2026年5月19日火曜日

1089 島ザル

 ひかるがVTR問題で仮眠の連続、死闘を繰り広げていた頃、家計は火の車であった。

食事はほとんど外食、疲れるので、たまにはビジネスホテルに泊まる事もある。

全てが会社の伝票で落とせる訳ではなく、小遣いが足りなくなると、女房が爪に火を灯して蓄えたお金を、むしり取るように持って行く。

団地住まいで、奥様族は、週に1、2度しか帰って来ないひかるを見、

「あの男、顔に似合わず、やるわね!」

「間違いなく女がいるのよ!」と井戸端会議だ。

当然、女房の耳にもそれは届いてしまった。

そして、二人の子供を抱え、貯金は底をついていたのである。

疲れ果てて帰って来たひかるの顔を見ると、女房は爆発した。

「母子家庭なら覚悟のしようもある!」

「しかし、もうこの貧乏生活、我慢出来ない!!」とテーブルをひっくり返し、怒鳴り付けたのである。

角が出る、なんてものではない。

針千本、いや、角千本だ!

さんまもびっくり、前歯をとんがらし、今にも噛み付かんばかり、恐ろしい形相だ。

次から次、出てくる言葉は、ひかるの脳に、あらゆる角度からブス、ブスと突き刺さる。

「もう、あんたの顔を見るのも嫌だ!」

「もう、これ以上の貧乏は、嫌だ!」

「出て行け!」

「あんたなんぞ、地球の裏にあるという、貧乏王国へ行けばいい!」

「即、大統領、間違いなし!」と。

がなるだけがなって、まだ足りないのか、周りにあるものすべて叩き割り、子供を連れて実家へ帰って行ってしまった。

ひかるは、なすすべもなく、一人酒を飲むしかなかった。

翌日、どう対応すべきか、ひかるは早めに仕事を切り上げ帰ると、女房と子供達が舞い戻っていた。

どうしたのだ、と聞くと、結婚当時、猛反対した親は、手ぐすね待っていたかの如く、あの沖縄の島ザルは、最初からものにならない、躾けはなっていないし、どうしようもない男だと、ありとあらゆる悪口雑言を並べ、すぐにでも離婚すべし! と急きたてる。

人間として扱われない悪口雑言に、今度は、女房が切れた。

冗談じゃない! 曲がりなりにもコツコツ洗濯機、冷蔵庫を買い、子供達まで出来た。

何の援助もしなかった親ではないか!

こんな所で、父親の悪口雑言を子供達に教え込まれたら、まともな子に育たない、と舞い戻って来たのである。

ひかるは、土下座をして謝った。

そして、ほんのちょっと、もう少しだけ時間をくれ。

今の放送業界、誰も気がつかない。自分がやるしかない。

などと、大言壮語、まくし立てたのである。

業界がどうのこうの・・・女房にとっては、へったくれもクソもない事だが、聞くだけ聞いてやった。

女房は、どうも貧乏神から逃がれられそうにもない、どうせなら、とことん貧乏を舐め尽くそう、と開き直ったのである。

お酒が飲みたい、と言うので、注いでやると、気持ちがほぐれたのか。

「今後は、あんたの事、貧乏王国大統領閣下と呼ばせてもらいますわ・・」

閣下様、私も、立派な大統領夫人になって見せるは! と笑顔を見せてくれたのである。

めでたし・・・めでたし・・・

勿論、ひかるは深く反省、その後、家庭を大事にしたのである。

それにしても、貧乏王国大統領、クーデターを起こすような人は、なさそうだ。

無期限任期は、辛いよう・・

野党の皆さん、お願いだ!

総理大臣を引き擦り下ろす前に、この大統領、引き擦り下ろしてくれ!

1088 世界制覇

 ひかるが上京して数年後、帰郷する。

再度上京時西鹿児島から東京まで列車移動。勿論金がないので寝台車など使えるはずは無い。

生まれ育った島が直径三キロにも満たない小さな島育ち、周遊道路は十キロにも満たない。

西鹿児島から東京まで、寝ても覚めてもガタンゴトンと走り続ける。ひかるが心底ど肝を抜かれ、恐るべきことは列車の枕木であった。

誰がどうやってこの枕木をこれだけ多く用意して作ったのだろうか。

線路は自分の列車だけでなく複数線あり都市部に入るとさらに増える。

最初は試しに隣の線路の枕木を数えてみたがとても数えられなかった。

日本人の技術は恐るべきものがあると心底感じたのである。 

電車を利用している皆さんはそのようなことほとんど感じないかもしれない。

小さな島で育ったひかるにとって、大きな発見であり疑問であった。

前記した通りビデオ信号の編集にはこの枕木の原理が利用されたのである。

映像信号は1秒間に30枚、枚数ごとにタイムコードと呼ばれる信号を入れていく。

10分間あるいは30分、1時間、2時間、3時間のタイムコードの数を計算すると分かる。

ひかるが初めて電子編集にとりかかった時、この枕木の数と原理がタイムコード枕木にリンクされ応用方法が考え出されたのである。

VTRのストップスタートを繰り返していくとタイムコードはズレる。昔テレビのVTR画像がビロ~ンと上から下に流れた。

解決策として1時間テープを30本なり50本、映像を記録する前にタイムコードを完璧に入れておく。

そこに映像を一枚一枚はめ込んでいけば、ストップおよびスタートを繰り返してもタイムコードはズレることはない。電車の枕木の原理が映像信号に使われたのである。 

このような発想をする人はひかる以外にはいないだろう。

大量のテープにタイムコードを手作業で先に入力する。

その後に映像信号を入力しデジタル編集をする、アナログ作業とデジタル作業を並行させるデジアナチャンプルー方式。

この方式は次の新しいアイディアが出て来た為ほんの一時期であった。

殆ど気がつかないが、テープをストップした時映像信号は空で黒味、30コマほどタイムコードを記録してストップさせる。

タイムコードを30個分巻き戻して映像が黒味の所から次の映像信号を入れ、タイムコードはロックさせていく。

機械的にやる為ストップスタートを何回繰り返してもタイムコードがずれることはない。

アメリカNASAが衛星偵察用に開発したVTRは幅が2インチで5センチ8ミリが横に流れ1秒に1枚、縦に1本ずつ線状に記録されています。

編集は線を一本ずつ縦に顕微鏡で見ながらカミソリで切り裏面で張り合わせる。

CMで5秒単位で5枚継ぎ合わせる作業は無理で、出来たとしても1時間テープはかなりの重量があり、高速の早送り巻き戻しで切れます。

日本方式は1インチ。2.54センチ幅が横に流れ斜めに記録、記録密度は2インチに迫ります。

あっという間に世界制覇していったのです。

1088 NASA

 当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VR-3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。

どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。

設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。

当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVR-3000が威力を発揮していたのである。

オペレーター一人付で、日建て15万円でも、飛ぶように注文があった。

ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。

当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。

チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。

事故日報をピックアップし、気になる事があったので部下にその日の天候を調べさせた。

やはり雨が降っており、それが原因だが、室内での使用でなぜ?

その事をソニーへ連絡、しばらくして原因解明OKの連絡。

湿気でテープのツルツル裏面の貼り付き現象が出ているとの事。

湿度による微妙な事でエラーが出ていたのだ。

さすがソニーで、世界中の支店へ打電し調べ上げ、湿度の一番高いのはボルネオとの事。

それ以上の湿度でも稼動するよう設計変更。Hー500は全世界へ輸出され制覇していったのである。

VR-3000と並べて使うと、桁違いの性能。これでアメリカ製VTRを抹消出来た、と。

VTRは平坦な所で、そっと置いて使う精密機械、しかしひかるはトラックの荷台に紐で結え付け移動使用、どんな地震でも稼動する事を求めたのである。ひかるが立ち上がり、オメガ方式へ切り替える事が出来た。

出来なかったらと考えると、オートスレーディング、カセット化は難しく、途中から方式変更、と言う事態になれば、莫大な費用が掛り、番組内容にも影響したであろう。

そして、一番大事な事は、日本のVTRが全世界で認められた事だ。

南端の小さな島で、ランプの灯りで育った少年の目、どこかで垣間見たカセット、いずれ放送現場でも使われるだろう、と10年先を夢に描いたのである。

1087 オメガ方式発進

この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。

以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。

それどころか、ソニーは、海外でもその1インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。

編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。

今も元気で頑張っているようである。

また、K君は昼メロのヒロインと結婚。

ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。

しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きくなって行ったのである。

今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉いさんから呼び出しを食った。

「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!

親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。

ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。

夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。

業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。

「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。

ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。


1086 ノーベル賞

 日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。

当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチウムイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。

デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。

更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。

電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。

線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。

ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。

一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。

ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時4チエーン使っていた。

30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。

これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。

編集時に、再生に4台、収録に1台、計5台を用意しVTR映像を列車に見立て、5台共真横から串刺しに固定、回転をロックする。

もちろん枕木、いわゆるタイムコードも横一列にロックさせる。

ガチンコ映像をそろえ、串刺しにした映像列車を同時にスタートさせ、記録されている4台の映像を5台目の編集テープに平行移動していくのだ。

再度ガチンコの映像に戻しスタートさせ、編集テープに黒味があれば埋めていけばいい。

モニターは大きめのモニターを4分割し再生映像4台の画を5台目の編集VTRへ嵌め込んで行く。

上に編集用のモニターを乗っけておけば、編集が今迄の編集では考えられない、とんでもないスピードで簡単に出来る。

勿論、今では線路を5本6本なんて言わずに30本50本なんて発想も出来る。

ひかるは世界初のVTR編集センターを稼働させたがその原点は上記の電車と枕木、串刺しの発想が40年前に有ったのだ。

日本の映像王国には編集面で革新的な知恵が使われました。

映像クリエイターやユーチューバー等の分野を目指す人は参考にして下さい。

技術的な事はソニーとリンクし、VTRと編集システムを同時に発売すると飛ぶように売れ、必然的に日本の放送VTR方式、ひいては世界のVTRが日本のオメガ方式VTRで独占された。

ひかるは当時、150人の部下を抱え、ドラマや音楽番組、スポーツやバラエティー、海外ロケから水中撮影、カメラや音響、照明などのスタッフ手配、番組内容把握、目の回る忙しさだが、それと並行して、編集システムの開発だ。

連日連夜、仮眠状態である。

そして編集システムが完成した頃、東宝から連絡があり、昼のメロドラマを日本製一インチVTRで制作し、放送しようとの話が持ち込まれた。

東宝、フジテレビ、ひかるによるプロジェクトが始動したのである。

もちろん、バックには、ソニーとひかるの連係プレーがしっかり出来ている。

世界初、一インチ編集システム、一インチVTR帯ドラマの放送が実現したのである。

その間、ひかるの行動は、死闘の二乗と言えるだろう。

昭和54年、1月から放送された昼メロVTR帯ドラマ 津軽海峡冬景色は世界初で 1インチ収録編集放送、業界に衝撃を与えた。


2026年5月17日日曜日

1085 渡米

 もしも貴方が歌手だったとしましょう。

音楽のスタート10秒前に爆竹の音を入れて録音しておきます。

ブルーバックの前でそのオーディオで演技をします。激しい動きであったりダンスであったり。

それをカメラ二台で録画し、音楽が終わるとまた前の爆竹のところにスタートを合わせ再度動作を録画します。

カメラのアングルやズームを変化させ十回ほど同じ事を繰り返し録画。

結果ブルーバック合成で20種類のビデオが出来上がります。

それを21のレールに見立て、上記の通り枕木をロック、列車を横から串刺しにし、21種類のフレーム画を平行移動させて編集。

完成ビデオを5,6種類作ります。これで貴方は素晴らしいユーチューバースターになれるでしょう。

多重録画と多重編集、簡単に出来ます。参考にしてみてください。

当時、ひかるは部下を毎年アメリカ偵察へ出張させ、アメリカの映像情報は逐一把握していた。

そして、開発の途に付いたばかりのオメガ方式をソニーへ乗り込み、数年の間にオメガ方式に決定。

命を懸けたその間の裏話などは、数冊の本になるくらいであるが、ここでは割愛する。

方式が確定すると、映画界、VTR産業、CM産業、放送業界は一気になだれ込んで来たのである。

東洋現像所は現IMAGIKAを設立、ボウリング場を借り切り電子編集を主にフイルムから変換して行った。

納入されたオメガ方式機種はBVH-1100だが、ひかるはその前のBVH-1000で電子編集を試みていた。

しかしひかるにはもう一つテーマがあった。

ロケ技術の遅れでクイズやワイドショーなどスタジオ中心の番組内容に、何とか外の映像を茶の間に届けたい、という夢だ。

これもタケシの元気が出るTVやねるとん紅鯨団などで実績を作り一段落した頃、ひかるはやおらアメリカ偵察へ出かけた。

ロスの知人と数十年ぶりに会う事にしたが、アメリカ人を同伴して来た。

一段落すると、その米人がひかるの隣へ来。

貴方を日本へ帰す訳にはいかない、としゃべり出した。

何が何んだか訳が分からない。

よく聞くと、これからメディアを買収する。

だから貴方にはその放送局をやって貰いたい、と言い出したのである。

日本では無名のひかる、あのNASA開発の超精密機械をあっと言う間にこの世から抹殺。

世界初の電子編集システムを稼働させた男としてマークされていたようだ。

このアメリカ拉致事件以後、ひかるの渡米は抹消。

1085 デジタル編集

このデジタル編集方式はソニーのオメガ方式とセットで発売されあっという間に世界制覇、

VTR産業で世界を席巻していたアメリカアンペックス社は完敗したのである。

NASAとアンペックス社が開発したVTRは2インチ方式で1インチ2.5センチでテープ幅は5センチ以上。

鉄粉が塗布されており60分テープはかなりの重さ、高速巻き戻しし1秒間に30枚の1枚にぴたりと止める事は当時の技術では難しい。

画像記録が5センチテープに縦に1枚ずつ記録、編集は縦に鉄粉の並び具合を顕微鏡で見、剃刀で切り縦にセロハンテープ状のテープを繋ぐ。左右のリールを高速回転から急ブレーキストップすると破断。

日本方式は1インチ幅、45度斜めに記録。当然記録幅も2.5センチを大幅にクリアー。映像と音声、更にワンフレー単位でタイムコードなる所番地を記録。編集は剃刀を使わずタイムコードで制御。高速巻き戻し問題無し。

ここで電子編集と言う言葉が出てくるがとんでもないひかるアイディアが出てくる。

ひかるは直径3キロの小さな島で育った上京当時西鹿児島から東京まで電車に乗った。勿論新幹線はなく寝台車でもない、

東京迄コトンコトンと走る。寝ても覚めてもまだまだ続く。とうとう不安が覆う、このままあの世行ではないか・・・

とんでもない電車に乗ってしまった、急いで飛び降りなければ・・・と。

しかし周りは平気な顔をしているので耐えることにした。

そこで心底感じたのは日本人の技術だ。西鹿児島から青森までの線路、コトンコトンと音のする枕木。

日本人の技術のすばらしさ脳裏に叩き込まれたのである。これが電子編集に生かされたのである。

西鹿児島から青森まで線路が三本有るとしよう。映像信号は一秒間に30枚、それが枕木に相当。左右の列車は別々の信号。

真ん中の列車はニューテープ。三台の列車は串刺しにし固定。走りながら左右の映像を真ん中の電車に隙間なく入れればいい。

当然大事になるのが三本のテープは前もって同じタイムコードを入れた後で映像信号処理。

映像信号記録前にすべてのテープに枕木のタイムコードを先に入れる。

編集時横に全て同期、列車も五台又は十台でも串刺しにし編集完成。世界初の編集センターが出来上がったのである。

このサイトは10年も前に立ち上げられましたが、当時から個人放送局という名称を使ってます。

現在ユーチューバーやビデオクリエイターなどという言葉をよく耳にします。

10年前このサイトを見ていち早く個人放送をやっていれば今頃はかなりヒットしていたのではないだろうか。

テレビの世界では40年以上も前から、ブルーバックにし、ブルーを抜き取りビデオ信号を合成するクロマキーという技術が使われて来ました。


1096 別れ

 昭和63年4月、父危篤の報に、急ぎ帰郷。 しかし、父と会えたのは、息を引き取ってから既に15時間が過ぎていました。 ひかるがきっとテレビを運んで来ると、ひかるの作ったテレビが見られる日を、生涯の楽しみにしていた父は突然心筋梗塞に襲われ、79歳で帰らぬ人となりました。 ひとつ屋根...