2026年7月23日木曜日

158  ワーキバ!のルーツ

 

この島の方言を聞いていると、訳の分からないことが出てくる。

足のことをパンと呼び、ハブのこともパンという。

畑に使うクワのことをパーイと呼ぶ。

このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。

インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。

島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。

ちなみに島では、食器のおわんもマハンと言う。

また島の方言で、ほとんど当てはまることだが、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければことが済む。

その点は、どうも英語と同じだ。

例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。

複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プリマーになり、プリムンたちという意味だ。

わんぱく小僧のことを、ヤマング、という。

複称、ないしは総称すると、ERをつけてヤマンガアー、になり、ヤマングたちとの意味だ。

太る、というのは、パンタル、と表現する。

太った人たち、と総称すると、やはりERをつけて、パンタラーになる。

逃げるは、ピンギルだが、逃げ足の速い奴らは、ピンギヤーだ。

極めつけの方言は、働くだ。

働くことは、石器時代の昔からあっただろう。その言葉が、ものの見事、英語のワークと同じだ。

働く、それは、方言でも「ワーク」である。

屁理屈こく前に「働けば」の方言は

屁理屈こく前に「ワーキバ」になる。

日本南端の島は、ERだらけだ。

日本国内に、理解しがたい日本人がいた。

しかし、日本人のルーツかもしれない。

島ジーに、なんで働くが、ワークなんだと聞いたら、お前は、ヤマトウへ行って屁理屈屋になった。

そんなこと、ワシに聞いても分からない。昔からそうなっているのだから、しかたないさ!

ごちゃごちゃ屁理屈ばかりこいてないで、「ワーキバ」(働けば)と怒られた。

まあ まあと言って、泡盛をつぐと全て円満解決。

飛び交う方言を聞いていたら、いにしえの昔へタイムスリップ。

島の年寄りは、性根が正直で優しい。

私は島の年寄りが大好きだ。 


157 死なすぞ! 


島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?と感じることがある。

話の中で冗談に「殺されるぞ!」という表現が出てくるはずだ。

島人の表現では、それは「死なされるぞ!」と言う表現になっている。

何でそんな表現になるのだろうかとよく考えると「殺されるぞ!」という表現には、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。

その点、島の表現では、そのような残酷さは抑えられる。

島の人たちがもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。

島の人は素晴らしい、とつくづく感じる。

マスコミでは、子供が親を、あるいは兄弟、家族を殺害する残忍な事件の報道がある。

皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに「殺すぞ!」という言葉が日常、ポロリと出ているのでは。

子供は親の背中を見て育つ、いつの間にか親や周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に残酷なシーンが受け入れられる。

喧嘩等、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から言葉の使い方、表現の仕方に心配りが必要だ。

子供は親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!

気をつけよう。

以前、民宿のヘルパーをしていた27歳前後の女がいた。

父親は公務員だという。

南の島へ行ったきりで、心配だっただろう。迎えに来た。

今日は子牛のセリで、見に行くと帰ったはずのその子が牧場へ泊まり込み、牛飼いをやっているという。

親が許さないだろう、と言うと、ミイラ取りがミイラになったのか、父親はこんな良い島はない、とたびたび訪れるという。

よく聞くと、他にも牧場に泊まり込み、牛飼い女が3人もいるという。

彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリアウーマンとしても通用する頭脳明晰。

牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。

160頭もの子牛がセリに出され、70万円前後の値が付いていた。

あすは神戸牛か松阪牛か。

子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。


2026年7月22日水曜日

156 強制移住

 

南端に浮かぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。

ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。

真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。

その記述が本当ならば、黒島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。

それ以降も石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。

1500年代から1600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は幸せで豊かに、文化を謳歌した人たちがいたと思われる。

島には特に豪族らしきものはない、また貨幣なるものも見当たらない。

人々は物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心にお互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。

島には墓はあるが、お寺は一軒もない。

法事は自宅で親族同士で行う。

御嶽は健康子孫繁栄、豊作祈願の太陽崇拝の場で、親族同士が門徒である。

島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。

岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに粟なら十分作れるとのことだ。

言われてみれば80年前、島には粟の原野、粟が好物の野生のウズラがたくさんいた。

ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて食したことを思い出す。

また御嶽は今でも十数箇所残っている。

直径2キロちょっとの島に、本土では考えられない十数箇所の御嶽の跡が残っている。

沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が降り立ったということで、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。

しかし400キロ離れたこの島には、そのような信仰は無関係のようだ。

理解出来ないのは、島の十数箇所の御嶽は、それぞれ方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されない疑問、不思議である。

御嶽は本土でいうお寺みたいな存在だが2キロ前後の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。

この島を調べていくと、不思議なことだらけだ。


2026年7月19日日曜日

155 北海道のおばちゃん

 

島の民宿では夕食後、泡盛がただで振る舞われる。

中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。

ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。

北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。

きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。

こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。

出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。

話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入り娘のばーさんタイプ。

こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。

島の人たちはテーゲーグヮーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。

島人と争いを起こし、後々嫌な思いをするので、この人の相談にだけは乗らないようにしようと心に決めた。

その内、ひょんな質問をしてきた。

この島に、クモはいるのですか?

はぁ~と思わず聞き返す。

クモはいっぱいいるし、毒は持ってないが森へ行くと大きなやつもいるよ、と言うと、ギヤアーと血相変えた。

クモは嫌いどころか糸が体に触れただけで蕁麻疹ができるという。

民宿のベランダでも糸を張っているし、島を散策すると間違いなく糸に触れるよ、と言うと顔面蒼白。

わざと嫌がることを言って脅かしているのではないかと、毛嫌いするというか嫌悪感あらわに睨み付けている。

芯からクモが嫌いで、アレルギーのようだ。

隣にいるのも嫌になっただろうか、席を移していった。

その話を聞いていた他の観光客が、そのおばちゃんを説得。

日本全国クモのいない所はない。

あなたは、まかり間違っても田舎暮らしなど、考えないほうがいいと言われ、渋々納得したようだ。

このおばちゃん、島で連泊するつもりだったらしいが、翌日、早々に引き払ったという。

次は西表島観光だと言っていた。

あの島は、毒はないが、大きなクモがもっといっぱいいる。

大きなクモが首に貼り付き、泡を吹き吹き失神する姿、目に浮かぶわ。

その人は北海道だと言う。

おーい北海道~  

クモはいないか。


154 風葬

 

亀甲墓は子宮の形だと言われ、命は子宮で育まれ、全うしたら、またそこへ戻ると言われ、入り口は80センチほどの四角い入り口になっている。

もちろん蓋は分厚い四角の石で覆われ、空気が外へ漏れないようになっている。

風葬と呼ばれる方式で、遺体は決して焼かない。また、西洋のように埋めるようなこともしない。

棺のまま墓へ入れ、肉体が風化したころ、きれいに洗骨し墓の中で保存。ピラミッドや日本の前方後円墳同様、焼却はしません。

遺体を棺のまま墓の中へ入れる為、異臭が漏れないよう、入り口が密閉できるようになっているのである。

もちろん100日での洗骨は強烈な異臭など、赤の他人ではなかなかできないものである。

写真は多良間家の墓で祖父母の代まで焼却しなかったので遺骨が入ったまま、DNA鑑定すれば数百年前まで調べられるかな。

光男も両親が亡くなった時、初めて小さな入り口から這いつくばって中へ入ったが、暗闇の周りは、こうべと骨だらけ、足の踏み場もない。

しかし先祖であり、血の繋がったこうべだと思えば、なんとか佇んでいられた。

赤の他人だと、どうしても恐怖心で、その空間には、いられないだろう。

もしかして入り口が、何らかのかたちで塞がってしまえば、もう2度とそこからは出られない。

声を出しても絶対に届かない。

そういう意味で、全く他人はそこへ入れないということだ。

墓の中のスペースは、先祖代々のお骨が保存できるスペース、そして棺を入れ、入れた人が入り口から出るスペースも必要だ。

よって、かなりの空間が必要で、先祖代々の血族が一つ屋根の下で祀られるのである。

大きな亀甲墓を作ることは大きなエネルギーが必要で、罪を犯せば墓に入れてもらえない。

ということは最大の屈辱であり、悪事に対する抑止力は墓だったという。

ちなみに墓の入り口を開けるのは、遺体を入れる時以外は決して開けてはいけない。

どうしても分骨したり、墓の中のお骨を取り出す場合は、鶏などの生贄を捧げて代わりの儀式を行い、開ける必要がある。

日本に風葬をする人種がいたということである。

光男の両親が他界した際、火葬場で焼却することに猛烈な反対があった。

黒島の言い伝えでは、泥棒や殺人など極悪人は焼き捨てる。親を焼くなんてとんでもないことだ、親不孝者になるのかと言われた。

火葬が焼き捨てることと解釈されたのである。

黒島には火葬場はないが石垣島にはあり、行政や保健所も伝染病などの件も考慮し、火葬を勧めていると

長老の皆さんに了解してもらった。

以後は他の島も含め遺体は石垣島へ運び火葬が行われている。島では50年前まで火葬なし、洗骨、風葬が行われていたのである。


153 墓の入り口

 


入り口は棺桶の入る大きさ。


152 画像



亀甲墓。

160 帰るな

  沖縄の母親、子供が旅立つ時、辛いことがあったら、何かあったらいつでも、すぐ帰ってこいと言って旅立たせる。 それだと考え、私は沖縄の母親たちに子供を崖から突き放し、ニ度と帰ってくるな、どんなに落ちぶれても帰ってくるな、と言って旅立たせよ。 と説いているが、どんなに言い聞かせても...