2026年5月11日月曜日

1070 夫婦喧嘩

 また、沖縄のおみやげ店で目に付くのか、100歳にもなるかと思われる、シワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面でしょう。

この老夫婦面、実は、夫婦和合の、不思議な力が秘められている面だという事は、あまり知られておりません。

夫婦喧嘩は、どこでもあるかと思いますが、口もきかず、冷戦状態が続いた後でも、このシワシワだらけの、歯っ欠け老夫婦のお面を見ると、思わず吹き出してしまい、些細な事での夫婦喧嘩が馬鹿馬鹿しくなり、仲直りするとの事。

また、このお面をかぶっての、老夫婦の面踊りは最高です。

おじいちゃんは若い時、人一倍スケベーだったとの事。

腰も立たなくなった今、おばあちゃんが、「私のこと、好いとるか・・」と色っぽく迫り、もじもじし・・「おばあちゃんは、世界で一番美しい・・昔も今も一番好いとるぞー」と答えると、「よくも、焼きもちを妬かせてくれたもんだ・・」、とつねり、100歳もの老夫婦が、這いずり、顔を赤らめ、新婚初夜を思わせる仕草は、腰が抜ける程笑わせてくれます。

お祭りや結婚式などに舞れ、舞台上では決してお面を取らず、どの夫婦が舞ったのか、演者当ても場を盛り上げます。

夫婦の機微、和合を楽しませる踊り、一度は世の夫婦に見せたい踊りです。

また、この面踊り、忘年会や結婚式に踊ると、大受けする事間違いなし。

お面を新婚祝いに送ると喜ばれる事、受けあいです。

このお面は「ヤマシキのアブジヤーマー」、と呼ばれ、山崎村のおじいちゃんおばあちゃん、と言う意味で、この山崎村、今は廃村ですが、昔黒島にあった村で、歯っ欠けお面の発祥地です。

知念家では代々、高砂のお面、として大事に祭られております。

ひかると言う男の脳内プログラム、生い立ちの影響なのか、引く事、後退するという事が、考えられないのである。

前記した通り、12ミリ、いや、12カ月、80センチのスケール上で人生を考えるので、後退という事はあり得ないのである。

勿論、後悔するという事も殆んどない。

そして後輩達には、「俺は、背中に断崖絶壁、崖を背負っている、振り向けば、目まいでまっ逆さま、木っ端微塵。だから、振り向く事もしない。常に進む以外はない。嵐が来れば、四つん這いになり、更に激しくなれば、腹這う、そしてミミズとなって、這いずってでも、前へ進む」

人生とは、そういうものだ、と説くのである。

「生半可でない、常に極限の生き方を求めろ!」と。

1069 画 面踊り

 


ジジババ面踊り。

1068 パーイ

 日本人のルーツは、南方説、北方説、中国説と、色々議論されていますが、南端の黒島では、南方説を裏付ける、珍しい方言が残っています。

例えば、農耕に使うクワの呼び方ですが、島では、「パーイ」と呼びます。

言語学者によると、ペルーの山奥の原住民が、同じ「パーイ」と、呼ぶとの事。

どうしてこのような事が起きるのか、学者自身も不思議がっていました。

一説によると、ペルーやミクロネシア諸島等、赤道付近の島から、黒潮により言葉や生活様式が、運ばれたのではないか、と言われています。

更に不思議な事に、島では、足の事を食べるパンと同じ、パンと発音します。

もしかすると、南の島で、足の事を、パンと呼ぶ所が、あるのではないだろうか。

個人的な推測ですが、食べるパンの語源が、どこから来たのかは分かりませんが、その昔、小麦粉を足で踏みこね、発酵させたか、麦踏の足に関係しているのではないだろうか。

そして、足の事を、パンと呼ぶので、この食べ物をパンと、名付けたのではないかと、大胆な推測をしていました。

この地区は、島により多少方言の違いはありますが、黒島では殆んど「パ、ピ、プ、ペ、ポ」「ガ、ギ、グ、ゲ、ゴ」等の発音だらけで、日本の五十音の発音だけで構成される言葉は、あまり見当りません。

私を方言で言うと「バー」、太陽が「ティダ」、鎌が「ガッキ」、笛が「ピーラキ」、太るが「パンタル」、逃げるが「ピンギル」、てんぷらが「パンビン」等、載げれば限がなく、日本にそのような言葉があるのだろうか、と疑いたくなりますが、紛れもない事実。

何んの因果か、ハブの事も「パン」と呼び、足、ハブ、パンを方言で言うと、パン、パン、パンになり、てんぷら、太る、逃げるが、「パンビン、パンタル、ピンギル」。

最近、南の国から輸入される果物等の呼び方を聞くと、アボガド、パパイヤ、マンゴウ、パイン等、島の方言にゴロ合いが、ぴったり合う発音に驚かされ、少なくとも日本の南端地区では、南方説を裏付ける現象がみられます。

また、「ようこそいらっしゃいませ」という、歓迎の言葉を「オーリ、トーリ」 と表現。

石垣島の商店街のアーケードに、この言葉が大きく、「おーり とーり」と掲げられています。

しかし、ほとんどの観光客は、「おーり 通り」と通り名を連想。

通りとは全く別な場所で、歓迎の「ようこそ、いらっしゃいませ」、「おーり とーり」の立て看板に出会うと、初めて疑問を感じ、正しい解釈をするようになります。

おかしな事に、石垣島の人通りの一番多い交差点に、カニウマの二人乗りは、やめましょうと、大きな立て看板。

本土の人は、蟹のように、横歩きをする、珍馬がいるのかと、興味をそそられますが、実は、カニウマの二人乗りとは、自転車の二人乗りの事で、

自転車の事を、カニウマ と言うのです。

金馬(カネウマ)が訛ってカニウマ??

本土のチャリンコ、いかにも可愛らしい呼び方だと感心させられられましたが、石垣島のカニウマは、ユニークな情緒のある呼び方ではないだろうか。

他にも面白い方言があります。

例えば、昔を方言で言うと、「パ~ンティ」と言います。

高校時代、物語を方言で発表しようという事で、昔々、というくだりを、いきなり「パ~ンティー、パンティ・・・」 と切り出すと、女生徒がキャーと大笑い。

パンティーと解釈され、爆笑の内に物語は終わりました。

2026年5月10日日曜日

1067 鼓動は泣きません

 これから先、何十年間、動いてくれるのだろうか・・

きのうも、明日もご苦労さん!

どんなに、どんなに辛くても。

泣く事、知らない鼓動さん。

打ってみせます、淡々と・・

淋しがり屋の、精神さん!

泣き虫、弱虫、飛んで行け!

そうです、我々の精神は、淋しがり屋で、泣き虫です。

しかし、鼓動は泣きません。

しっかりとした足取りで、辛かろうが、嵐が来ようが、淡々と打ち続け、精神も一緒に頑張ろう、と元気ずけ、導いてくれる事でしょう。

人は、一人ぼっちだと思うから、辛いんです。

寂しいんです。

愛する人を失い、生きる事すら辛く寂しい時、貴方を命ある限り、励まし続ける・・

そうです、頼りになる味方が、身内にいたのです。

生涯の伴侶が、出来たのです。

現時点でスタートする鼓動や、最後の一鼓、役目を終わる鼓動あり。

例え五十億個の一つでも、響きに無意味はなく、人種や貧富、男女や宗教の差別や区別なく、全ての人に平等に脈打つこの鼓動。

生き延びたい、と願いながらも、飢え等で消えゆく命を見る時、何のために生まれて来たのか。

人間として最低限、鼓動を維持出来る食糧が、確保されるべきではないかと、考えさせられます。

命の誕生、精子と卵子が合体した時点で、鼓動はスタート。

細胞分裂で肉体が育まれ、その上に精神が芽生え、一人の人間として成長。

そして人々は、己の分身、証として新しい命を引き継いで行きます。

しかし、鼓動が停止した時点で肉体は滅び、精神は、瞬時に消滅する。

鼓動は、万人平等に与えられた最大の宝。

何故、脈打っているのか?

止まる前に、何をなすべきか?

今一度、人間の"命の原点である、”鼓動”と言う側面から己自身や人生を見、物事を見定める必要があるのではないだろうか。

人々が、人種や国境を越え、お互いの鼓動を尊重し合い、地球全体が幸せの鼓動の響きで覆われん事を願っております。

1066 鼓動との対話

 脳死という言葉がありますが、脳が死んでも鼓動は続いており、逆は成り立ちません。

不幸にして道半ば、やむなく止まる事を宣告され、残る鼓動をどう使うべきか、と思案に暮れる人生があるかと思うと、朝の目覚めに己の鼓動へ触れる時、昨夜来、全ての機能が休んでいる間も、元気に続けるこの響き。

値千金で、感謝せざるを得ません。

これほどすばらしい鼓動でも、一度止まったら終点。

例え、栄耀栄華を極め、いかなる名声を得ようとも、間違いなく止まる宿命を帯び、ただひたすら打ち続ける。

これしかなく、無意味に打たせれば、白髪とシワが増えるだけ。

しかし、精神には終点がありません。

音楽や芸術の世界、生き方など、先人達が残してくれた思想や、素晴らしい作品に、何百年後でも感動させられ、小さな事でもいい、自分の子供にだけでもいい。

何かを残せる人生を、歩みたいものです。

一人ぼっちで寂しい時、人生の嵐が襲い掛かり、苦しい時、そっと胸に手を当て、生まれた時と変わらない、清らかな響きで打ち続ける、鼓動との対話を試みてみましょう。

今まで、何十年間、動き続けたのだろうか?

精神が全てを休め、ぐっすり眠っている間も、暗闇、孤独、何のそのと打ち続けるだけ。

ひと休みしたいだろう・・

疲れるだろうに・・

1065 値千金

 我々の日常は、朝晩寝起きし、時計は回転して元に戻り、一年が終ると、また新しい年を迎える、が繰り返されています。

人生もまた、繰り返しの連続のように錯覚しがちですが、繰り返し以外にも、子供の誕生や親との別れ等、繰り返す事の少ない事もあり、人生が成り立っています。

人生を80歳まで、生きられると計算し、80センチの物差しに置き換えて見ましょう。

物差しの10ミリを12か月単位に置き換え、仕事や結婚の経歴、上段には親の年齢で、下段には女房や子供達の年齢を棒線で記入。

この一方通行のスケール上で、家族や人生を考えると、子供の進学や成人の時、自分は何歳で、子供達と、どのような会話が必要か。

教育資金が、一番必要な時期に、どう対応すべきか。

定年時、家族の年齢や状況が、どうなっているか。

位置付けが、よく理解出来、今後の展開等、色々な新しい事が、発見出来るかと思います。

人生は不確定要素があり、完璧とはいきませんが、決して後戻りの出来ない、一方通行のスケール上で、物事を考え、

人生の目標なりを設定する事により、毎年繰り返す事柄と、五年や十年、生涯を通して貫く事が、年代ごとに計画され、

己の人生が、より良きドラマとして演出出来、かなりの精度で、人生の青写真なり、予測なりが出来るのではないだろうか。

そして長い人生を考えた場合、我々の鼓動は、一分間に七三回打つとすると、一日に十万回以上、八十歳まで生きるとして計算すると、なんと三十億回以上も打つ事になります。

体内に張り巡らされた血管の総延長と、片時も休む事なく、三十億回以上も血液を送り続け、回収する作業。

しかも酸素やビタミンなどの量を調節し、八十年も打ち続けるのです。

地球を何周するのだろうか?

生涯、どれだけのエネルギーを生み出すのだろうか?

いかに技術が進んだ現在でも、部品交換なしに八十年間、動き続ける機械を作る事は不可能。

己の持てるパワーの偉大さ、改めて考えさせられます。

1064 ハブジャンプ

 また、ある虫が発生すると、ある魚種が近海に集まっている、と言う虫との間違いない関連もあります。

小さな島、周りの海から吹いて来る風、虫などの情報は、生きて行く大事な知恵でした。

ひかるが子供の頃、島の収入源は、サトウキビ生産で、サトウキビは、ネズミの格好の餌。

ネズミが繁殖し、その天敵として、猛毒を持ったハブが、大繁殖していました。

ハブは、脱皮をするので、皮を見ると、どれくらいの大きさか、ハブの棲家が、どの近辺かは、子供同士の情報交換で察知出来ます。

しかしハブは、かなりの行動範囲を持っているので、常に心の準備が必要でした。

ハブに噛まれた人を数多く見、ひかるも噛まれる直前の危険な目に何度か遭い、毒の猛威は、嫌という程知り尽くしていました。

噛み所によっては、命に関わります。

昔からの知恵で、島の道には、真っ白い砂を敷きつめてあり、美観の問題は勿論、夜道を歩く時、ハブが発見可能なように出来ています。

石垣の合間から、ハブが出てきた瞬間、本能的に、ガニ股で飛び退きます。

いわゆる、究極の「ハブジャンプ」です。

これは、子供の時から、親に教えられなくても、自然に出てくる行為。

それが出来なければ、猛毒を持ったハブに、間違いなく噛まれていた事でしょう。

上京して間もない頃、歩道を横断中、なにげなしに足元を見た瞬間、ハブが現れ、思わずガニ股、ハブジャンプ!。

自転車で横を通り過ぎようとした、おじさんと、もろにぶつかり、怒鳴られました。

まっすぐ歩けば、いいだろうに!

わざと、やったんだろう!

謝るしかありません。

前方には誰もいない、すれ違う人もなく、見通しの良い歩道。

いきなり、思いっ切りガニ股で、横っ跳びに出る行為は、自転車めがけ、体当たりをして来た、としか思えないはずで、怒鳴らない人は皆無でしょう。

「ハブが出たので、ハブジャンプをしたのですが・・」と説明しても分かってもらえません。

よく見ると、ハブではなく、ネクタイが落ちており、それがハブに見えたのです。

ハブが出るはずもない、アスファルトに覆われた東京のど真ん中で、子供の頃から、命に関わる本能として覚えた、見事なハブジャンプが出てしまったのです。

改めて、ごめんなさい!

ごめんなさい!

ごめんなさい!

(黒島は今、ほとんど牧場となり、ネズミも激減、そのため、ハブもほとんどいません)

111 人生最後のゴール

 三高流行の今時、しっかりした考え方に感心させられました。 確かに三高に越した事はないはずですが、世の男性に求められているのは外見や条件よりも、その人の持てる内面的な考え方や個性、生き方ではないだろうか。 夢を語り人生を語り、一緒になって人生ドラマを築き上げて行こう、と真剣に取り...