた魔法の箱、テレビ少年物語、ブログそのもの自体が光男の細やかな人生の証ではないかと考えています。

たかがブログ、だけど宝だブログ。

たった一人でもいい、人生灯台の一コマになれば。

長年待ち望まれた沖縄最南端八重山地区への民放の開通、光男の両親が眠る墓にも電波が届きました。

光男の夢は実現したのである。

島を訪れると、わざわざ船でビデオテープを借りに行かなくても済むようになった、と若者たちは大喜び。

テレビを見ていると、おばあちゃんが不機嫌になり、血を流し争うテレビは嫌いだといきなり電源を切ってしまう。

演技で、本当にはやっていないと説明しても分かってもらえません。

NHKしか映らない時代はそうでもなかった。

東京へ帰ったら、そんなテレビは作るなと言われ、穏やかに生活して来た島のお年寄り達の心を乱してしまったのではないかと、考えさせられました。

また、北半球の日本から南十字星が見えるはずがない、と思われる事でしょうがこの地区では、5月の末から6月の初め頃、見事な十字星が見えます。

南の島、夕闇せまる浜風と水平線にひときわ輝くこの神秘的な星に出会う時、何とも言えない安らぎを感じます。

ただこの時期は梅雨時で、特に南の空は積乱雲が多く、この星に出会えれば、心身共に癒されます。

南の孤島、夜の砂浜で大の字になり空を眺めると迫る天の川、宇宙が手に取るようです。

今起きているようだが流れ星、もしかしてかなり前の事象では?

そして迫る壮大な宇宙、地球の鼓動を背にすると、今己は地球を背負っているんだ、と思いを馳せることでしょう。

いや地球は俺が背負って行くんだ、背負っていかなければ、とスケールの大きな人物になれるはずです。

皆さんもそうだが、中学生くらいのお子さんをお持ちの父なら、是非地球を背負う体験させるべきです。

東京の浜で大の字になってもいいが、宇宙を目前に感じられない、南島をお勧めします。

光男は周りからタイニン(大人)タイニンと呼ばれたが、子供の頃、地球を背負っていたこと知らなかったでしょう。

常に国内外、世界を視野にメディアはどうあるべきか、考えていたのである。


124 挑戦

光男の、もの言わぬ少年時代を知る人は「これほど変身できた人はいないだろう」何かあったのかと聞かれますが何もない。

ただ情熱のほとばしるまま、人生の波を味方とし知恵を使っただけだ、と答える。

抑圧された人間の悔しさが開き直る時、その悔しさの度合に応じ変身できるのです。

人生のチャンスという波が訪れた時、蓄えたエネルギーをバネとして使える生き方をして欲しい。

背伸びし切った生き方は、いつの日か息切れすることでしょう。

また光男の場合、物事に挑戦する時、一つの思考パターンがある。

作物を育てる時、出来の良い種を翌年植え、徐々に収穫を増やし満足するまでには数年必要とします。

このことから、光男も何か成す時は、畑を耕し種を蒔き水をやる。

3年目に花を咲かせ、4年、5年目に実績という収穫を得られるという例えで、3年から5年先を視野に入れた実行方式を取り入れてきました。

この思考パターンは、じっくり腰を据えて取り組めるため、ほとんど失敗することなく結果が得られます。

参考にしてみてはいかがでしょうか。

もし貴方が3年前と今現在を比較し、何の変化も感じられないとすると、いま何か手を打たなければ3年後も同じです。

と言うことは、前後で6年間、何の変化もない人生ということになります。

何の変化もない人生を求めるならともかく、自分は、20代、30代、40代はこういうことをやってきたと言える、人生のアルバムが必要ではないだろうか。

人生ドラマ80年、1日1日がワンカットの積み重ね。

スターは、あなた。

監督も、全てあなた一人の独壇場。

己の人生、楽しい最高のドラマです。

テレビのドラマ、己の人生ドラマと比べたら比較に値しない。

若者よ! 

即、己の人生ドラマ企画立案、取り掛かろう。

今日一日、あなたは納得できるワンシーン作れたかな?

光男の御告げ

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり。

若者よ 思い残すな 明日は華。

貴方には 誰にも盗られない 知恵がある。

貴方には 誰にも止められない 鼓動がある。

これしかない。

己の人生ドラマ ロマンを持て。

そして、 

 命を張れ!

 命を張れ!


2026年7月6日月曜日

122 傘をさすのは人間だけだ !

  筋肉が付き、ピコタンも徐々に目立たなくなり、勉強で他のいじめっ子を負かす事ができる、と悟った光男は、必ず一番になると猛勉強をするようになった。

周りの家では、石油を一升瓶で買うが、貧しく二合瓶でしか買えない。

小さなランプだが、父は光男に明け渡し、細かい仕事を明るい内に済ませ、暗闇でせっせと内職をする。

子供の時の境遇は大人になってから、大きな財産となる。

小中学を通し、どしゃ降りの雨に打たれたことは、いつの間にか苦痛ではなく、光男の中で修行僧が滝に打たれる如く、快感になって行ったのである。

ある日、営業で大きなイベント収録を受注、最終打ち合わせ確認時、途中よりどしゃ降りの雨となったが、例によって快感を感じ客先へ行った。

軒先で滴る雨を切り、客の前へ立つと相手がびっくり。

タクシーも有るだろうに、傘も買えるだろうに、と

ソファーに座ると濡れるので、立ったまま最終確認をし、またどしゃ降りの雨の中を平然と帰る。

イベントは晴天に恵まれ大成功。

その会社の社長が「光男と言う男、雨が降ろうが槍が降ろうが、しっかり仕事をやり遂げる、一番信用出来る」と尾ひれを付けて回ったのである。

もっと大きな財産は、周りが全員風邪を引いていても、部屋中菌が充満していても、

絶対と言っていいくらい、この男の体はまともじゃないのではと疑うほど、風邪を引かない丈夫な体になったのだ。

そして言う「地上にいる動物の中で、雨が降ったからとて傘をさすのは人間だけだ、雨なんぞ負けるな」と。

母との約束で学校へ行きはしたが、やはり借りてきた猫の如く、もの言わぬ人、方言でムヌザとあだ名され卒業。

高校へ進むにもまた、島からは同学年で光男一人。

地元の石垣中学から、なだれ込んだ連中が、徒党を組んでいるように見え、ここでもまたもの言わぬ人とあだ名され卒業。

上京後就職するにも、今度は異境のパスポート沖縄人として見られ、そのことが自分自身にも大きくのしかかり、言葉のなまりが気にかかり多くをしゃべらなかった。

同期の人は30歳前に管理職として登用されていきますが、やはり置いてけぼり。

やっと30歳で管理職の末席につくようになった頃、先輩管理職がごっそり飛び出していったのです。

その後、社の状況は日に日に悪化、ほとんど泥沼に片足を突っ込んだ状態となりました。

取り巻く状況が悪い時、ほとんどの人は身を守る方へと向かいますが、光男の場合、全く逆で一気に攻める事を考えたのです。

長い間もの言わぬ環境で育ち、何かに挑戦してみたい、他人に負けるはずがない、という情熱のエネルギーが、爆発寸前まで蓄えられていたのです。

貧乏のどん底を這いずり嘗め回す、しこたま言葉を無くす程いじめ抜かれる、人生の一番大事な結婚では、生い立ちを罵られ塩を撒かれる。

人間、生まれた所で価値が決まるわけではない!! と怒鳴りたいが耐え抜いてエネルギーを貯めるしかなかった。

そのエネルギーは、人間が豹変したのではないかと思われる勢いで、トップを説得しまくり承諾を得ると即行動。

まず100人を動かすには、行動を共にするブレーンが10人いれば、流れは変えられるだろうとブレーン作りを開始しました。

守りに回った人を攻めに転じさせることは容易ではありませんでしたが、熱意をもって説く姿にブレーンが増え、大きな展開ができるようになったのです。


121 ペルテス病

 振り返ると光男は小学校入学時、登校拒否児でした。

五歳の時、股関節変形のため片方の足が2センチほど短く、入学時、他の子が運動場一周するにも、半周しか出来ないピコタンピコタン歩く状態。

貧しくカッパが買えない大雨の日、母は蓑傘を着せ、登校させる。

途中、光男はあまりの格好悪さに気づき、帰ると脱ぎ捨て、ずぶ濡れで登校。

急に体を冷やしたせいか、下腹部に激痛を感じるが、我慢できずウンチを漏らしてしまう。ピコタン、ウンチ野郎、といじめられる。

女の子が木切れでつっついて逃げるを、ピコタンピコタン追いつかない。更に、他の村は、同級生が大勢いたのですが、光男の村はたった一人。

しこたまいじめ貫かれたのである。

登下校時、他の村の連中が徒党を組み、襲ってくるのではないかと恐怖を感じ、とうとう言葉を失う、しゃべらなくなったのです。

登校拒否に、母は光男を抱きしめ「光男が学校へ行かないんなら、お母さんは生きていけない」と大粒の涙をおとす。

当時母は貧しく栄養失調ぎみ、三人の子が次々と育たなく他界、光男がピコタンピコタンで学校へも行かない。

顔色から本気で死の道を考えていることが感じられる。

たった一人自分を守ってくれる母、母の心の内を感じた光男は、だまって小指を出した。

光男は、登校拒否はしないという母との約束を守り、どしゃ降りの雨でも、口を真一文字に噛み締め、ずぶ濡れで学校へ行くようになった。

いじめは続き、当然成績はほとんど零点だったが、通信簿は学校の配慮なのか、1ではなくオール2のアヒルの行進。

しかし四年生の終り頃、勉強もしなかったが、30点、40点が出るようになった。

この、ちょっとだけ成績が良くなったことを、先生が見逃さず、進歩賞なるものを直筆で作り、みんなの前で表彰し褒めてくれたのだ。

光男の学校恐怖症は、素晴らしい先生との出会いと粋な計らいによって自信を取り戻し、徐々に心を開いていったのです。

自信をつけた光男、運動では勝てないが勉強の成績で勝てる、と本気で勉強をするようになったのです。

登校拒否やいじめ問題は、このような思いやりのある先生に出会えれば、事なきを得ることでしょう。


120  放送、開局

 ブログによる放送は、そんなに難しいことではない。即、実現可能である。

例えば、野球放送を考えた場合、12球団、各球団のファンブロガーを6名集め、試合が行われると、その球場へ行き逐一1分単位でもいい。

ブログで結果を上書きして立ち上げる。

6試合であるから、六つのブログを一つのサイトとして位置づけるのだ。

常に各球場の最新情報が、ポータルサイトで書き換えられているということになる。

テレビで、ダイジェスト版として、プロ野球ニュースがあるが、そんな番組はもう用をなさなくなる。

例えば、TBSが、東京ドームで行われる巨人、横浜戦を中継しようとしても無理だ。

素材をニュースとして使うぶんにはいいが、番組としては使えない規則になっており、お互い縛りっこしている。

ブログの場合、携帯を球場へ持ち込ませない、という訳にはいかない。

縛りがないので、誰でも自由にブログ番組の立ち上げが出来るのだ。

ブログのポータルサイトをうまく作れば、野球だけではなく、サッカー中継、全国の祭りサイト、もろもろの番組が、放送時間枠。

時間帯など関係なく、ほぼリアルタイムに送出できるのである。

テレビの場合は、どうしても放送時間、各局間の縄張り争い、あるいは一方的な情報の流し方など問題がある。

しかしブログの場合、ワンセグテレビを見るように、気のついた時、一服の時、信号待ちの時に自由に見られる。

テレビ放送にはない、かなりのメリットを有している。

一人の少年が、5コマ漫画に夢を見、浦島太郎になっていく姿自体が、5コマ漫画の格好の題材になるかと思います。

紙面の隅っこ、あまり注目されることもなく、流れすぎていく5コマ漫画の世界と同じで、あっという間の人生でした。


119 土左衛門

 光男がパスポート時代、結婚には、女房の親から猛反対を受けた。

その親がある会合で、放送関係者と出会った。

その人の話で、放送業界に沖縄出身の誰もがリスクを恐れ、引き受けない仕事でも平気で引き受け、ものの見事に成し遂げる素晴らしい男がいるという話を聞く。

よくよく聞いてみると、それが自分の娘の婿、光男だということが分かった。

そして今までの考え方を一変させたのだ。

勿論光男側も和解し何事も光男を頼りにするようになった。

そして都心の一等地の不動産を光男夫婦に託し亡くなったのである。

光男は先見性では、ずば抜けた面をもっている。

建築法が緩和され都心回帰、マンションのブームが来る、といち早く高層マンションをぶち立てたのである。

六本木ヒルズには届かなかったが、光男は最上階で、ベランダから東京の夜景を眺め、日々旨い酒を飲む。

また南の島には、父が残した広々とした土地と生まれ育った別荘がある。

暇な時は、ふらりと南の島へ飛ぶ。JAL、ANAはワシの下駄だ、と。

貧乏王国大統領閣下と呼ばれたが、気がついてみると名実共に大富豪になっていた。

島の多良間邸の広い庭には、大きなヤラブの木が5、6本ある。

大き目のハンモックとガーデンテーブルをしつらえ、朝食は自動パン焼き機で出来立てのパンと出来立てのジュースを飲む。

ハンモックで本を読み、うつらうつら。

パソコンをやったり、潮時のいい時は、150メートル先のプライベートビーチと呼ぶ浜へぷらりと行く。

この島のリーフは世界的にも類を見ない、東京ドーム数個分の天然プールがいくつも出来上がる。

潮の流れもなく観光客は浮き輪さえあれば絶対安全。熱帯魚達と戯れる竜宮城だ。

光男の特技は、この巨大プールで浮き輪に入り、立ったまま、麦わら帽子をかぶり、サングラスをしたまま立ち昼寝をすること。

観光客は動かないので、土左衛門だ、と大騒ぎ。

ある時は救難ヘリコプターを呼ばれる寸前までいった。

ワシはまだ死にたくないぞ。 

死なせるな。

夕日が周り一面を真っ赤に染める頃、プライベートビーチで、光男は若かりし頃に思いをはせていた。


2026年7月4日土曜日

117 リュウグウノツカイ

 最近、伝説の生き物だと思われた、リュウグウノツカイと呼ばれる魚が釣り上げられたとのこと。

体長数メートル、巨大な太刀魚に似た、鋭い切っ先の口に、流線形の見事な背ビレ。

銀色の魚体には、ブルーラインが1本入っていたとのこと。

巌流島の決闘、佐々木小次郎の物干し竿は言うに及ばず、この魚を怒らせると、人間の心臓は簡単にぶち抜かれるでしょう。

欲に目の眩んだ男が、海で見事に心臓をぶち抜かれ、成敗されたという昔話を聞かされたことがあります。

リュウグウノツカイの怒りに触れたのだろうか?

最近では重さ数十キロ、体長1メートルにも及ぶ、巨大な白イカが釣れ話題になっているとのこと。

海面はスミで黒く染められ、釣り上げる醍醐味は格別だったことでしょう。

一度釣り上げたい、格闘技をしてみたいと描く楽しい夢。

また、畳4枚分にも及ぶ、巨大なマンタをテレビでご覧になったことがあるかと思います。

私、光男がプライベートビーチの如く使用している浜を通り、西表島小浜島間のヨナラ水道を堂々と回遊。

人に危害を与えないため観光の目玉となっています。

無造作に見える海底のテーブルサンゴ類、陽光と見事に調和した動物たちの造形美。

ゆるやかな潮流は夕凪を感じさせ、遊泳の眺めは、地上のいかなる遊覧飛行、宇宙遊泳にも勝るものではないだろうか。

人間にはとてもまねの出来ない、個性豊かなファッションショーを繰り広げ、乙姫たちが舞う竜宮城。

魚たちも、少年の頃に出会った魚たちの、孫かひ孫になっているのかなぁ?

光男は間違いなく、浦島太郎になっていることでしょう。

澄み切った空あり、海あり、命あり。

部屋には、孫たちの大きな写真を張り、5コマ漫画に出ていた、大きなテレビで映画を見よう。

そこは、ひかるの極楽メルヘンだ!!

長年待ち望まれた、羽田石垣島間、直行便が飛ぶようになりました。

更に成田から往復3万円で格安便も出ています。

古代の生き物たちと共存出来る、生まれたままの島。

流れ星の燃える音が聞こえて来そうな島。

体中に張り付く、幸せを呼ぶ星砂の島。

人々の、純な心に触れ合う島。

ここは別天地、ロマンあふれる南の島。

恋を語ろう

夢を語ろう

人生を、語ろう

人生の、アルバムを作ろう


116 持論

 「人生には、ロマンとスリルとメルヘンが必要である!」これは、光男の持論である。

ロマンについては別に書いた通り、スリルも、命を張れる生き方をすれば当然。

さて、光男にとって、メルヘンの世界とは。

やはり、光男のメルヘンは、南の小さな島にしか求められません。

生きる厳しさ、激しさを教えてくれた、台風に遭いたい。

灼熱の太陽エネルギーを浴び、風と戯れ小鳥たちや百面相の雲と語り合いたい。

そうだ、命を誕生させてくれた母なる海の世界もある。

華やかで、色とりどりの熱帯魚たち、格好良くないけどナマコもクラゲもいるだろう。

ヒトデは手が五つ、五回も握手を交わせるなんて、おまえは幸せものだ。

人が親類に見えるのか、擦り寄って来る、小さな耳かきヒレのタツノオトシゴ君、泳ぎが下手で立ったまま流に漂い、どうやって家に辿り着くのだろうか?

魚たちの親子は夜、どうやって寝るのだろうか?

またイソギンチャクに隠れんぼする、真っ赤に白い派手な縦縞のクマノミちゃん。

卑弥呼の世界で、ボスクマノミは自然にメスになり、ボスの座を降りると、自動的にオスに性転換するとのこと。

オスを従えての女王様。

スズメダイやベラ等はクマノミと逆、ボスはオスになり、今までメスだった魚がボスになると性転換するとのこと。

便利というか、人間の世界では考えられない、厳しい世界だ。

周りには、光柱ライトの中、テーブルサンゴの舞台狭しと踊り狂う魚や、薄暗い根元では、魚体をくねらせ愛し合う魚あり。

コバルトスズメの団体は、一斉に向きを変え一糸乱れぬ行動、光に映える魚体の見事な模様は、立体ラインダンスを演出してくれます。

おちょぼ口のハリセンボンが、小ビレをばたつかせ、警戒警報。

突然現れるわんぱく小ザメ、しかし枝サンゴへひょいと入れば絶対安全。

ビー玉ほどの小魚とて、恐れることはありません。

ちょこちょこと出入りしながら揶揄する小魚たちに、小ザメは仕方なく「今に見ていろ、痛い目に合わせてやるぞ」と、威嚇しながら捨て台詞を吐き退散。

見ているだけで、時を忘れさせてくれます。

退職金で、小さな船を買い、風のない日は釣り三昧。

そして風が出れば、畑を耕し、汗を拭かせよう。

果て無き宇宙の天の川の下、母なる大河黒潮に身を委ね、ゆったりとした時浴の中、春には一斉に産卵する魚たちの出産に立ち合う気ままな生活。

子供の頃不自由した飲料水も、同じ町内の島、東洋のアマゾンと呼ばれる、西表島の豊富な水が、海底パイプで引かれており、枯れることはないでしょう。

人生劇場***本土では考えられない、年間日射量、畳2枚分のソーラーで必要な電気は賄えるはず。

水と電気さえ確保出来れば、あとは大自然の恵みで十分、待つのは贅沢過ぎる心豊かな生活のみ。

定年後も夢があり、自分の思った通り楽しく過ごせる。

これぞ、メルヘンの世界ではないだろうか。

115 画像

 


クマノミちゃん


114 明日は華

 そして人生の大海原、舵の取り方次第で、己の未来形は思いのまま。

しかし人々は、先輩の歩んだ人生、位置づけを参考として人生航路を航海。

人それぞれ、目指す分野や人生に、夜空に輝く星の如く、目標とする先人が居ることでしょう。

いつまでも、人生航路の人生灯台として、目標にされる立派な人間になろうではないか。

群れ星の中、ひときわ輝く星になろうではないか。

80年前、遥か南の小島で動き出したこの鼓動。

嘘のような魔法の箱物語を求めた60年間。

常に夢いっぱい、幸せいっぱいの人生を送ることができました。

光男少年の求めた魔法の箱、単なるテレビにとどまらず、素晴らしい幸せの宝箱だったのです。

今の少年なら、月に別荘を建て、どでかい花火を打ち上げ眺めてやる、といった壮大な夢を持てば、結果は50年後に出ることでしょう。

昭和30年代、時代の求める流れも加味したかと思いますが、若者たちが未曾有の勢いで都会へ集中して行きました。

当時、若者たちのロマンを駆り立てる要因は何だったのか、と考えると、あのクラーク博士のメッセージあり。

豊かな時代になったからとて、燃えたぎる若者の情熱は不変。

光男は幸いにも、少年の夢を思い通り実現できました。

自分なりに学び得た多くの教訓から、今こそ若き力を奮い立たせる、令和の語録が必要ではないかと、あえて遥か南の小島より熱きメッセージを送ります。

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり。

若者よ! 思い残すな 明日は華。

貴方には 誰にも盗られない 知恵がある。

貴方には 誰にも止められない 鼓動がある。

これしかない!

己の人生ドラマ ロマンを持て。

そして、

 命を張れ。

 命を張れ。


113 幸せの鼓動

一人一人平等に与えられた、この莫大な鼓動エネルギーと、尽きることのない知財を最大限に引き出し、己の目標を真剣に求める、情熱的な生き方。

脳いっぱいに詰め込まれた、溢れ出んばかりの人生のアルバムで、老後を楽しみ、周りに幸せエネルギーを放射出来る生き方。

振り返った時、後悔はない。

これしか なかった。と言い切れる人生。

これこそ幸せの鼓動、と言えるのではないだろうか。

そして油面の海が、雄叫びをあげ暴れ狂う海に変化するが如く、我々の人生においても、厳しく辛い時期もあります。

決して、平穏無事で終わりません。

夢が大きければ大きい程、理想が高ければ高い程、苦労は付き物。

高く険しい登山、直線登山では、息切れ必定。

いろは坂登山になるかと思いますが、夢が大き過ぎ、理想が高過ぎ、いろは坂人生もやむなし。

考え方、目標さえしっかりしていれば、決して、到達不可能ということは、ありません。

平和な飽食時代、食うに事欠く話や街頭テレビの話など、時代錯誤もはなはだしい、と言われるかも知れませんが、たった50年前の話。

人は皆、懸命に仕事を覚え、結婚。子供が出来てからは、育児や教育問題等に追われ、

人生にターボが付いたのではないかと思われる加速。

これから社会人となる人達は、いま一度考えてみる必要があるのではないだろうか。

過疎の島から上京、二十歳で夢を語り貫き通した親友と二人。

青春時代の楽しい思い出を肴に飲み干す、夢涙汗の味わい酒。

一人でも多くの若者達が、夢を貫き、夢涙汗酒を飲み干せんことを願っています。

アリ家族 明日を夢見て 蓄える。

カラスとて無い知恵絞り 生きて行く。

人の道 無駄にはすまい この知財。

人の道 無駄にはすまい この鼓動。


1112 「伝説」

 江戸時代後期(約200年前)の伝説ですが、この島のある男が、くり舟で遭難し遥か南方の無人島へ漂着。

半年後、夢に出てきた神様のお告げを頼りに海へ出ると、黄色いサメが股間へ入り込み、背びれに捕まるとそのまま北上。

一昼夜かけ、元の島にたどり着いた、という伝説があります。

法事も済ませた後での男の帰還に、島中大騒ぎで話は広まり、男は琉球王朝へ呼び出され、詳細を報告。

多良間真牛(たらまもーしー)の伝説として、日本の伝説沖縄編に、しっかり位置づけされています。

素晴らしい掛け軸と当時の状況を克明に記述した古文書が今に残されています。

ジュゴンに助けられた伝説は、南洋諸島にあるとのことですが、サメに助けられた伝説は、どこにもないとのこと。

国内外より、民話伝説等の研究者が調査にくる、貴重な物語です。

何を隠そう、この話は多良間家に代々伝わる伝説で、掛け軸に使われた色や図柄などの調査結果から、描写の技法は、琉球王朝の絵に源流があるとのこと。

色は当時の八重山地区では出せない、島では作れない紛れもなく琉球王朝より贈られた物だとのこと。

琉球王朝の風は、南の島の多良間家にまでささやかに訪れ、わが家は由緒ある家柄でした。

そして多良間光男は、サメに助けられた伝説五代目の子孫。

末代まで、サメを傷つけてはいけない!

食してはいけない!という家訓があり、サメを神様として崇め、供物を絶やしたことがありません。

なにげなく仲間と酒を酌み交わし、注ぎつ注がれ、フカヒレ酒だと言われ、急いで戻しましたが後の祭り。

翌日は飲み過ぎたのか祟りなのか、1日中頭痛がしていました。

ご先祖様に陳謝! 陳謝!

(多良間真牛の伝説は、平成5年2月26日付け中日新聞、3月29日付け東京新聞に日本版ロビンソン・クルーソー物語として、大きな紙面で取り上げられました)


169 献杯

女房一族のドンが亡くなった時、献杯の音頭は、光男しかいないと音頭を取らされる信頼、急変ぶりである。 勿論、光男は必死に働きマイホームを構えていたが、女房の親が年を取り、足元もおぼつなかったので、親の面倒は子供が見るべし。 と嫌がる女房を説得し、同居に踏み切っていたのである。 塩を...