ビートたけしは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたが、その後影が薄くなっていた。
浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。
ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてたけしの名前を番組の冠に付けた、
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」なる番組の企画が持ち込まれた。
この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターで放送時間の穴埋め用番組。
業界では「雨傘番組」と呼んでいた。
名の通った役者なら断りそうなものだが、たけしは縋るしかなかったのだろうか。
当時フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」が好評。
光男はフジテレビ日曜夜8時、欽ちゃんの「オールスター家族対抗歌合戦」チーフカメラマンM君をゴールデンタイム裏番組
「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」のロケチーフカメラマンに起用することにしたのです。
歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、元気が出るテレビは日曜収録無しでしたが、野球が終わると11月から雨傘がとれ翌年3月までゴールデン番組になります。
結果、たけしの海外ロケ企画が持ち上がり、家族対抗歌合戦収録の日曜日がもろにぶつかります。
たけしの海外ロケにMカメラマン起用を約束した光男は、両局のメンツがぶつかり、窮地に追い込まれることとなる。
フジテレビの日曜8時、ゴールデン番組のチーフカメラマンを、いわゆる完璧な裏番組に起用することにフジテレビHディレクターが異を突き付けてきたのである。
担当課長等に交渉させるが、らちがあかず、とうとう最後の砦として光男の出番となった。
H氏はフジテレビきっての東大卒敏腕ディレクター、学生運動では安田講堂の屋上で大きな旗を振りリーダー役、全国弁論大会を制覇してきたと噂される弁舌家。
当時の芸能界大御所、古関裕而や水の江瀧子など、こうしましょ、こうして下さい、など歯に衣着せぬ自信溢れるてきぱきぶり。
フジテレビでは当時、早稲田卒が圧倒的に多くいたが、この東大卒にだけは勝てない、といわれていた。
かたや光男は子供の頃から25歳までもの言わぬ人と言われ、社内でも窓際族を通し、やむなく社の中心に据えられたばかり。
勝負は既にあったも同然と言われたが、光男は日本テレビ側にM君の起用を通達済みで、引く訳には行かない。
H氏にアポをとり会いに行くと、歌合戦の編集中だが完璧に無視した態度。
待つこと2時間近く、光男はソファーで微動だにせず薄目で様子を見ていた。
この男、終電になっても明け方までテコでも動く気配がない、と観念したのか、Hディレクターは前に座ると一気にしゃべりだした。
「何度も言っているが、M君は私が手塩にかけノウハウをつぎ込んで、やっとチーフが張れる迄育て上げてきた。
事もあろうに当面の敵局、裏番組に起用するとは常識外だ、向こうが軌道に乗れば、こちらの視聴率が喰われるんだぞ」と。
子会社の身分で場合によっては君のクビだけではすまない、社長だって危ないぞ、と光男を逆なですることまで言われ、怒鳴り返したかったが、そこは忍々。
存分に喋らせた後、たどたどしいながら光男は喋りだした。
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