2026年5月17日日曜日

1084 枕木

 新しいテープ50本なり100本を録画モードで先にタイムコードを手作業で記録する。とてつもないアナログ作業である。

そのテープを現場へ持ち込み記録されたタイムコードと同期をさせながら録画して行く。

編集時も編集用記録テープにも先にタイムコードが入っているので、再生VTR 4台なら4台と記録VTR計5台を完全にタイムコードをロック、同期させればよい。

そのような事を考え実行した人は誰もいない。ひかるは平気で実行、世界初の電子編集が実現したのである。

更にアイディアが重なる。

手作業のタイムコード入力作業、時間ロスを無くす方法を考えだした。

VTRストップ時、ストップボタンを押すと画像はその時点で無くなり黒味、しかしタイムコードをそのまま30フレーム記録し、そこで止める。

止めたところから30フレーム戻し、最後の画像のところでスタンバイを掛けておく。

次の録画時はタイムコードは既に記録されており、前の画像が無くなった所から画像を嵌め込み、30フレームの間に完全にロックさせればよい。

この作業、操作する人が全く気が付かない。機械的にそう成っているのでおそらく皆さんも全く知らなかった事でしょう。

この技術がホームビデオにも採用されアメリカが日本の真似をしようとしても出来なかったのである。

編集時には更にとんでもない多重編集アイディアが出た。

映像信号は1秒間に30枚、 10分間で1万8,000枚、この中から1枚単位で取り出しコピーする、これが電子編集である。

アメリカ方式だと定規を当てカミソリでカットして行く。

デジタル先進国のアメリカですら出来ない電子編集をどうやって日本で出来たのだろうか。

基本は前記した通りデジタルとアナログのチャンプル方式、更に枕木と列車の関係アイディヤが出て来る。

多重編集と呼んでいるが、実際に「ねるとん紅鯨団」でこの技術が使われた。

ロケの時にカメラとVTR4台を対にしてスタート後ガチンコを入れそのままテープが無くなる迄録画。

編集時に4台、ガチンコの所で同時スタートをさせ、5台目の編集用VTRに4台の映像を平行移動させれば編集が出来上がる。

これが多重編集という事になるが、問題なのが同期の問題だ。

電車のレールを思い出してください。再生用VTR 4台と編集用VTR 1台、合計5台の線路、5線路を想定。

枕木を横に1秒間に30個単位で横に連結同期させる。

レール上の電車を5台とも横から串刺しにする。

通常再生状態で再生4台から編集VTRに列車上で画像を平行移動して行く。

要はその状態で5台目の編集テープに隙間が無く移動できれば編集終了。

この電車、いわゆるVTRテープと枕木を同期させ、更に電車を横から串刺しにする、この状態で画像を平行移動させれば大成功です。

世界初の電子編集、デジタル編集はこの発想で完成したのです。

35年前日本ではデジタルという言葉すら馴染まない時代でした。

アメリカから見れば、デジタルが何かも解らない日本に超ハイテク電子編集が出来るはずがない、が常識だったでしょう。

手作業のアナログで何ん百万ものデジタル信号を綺麗に寸分の狂いない台座を作りデジタル作業を行う、更に枕木が登場、日本国内でも有り得ない事が起きたのです。


1083 カミソリ編集

 当時TV局で給料も良く一級技術者ともてはやされたのは剃刀の使い方で決まった。

美容師、床屋マン同様何種類ものカミソリを研ぎ顕微鏡で確認、磁気鉄粉の合間を見事に削除し細かくセロテープ状のもので張り合わせる。

下手な奴がやると高速で巻き戻しストップすると瞬時に破断NG、放送事故になる。

特に野球やスポーツ中継番組などベテランが必要だ。

ひかるも挑戦したが子供のころから畑仕事で指はゴツゴツ磁気面を顕微鏡で捌くのは無理だった。

NASAとアンペックス開発のVTR記録は2インチ幅が使われていた。幅5センチ以上のテープ。ワンフレーム事縦に一本線記録だ。

上記の通り剃刀が必要だ。

日本方式は1インチテープで密度を上げるため縦1本ワンフレームではなく、記録を斜めに記録しアメリカ方式に挑戦。

当然カミソリ編集は不可能。

さて電子編集誰もやった事がない。コンピュータもラックに基盤を嵌め、自作するしかなくバグとの闘い。

記録方式もフロッピーディスクも無い時代、紙テープにパンチ穴でのデータ記録方式。

ひかるはとんでもない知恵を出した。

それはデジタルとアナログをごちゃまぜにするというデジアナチャンプル方式で、更に多重編集を路線と枕木同期方式を実践するのである。

VTRには映像トラックと音声トラック更にタイムコードトラックを設け一秒間に30枚、ワンフレーム単位でタイムコード、所番地を記録していく。

その所番地でストップスタート等の制御を行い、更にワンフレーム単位で映像を抜いたり嵌め込んだりする事である。

当時の日本のデジタル技術では一秒間に30枚単位のタイムコード記録、呼び出しが無理であった。

ひかるは何をやったかというと、録画時に新テープに先にタイムコードのパルスを手作業で全編記録してしまう方法である。

収録時には既に最後までタイムコードが手作業で記録済みのテープに画像一枚一枚を嵌め込んで記録、という事である。

ホームビデオで子供の運動会を映像記録すると、ストップスタートを繰り返す。

再生すると必ずストップスタートした所で画面がビローンと一枚流れてしまう(昔の話)。

前と後の画像が同期していない為、当然で解決不可能だ。

ところがテープに最初から最後まで同期信号を先に記録しておき、画像を嵌め込んでいく編集スタイルなら同期が取れて流れる事は無い。

その原理が電子編集という事になる。タイムコードをアナログで記録、このアイディアで世界初のデジタル編集完成。

1082 方式論

 α方式とω方式の図で解るようにグリーンのヘッド部分を一回りしているのがα方式でω方式は交差していない。

テープ幅は2、5センチあるのでα方式の場合ヘッド部分のテープ交差を考えると、かなり長くする必要がある。

図緑のヘット部分、缶ビールのロング缶を想像して頂きたい。

なおかつ送り側と巻き取り側のリールにかなり奥行き、いわゆる前後の段差をつける必要がある。

送り側と巻き取り側のリールにも角度をつける必要がある。

ソニーが提唱するオメガ方式は平面でヘッド部分はロング缶状にする必要は無い。

将来的にテープスレーディングを自動化、又はカセット化する方法もオメガ方式なら考えられる。

ひかるは将来的な事を考えオメガ方式採用に行動を起こすのである。

流れでα方式に決定すると、いずれアメリカがα方式の欠点をカバーしたオメガ方式に近い方式で日本に迫って来る事を恐れたのである。

当時の放送局はフイルム素材が溢れ保管場所に倉庫を次々と契約するが間に合わない。

著名人が亡くなりライブラリーを探すがフイルムでは見つけるのが困難。

高速回転出来ないのがフイルムの最大の欠陥である。

ライブラリーに行き詰った局はアルファでもオメガでも、どれでも良い。

ω方式の20分テープより2時間テープのα方式が当然。α方式導入を疑問視する人は一人もいなかった。

しかし録画時、台本を5、6ロールに分割録画。出演者の都合でロール別にリールを何度も中途で架け換える。

将来のカセット化や使い勝手を考えると、交差のアルファは大きな欠点、オメガ方式になる。

ひかるはオメガ方式開発拠点であるソニーの厚木工場へ乗り込む。

駅前はだだっ広い田んぼと畑だらけ。倉庫のような建物があり、その中で20代後半の若者が5、6人オメガ方式を開発していた。

ひかるはまだ沖縄なまりが取れず、着ている服はオンボロ、名字は見た事もない沖縄名字。

訳の分からない、打倒アメリカが迫って来るだの、チンプンカンプンである。

うさん臭い奴 しーしーと追い払いたいところだろうが、年配の人が黙って聞いている。

話が終わると、訛りが気になったのか、ご出身は、と聞かれたので、沖縄であると言うと、握手を求め分かりました一緒にやりましょう、と言ってくれたM部長である。

開発は想像を絶するスピードで進み、あれよあれよという間にソニーのオメガ方式は世界制覇、ニ年後畑に倉庫の如き拠点は見事な巨大な総二階建ての近代的なコンベヤ工場、後にM部長は副社長になったのである。

当時、最初にどうしてもクリアしなければならない問題はテープにカミソリを使って繋ぎ編集するアメリカ方式ではなく、ワンフレーム単位で抜き取り貼り付けていくいわゆる電子編集が出来るか出来ないかが成否を分けるポイントだと見ていた。


1081 図

 


 オメガ方式(ω)

1080 図

 


 アルファ方式(α)

2026年5月14日木曜日

1079 ソニーのベータ方式

 カラー放送から十年、プランビコンカメラと2インチVTRの耐用年数が限界となり更新する時期になります。

ひかるは入社10年目、もともと沖縄で育ちアメリカ嫌いが染み付いております。

更新時期を持ってカメラとVTRをアメリカから国産品に切り替えようと、とんでもない事を考え行動に出ます。

カメラは撮像管方式から国産のCCD方式に切り替え、更にVTRは国産の1インチVTR方式に切り替える。

誰がどう考えても無理な事、しかしひかるはとんでもないアイディアを次々と連発、ニ年後にはものの見事に完璧に国産に切り替えます。

時の流れも加味しました。誰一人として気付いていませんが、ひかるは40年後にノーベル賞に輝く開発されたばかりのリチウムイオン電池に目を付けます。

これがいわゆる日本の映像産業を世界ナンバーワンにした原動力です。

デジタル分野ではアメリカと日本では親子の差があると言われた時代。

NASAが国家権力を持っても出来なかった電子編集を日本は簡単にやってのけます。

当時の開発状況を簡単に残していきたいと思います。

当時VTRは2分の1インチホームビデオとしてソニーがベータ方式を提唱していたのですが結果的にVHS方式に統一されソニーは完敗。

孤立無縁苦しい立場に立たされます。

放送VTR方式としてアメリカの2インチ方式から日本の1インチ方式への移行が模索されていました。

ここでもVHS陣営が推すアルファ方式とソニーのオメガ方式が対立。

当然の成り行き、VHS陣営が進めるアルファ方式採用が時間の問題とまで言われていました。

ソニーはホームビデオ、ベータ方式に全力を投入していた為放送方式ではかなり遅れをとっていました。

アルファ方式が2時間テープ使用に対しソニーのオメガ方式は20分テープしか使用出来ません。

素人的にはたいした問題でないように見えますがVTRは鉄粉が塗布され重い為、20分テープと2時間テープでは差があります。

高速で巻き戻し早送りし1秒間に30枚の精度でピタリと止める、あるいはスタートさせる制御は開発時間を必要とします。

ソニーのオメガ方式とVHS陣営が進めるアルファ方式ではどう考えても、ひかるの見た目ではソニー方式に軍配が上がります。

1078 放送用VTRとカメラ

 テレビのカラー放送が始まった昭和40年代東京の放送局キー局のVTRやカメラ等、全てがアメリカから輸入された機材でした。

日本のテレビ放送がアメリカのNTSC方式に準じて開始された為です。

世界には他にヨーロッパ方式と共産圏方式、この3つの方式でテレビの放送は行われておりました。

当時のテレビ自体がブラウン管と呼ばれる巨大な真空管であった事は往年の方なら分かるかと思います。

テレビ局側のカメラも真空管でプランビコンと呼ばれる撮像管が使われておりました。

レンズで取り込んだ映像信号をRGBの半透過ミラーで反射させRGBの映像信号を取り出していたのです。

プランビコンの形状は懐中電灯を想像してください。

画面の部分に高圧をかけ電池の部分から電子銃を発射、走査し信号を取り出していたのです。当然三本必要。

その映像を変調して東京タワーから各家庭へ送り込む、テレビ側では巨大なブラウン管後方のRGB電子銃から信号が発射され高圧をかけた画面に叩きこみ発光させます。

TVカメラもかなり重量があり形状もデカい物でした。

それよりまだデカイのはVTRでした。

テープ幅が2インチ、 一インチが2.54センチですから5センチ以上のテープ幅。

テープには鉄粉が塗布され、一時間テープだとズッシリ重くこれを高速巻き戻しで制御、磁気面の粉塵も吸い取りするので巨大なシステムです。

アンペックス社製で宇宙の偵察機にも旅行トランク大のVR三千が搭載され、開発にNASAが関与したといわれております。

これまた値段が目玉が飛び出る値段。キー局といえども4台くらいしか持てません。

予備機も必要でニ式という事、昔の俳優なら局で収録時、VTR待ち時間は度々あり、キー局ですらVTRの数の確保が出来なかった。

2インチVTRは電子編集が出来ませんでした。

記録信号は5センチ幅のテープにワンフレーム単位で上から下に記録されます。

1秒間に30本、いわゆる30フレーム磁気が綺麗に並びます。

それを顕微鏡で見、カミソリで上から下に切断、いらない部分を切り捨て裏面を強烈なテープで張り合わせる繋ぎ編集で、熟練した編集人でないと高速で巻き戻し中あるいはストップ時にバサバサ切れ、切れる事を想定し送出には必ず予備機も回します。


111 人生最後のゴール

 三高流行の今時、しっかりした考え方に感心させられました。 確かに三高に越した事はないはずですが、世の男性に求められているのは外見や条件よりも、その人の持てる内面的な考え方や個性、生き方ではないだろうか。 夢を語り人生を語り、一緒になって人生ドラマを築き上げて行こう、と真剣に取り...