2026年5月17日日曜日

1083 カミソリ編集

 当時TV局で給料も良く一級技術者ともてはやされたのは剃刀の使い方で決まった。

美容師、床屋マン同様何種類ものカミソリを研ぎ顕微鏡で確認、磁気鉄粉の合間を見事に削除し細かくセロテープ状のもので張り合わせる。

下手な奴がやると高速で巻き戻しストップすると瞬時に破断NG、放送事故になる。

特に野球やスポーツ中継番組などベテランが必要だ。

ひかるも挑戦したが子供のころから畑仕事で指はゴツゴツ磁気面を顕微鏡で捌くのは無理だった。

NASAとアンペックス開発のVTR記録は2インチ幅が使われていた。幅5センチ以上のテープ。ワンフレーム事縦に一本線記録だ。

上記の通り剃刀が必要だ。

日本方式は1インチテープで密度を上げるため縦1本ワンフレームではなく、記録を斜めに記録しアメリカ方式に挑戦。

当然カミソリ編集は不可能。

さて電子編集誰もやった事がない。コンピュータもラックに基盤を嵌め、自作するしかなくバグとの闘い。

記録方式もフロッピーディスクも無い時代、紙テープにパンチ穴でのデータ記録方式。

ひかるはとんでもない知恵を出した。

それはデジタルとアナログをごちゃまぜにするというデジアナチャンプル方式で、更に多重編集を路線と枕木同期方式を実践するのである。

VTRには映像トラックと音声トラック更にタイムコードトラックを設け一秒間に30枚、ワンフレーム単位でタイムコード、所番地を記録していく。

その所番地でストップスタート等の制御を行い、更にワンフレーム単位で映像を抜いたり嵌め込んだりする事である。

当時の日本のデジタル技術では一秒間に30枚単位のタイムコード記録、呼び出しが無理であった。

ひかるは何をやったかというと、録画時に新テープに先にタイムコードのパルスを手作業で全編記録してしまう方法である。

収録時には既に最後までタイムコードが手作業で記録済みのテープに画像一枚一枚を嵌め込んで記録、という事である。

ホームビデオで子供の運動会を映像記録すると、ストップスタートを繰り返す。

再生すると必ずストップスタートした所で画面がビローンと一枚流れてしまう(昔の話)。

前と後の画像が同期していない為、当然で解決不可能だ。

ところがテープに最初から最後まで同期信号を先に記録しておき、画像を嵌め込んでいく編集スタイルなら同期が取れて流れる事は無い。

その原理が電子編集という事になる。タイムコードをアナログで記録、このアイディアで世界初のデジタル編集完成。

1082 方式論

 α方式とω方式の図で解るようにグリーンのヘッド部分を一回りしているのがα方式でω方式は交差していない。

テープ幅は2、5センチあるのでα方式の場合ヘッド部分のテープ交差を考えると、かなり長くする必要がある。

図緑のヘット部分、缶ビールのロング缶を想像して頂きたい。

なおかつ送り側と巻き取り側のリールにかなり奥行き、いわゆる前後の段差をつける必要がある。

送り側と巻き取り側のリールにも角度をつける必要がある。

ソニーが提唱するオメガ方式は平面でヘッド部分はロング缶状にする必要は無い。

将来的にテープスレーディングを自動化、又はカセット化する方法もオメガ方式なら考えられる。

ひかるは将来的な事を考えオメガ方式採用に行動を起こすのである。

流れでα方式に決定すると、いずれアメリカがα方式の欠点をカバーしたオメガ方式に近い方式で日本に迫って来る事を恐れたのである。

当時の放送局はフイルム素材が溢れ保管場所に倉庫を次々と契約するが間に合わない。

著名人が亡くなりライブラリーを探すがフイルムでは見つけるのが困難。

高速回転出来ないのがフイルムの最大の欠陥である。

ライブラリーに行き詰った局はアルファでもオメガでも、どれでも良い。

ω方式の20分テープより2時間テープのα方式が当然。α方式導入を疑問視する人は一人もいなかった。

しかし録画時、台本を5、6ロールに分割録画。出演者の都合でロール別にリールを何度も中途で架け換える。

将来のカセット化や使い勝手を考えると、交差のアルファは大きな欠点、オメガ方式になる。

ひかるはオメガ方式開発拠点であるソニーの厚木工場へ乗り込む。

駅前はだだっ広い田んぼと畑だらけ。倉庫のような建物があり、その中で20代後半の若者が5、6人オメガ方式を開発していた。

ひかるはまだ沖縄なまりが取れず、着ている服はオンボロ、名字は見た事もない沖縄名字。

訳の分からない、打倒アメリカが迫って来るだの、チンプンカンプンである。

うさん臭い奴 しーしーと追い払いたいところだろうが、年配の人が黙って聞いている。

話が終わると、訛りが気になったのか、ご出身は、と聞かれたので、沖縄であると言うと、握手を求め分かりました一緒にやりましょう、と言ってくれたM部長である。

開発は想像を絶するスピードで進み、あれよあれよという間にソニーのオメガ方式は世界制覇、ニ年後畑に倉庫の如き拠点は見事な巨大な総二階建ての近代的なコンベヤ工場、後にM部長は副社長になったのである。

当時、最初にどうしてもクリアしなければならない問題はテープにカミソリを使って繋ぎ編集するアメリカ方式ではなく、ワンフレーム単位で抜き取り貼り付けていくいわゆる電子編集が出来るか出来ないかが成否を分けるポイントだと見ていた。


1081 図

 


 オメガ方式(ω)

1080 図

 


 アルファ方式(α)

2026年5月14日木曜日

1079 ソニーのベータ方式

 カラー放送から十年、プランビコンカメラと2インチVTRの耐用年数が限界となり更新する時期になります。

ひかるは入社10年目、もともと沖縄で育ちアメリカ嫌いが染み付いております。

更新時期を持ってカメラとVTRをアメリカから国産品に切り替えようと、とんでもない事を考え行動に出ます。

カメラは撮像管方式から国産のCCD方式に切り替え、更にVTRは国産の1インチVTR方式に切り替える。

誰がどう考えても無理な事、しかしひかるはとんでもないアイディアを次々と連発、ニ年後にはものの見事に完璧に国産に切り替えます。

時の流れも加味しました。誰一人として気付いていませんが、ひかるは40年後にノーベル賞に輝く開発されたばかりのリチウムイオン電池に目を付けます。

これがいわゆる日本の映像産業を世界ナンバーワンにした原動力です。

デジタル分野ではアメリカと日本では親子の差があると言われた時代。

NASAが国家権力を持っても出来なかった電子編集を日本は簡単にやってのけます。

当時の開発状況を簡単に残していきたいと思います。

当時VTRは2分の1インチホームビデオとしてソニーがベータ方式を提唱していたのですが結果的にVHS方式に統一されソニーは完敗。

孤立無縁苦しい立場に立たされます。

放送VTR方式としてアメリカの2インチ方式から日本の1インチ方式への移行が模索されていました。

ここでもVHS陣営が推すアルファ方式とソニーのオメガ方式が対立。

当然の成り行き、VHS陣営が進めるアルファ方式採用が時間の問題とまで言われていました。

ソニーはホームビデオ、ベータ方式に全力を投入していた為放送方式ではかなり遅れをとっていました。

アルファ方式が2時間テープ使用に対しソニーのオメガ方式は20分テープしか使用出来ません。

素人的にはたいした問題でないように見えますがVTRは鉄粉が塗布され重い為、20分テープと2時間テープでは差があります。

高速で巻き戻し早送りし1秒間に30枚の精度でピタリと止める、あるいはスタートさせる制御は開発時間を必要とします。

ソニーのオメガ方式とVHS陣営が進めるアルファ方式ではどう考えても、ひかるの見た目ではソニー方式に軍配が上がります。

1078 放送用VTRとカメラ

 テレビのカラー放送が始まった昭和40年代東京の放送局キー局のVTRやカメラ等、全てがアメリカから輸入された機材でした。

日本のテレビ放送がアメリカのNTSC方式に準じて開始された為です。

世界には他にヨーロッパ方式と共産圏方式、この3つの方式でテレビの放送は行われておりました。

当時のテレビ自体がブラウン管と呼ばれる巨大な真空管であった事は往年の方なら分かるかと思います。

テレビ局側のカメラも真空管でプランビコンと呼ばれる撮像管が使われておりました。

レンズで取り込んだ映像信号をRGBの半透過ミラーで反射させRGBの映像信号を取り出していたのです。

プランビコンの形状は懐中電灯を想像してください。

画面の部分に高圧をかけ電池の部分から電子銃を発射、走査し信号を取り出していたのです。当然三本必要。

その映像を変調して東京タワーから各家庭へ送り込む、テレビ側では巨大なブラウン管後方のRGB電子銃から信号が発射され高圧をかけた画面に叩きこみ発光させます。

TVカメラもかなり重量があり形状もデカい物でした。

それよりまだデカイのはVTRでした。

テープ幅が2インチ、 一インチが2.54センチですから5センチ以上のテープ幅。

テープには鉄粉が塗布され、一時間テープだとズッシリ重くこれを高速巻き戻しで制御、磁気面の粉塵も吸い取りするので巨大なシステムです。

アンペックス社製で宇宙の偵察機にも旅行トランク大のVR三千が搭載され、開発にNASAが関与したといわれております。

これまた値段が目玉が飛び出る値段。キー局といえども4台くらいしか持てません。

予備機も必要でニ式という事、昔の俳優なら局で収録時、VTR待ち時間は度々あり、キー局ですらVTRの数の確保が出来なかった。

2インチVTRは電子編集が出来ませんでした。

記録信号は5センチ幅のテープにワンフレーム単位で上から下に記録されます。

1秒間に30本、いわゆる30フレーム磁気が綺麗に並びます。

それを顕微鏡で見、カミソリで上から下に切断、いらない部分を切り捨て裏面を強烈なテープで張り合わせる繋ぎ編集で、熟練した編集人でないと高速で巻き戻し中あるいはストップ時にバサバサ切れ、切れる事を想定し送出には必ず予備機も回します。


1077 真っ白い砂浜

 南の島には眩しいくらいの真っ白い砂浜があります。

どうしてこれ程までに白いのだろうか?

本土の砂は、岩が砕けた破片や内陸部より川に流された土や泥が、海水で洗われ砂浜を形づくっていますが、サンゴ礁で出来た小さな島は川もなく、周りと中心部が小高いコマのような地形になっており、大量の雨が降ったとしても、雨は地下水となり、土や泥が内陸部から海岸へ流れ出る事はありません。

島の砂浜は、海側から珊瑚の死骸や貝類がうち寄せられ、砕かれた石灰砂で出来ており、波の激しい浜では、角がとれ、普通の丸みのある砂になり、波の穏やかな湾や入り江では、星状のままになっています。

本土の砂とは、素材そのものが違う。幸せを呼ぶ星砂としてお土産品にもなっています。

子供の頃、巻貝の殻が高い値で売れており、白い殻がワイシャツのボタンに使われていたのです。

その貝殻や珊瑚の死骸等が、砂になるのですから、島の砂浜が精製された白糖のように、真っ白いのは当たり前。

また沖縄名物のハイビスカスと、赤い瓦に白い漆喰模様は、周りと調和し景観を楽しませてくれますが、島々のかわら屋根を台風や厳しい太陽熱から守るのにも、珊瑚が重要な役割を果たして来ました。

昔から赤い瓦屋根の継ぎ目を補強するのに、珊瑚を焼いて灰にして出来た石灰をこねて作った、漆喰が使われてきたのです。

ひかるが生まれ育った黒島は、世界に類を見ない素晴らしい島だ。

島の形自体は見事なハート型、ハートの両肩から下半球を取り巻くように、ものの見事なリーフがあります。

総延長7、8キロくらいは、あるのではないだろうか。

その島を取り巻くリーフと島の間には、これまた見事な大自然の陸橋の如き渡しがいくつもあり、その渡しと渡しの間は、東京ドームを遥かに凌ぐ、大きな天然の巨大プールが出来上ります。

リーフ上には、直径10メートル前後の大小プールが、いたる所に出現。

勿論、色とりどりの熱帯魚が、いっぱいいます。

リーフの内海は、潮流が殆んどなく、子供や女性でも自由に泳げ、しかも潮の干満で、常に綺麗な透き通った状態が保たれ、手入れや維持費も不要です。

数え切れない熱帯魚達と、色々な形をした珊瑚郡の稀に見る自然環境。

その昔、リーフ内には魚貝類等、膨大な量が捕れたとの事。勿論、今でも捕れます。

そして島には住人が溢れ、一大文化圏を形成していたとの事です。

歴史には出てきませんが、本当の意味での日本のインカ帝国と言ってもいいのではないだろうか。

ひかるは定年後、この島の生まれ育った家で、世界一大富豪の生活が約束されているようなものです。

なぜなら、父が自分の畑だと言っていた、大自然の大小数え切れないプールが目前。

プライベートビーチの如く自由に使え、リーフの内側に生息する、おびただしい珊瑚群。

熱帯魚達は、子共の時からの友人であり、仲間であると同時に大きな財産。

これだけのものを作り上げるとしたら、お金がどれくらいかかるか想像さえ出来ません。

この巨大な財産が自由に使えるのです。

自分の物、と言っても過言ではないでしょう。

そうだ、幸せは独り占めしてはいけない。

全国の皆さんにも楽しんでもらおう。

東京ドームより大きな自然の巨大プール、珊瑚や熱帯魚達が一緒に遊んでくれるぞ!

ここは日本最後の楽園だ。

そして、この大自然が、この世で一番恐れるものは人間。

脅かす事なく、壊す事なく、優しく見守ってやろう。

子共達へ残そう。

魚達よ!

珊瑚群よ!

体に気をつけ、元気で頑張れ。

会える日を、楽しみにしているぞ!


111 人生最後のゴール

 三高流行の今時、しっかりした考え方に感心させられました。 確かに三高に越した事はないはずですが、世の男性に求められているのは外見や条件よりも、その人の持てる内面的な考え方や個性、生き方ではないだろうか。 夢を語り人生を語り、一緒になって人生ドラマを築き上げて行こう、と真剣に取り...