ひかるは昭和40年の入社時、都会の人にだけは負けたくない、という一心で、自分なりの知恵を絞っていました。
当時のテレビカメラはバカでかく、支える三脚は鉄の塊、ケーブルは78芯で銅の束。
それをカメラ台数分セッティングし、撤去。毎日が大綱引き。
それに比べ、スタジオは冷暖房完備で、暇な時には、タレントとも気楽に接する事が出来、同期の人達は、大半がスタジオ勤務を希望。
ひかるは都会の人達に負けない為には、丈夫な体を使い、皆が嫌がる中継部門で、自分の存在価値を見い出そう、と考え中継部門を希望したのである。
当時、球場は勿論、ほとんどのホールなど、中継回線が敷設されておらず綱引きだらけ。
しかし体力だけでは、単なるバカ力持ちだけに過ぎず、勝負になりません。
わら半紙を買い込み、毎日出かける球場や劇場は勿論、各区民ホール等の中継車の駐車位置やケーブル長。
引き回しからオケピットや舞台裏の状況。
ケーブルがお客の動線をまたぐ場合のケーブル覆いの絨毯の枚数から色など。
克明にデータを作り、次回そのホールを使う時は、必ずデータを頭に叩き込み仕事に臨みます。
数年後には、関東一円のほとんどのデータが出来上がり、あいつがいれば大丈夫だ、と言われ、若い連中のリーダーシップが取れるようになったのです。
そして30歳で社外族から、会社全体の流れを見る立場に立たされ、自分なりに周りの状況を分析、突破口を見い出したのです。
我々の脳細胞は、120億もあると言われ、この組み合わせから絞り出される知恵は、無限で、枯渇することはあり得ません。
もし、枯渇を心配する人がいるとすれば、それは太平洋の水をバケツで汲み、水が枯渇するのを心配しているようなものです。
無尽蔵な財産を使わずに、このまま灰にするには、あまりにももったいない話である。
ひかるは、波と岩の熾烈な戦いの中にも自分なりの答え、「これしかない!」を見いだしました。
そして父の生き方より、前にも行けず引く事叶わず、ただ現状のまま耐えるしかない。
「これしかない!」ことを教えられ、これしかない道を求めるよう心がけることが出来ました。
誰しもその時々の状況に応じ、今採れる最良の道を求めれば、結果については納得できるはず。
知恵という財産、知財を最大限有効に使うテクニックとして、これしかない 方法を試みる必要があるかと思います。
遅くない これしかない道 やってみよう。
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