ジュラルミン製、飛行機の残骸。
定年後に島へ移住した吉田氏(仮名)が深刻な顔で相談に来た。
移住した時に世話をしてくれた人が、いつの間にか疎遠になり、その次に親しくしていた人も付き合ってくれなくなった。
とうとう3番目に親しくしていた人に、酒を飲んでいる時、怒鳴りつけられたという。
本土では、男同士が親しくなると、肌を触れ合ったり、肩をたたいたりするのは、ごく当たり前だ。
しかし島の人たちは、男が男に触れること、ベタベタしたり肩をたたいたりすることは、一番嫌悪感を抱くのだ。
「男が男にべたべたするな!気持ち悪い!」という、男気が異常に強いのだ。
吉田氏は島の気質を知らずに、親しくすればするほど、こまめにベタベタ、肩をたたいたりしたようだ。
島の人にとって肩をたたかれようものなら、とんでもないことで、往復ビンタを喰わされたような、嫌悪感を覚えるのだ。
吉田氏もそれに気付き、なんとか関係を修復したいとのことだが、一度壊れてしまった男同士の関係は、そう簡単に修復できない。
その悩みの相談であった。
たぶん、男気が強い島の人たちとの関係修復は、かなりの時間を要するだろう。
深く反省し、時間をかけて解決しようと諭した。
島暮らしや田舎暮らし、ペットの問題や、周りとの付き合い方、その土地の習慣などは、注意が必要だ。
よく見ると若い人たちは意外とベタベタしているが、中年以上の人たちはベタベタすることを異常に嫌うのだ。
注意しよう。
人生、いくつになっても苦楽は付き物だ。
おじさんも東京に二人の孫がいるが、二人とも、小児喘息持ちだ。
娘からのメールで、今病院で点滴をして来たとの事。
孫のゼーゼー苦しむ顔、普通の人並みの子になって欲しい、と夕日に願をかけていたところだ。
若い時の辛さや苦しさは、いくらでも取り返すことができる。
年を取ると時間と体力に焦りを感じ、本当に心が痛む。
胆汁を搾り切られる思いがする。
確かに今は辛いかも知れない。
しかし取り戻せるのだから。
その辛さを肥やしとして、強い女性に変身したほうが良い、と言うと二人は目を合わせてうなずいた。
最初の娘は、横浜出身で、続いた子が名古屋出身だという。
二人とも年齢は20代後半、ぎりぎり30歳前かなという感じだ。
話をしていて感じた事は、二人とも、私に限って、という自信があった。
そして、まだまだ遊びたいという気持ちが働いたようだ。
もし男が、それを察知したら、遊び心は、女より、はるかに上だから、遊び相手を探して次へと、展開していくのは当然だ。
他所事(ひとごと)ではない。自分の人生なんだから、何でもっと真剣に、積極的に、先へ進めなかったのだろうか。
若い時に少しでも遊びたい、という気持ちは理解出来るが、結果として、それは後々ツケが回ってくることになる。
私の知人にも晩婚で、30代後半で子供が出来た人を何人も知っている。
定年時、子供がまだ大学生、定年で時間が出来、楽しい老後をと思いきや、それどころではない。
やむなく働きに出るが給与はがっくり、今まで自分が顎で使っていた、子供みたいな若造に今度はしごかれ、心身共に疲れ果てる。
帰りに、飲み屋で気を紛らせる、ストレスで体調まで崩してしまう。
そのような人を何人も見てきた。
結果的に、結婚が若ければ若い程、早ければ早いほど、定年後は時間がたっぷりある。
そこで夫婦旅行したり、場合によっては共通の趣味を育てたりと、本当の至福の時間ができる。
若い時に苦労すれば、年を取ってから楽出来る。
若い時に、楽をして遊んでいると、今度は老後に、苦労が待ち構えている。
だけど、まだまだ大丈夫だ。めそめそしないで、新しい恋人を本気で、積極的に探したほうがいい。
南の小さな島は誰も、周りにいない。心を打ち明けたとしても、他人に聞かれるはずがない。
二人とも心の内をさらけ出し、明るくなった。
しかし本当に、胸がつぶれる思いで心配をし、夜も寝ないで、心を痛めているのは、親御さんだろう。
分からないはず、と思っても感じるのが親だ。
今ごろ自殺でもしているのではないかと、心配で心配で寝られない日だろう。
元気な声を親に聞かせてあげるんだぞ、と言うと、二人とも、にっこりうなずいた。
ところで昨夜、民宿で遅くまで酒を飲んでいたが、年齢30歳前後と思われる、好青年が連泊。
恋人募集中だと言ってたから、今日にでも可能性はあるぞ。
帰って夕食がすんだら、民宿の庭で今夜も大勢で酒を飲むだろうから、さっそくアタックしてみろ。
二人はもう元気そのもの。
がんばるぞ! がんばるぞ! と、シュプレヒコールだ。
いつの間にか夕日は、若い二人の失恋という2文字、漆黒の海の底へいざなっていった。
夕日よ、今夜もありがとう。
いつものように、海辺の休憩所の横で、一服しながら真っ赤な夕陽を眺めていた。
潮時は満潮で、砂浜にも珍しく観光客の姿はなかった。
すると二十代後半と思われる女性が、自転車で来るなり、私の存在も気づかずそのまま砂浜へ降りて行った。
波打ち際で止まるかと思ったのだが、その子はそのまま海の中へ、ズブズブとまっしぐらに歩き出した。
途中で止まるかと思うと、その子はさらに深い所へ、止まることを知らない。
ありゃありゃ、入水自殺か?
私の前を通り過ぎる時の思いつめたような横顔からして、ただごとではないな。
取り急ぎ、島の消防団を呼ぶ必要があるな、と腰を浮かせ携帯電話を取り出すと、その子は胸元まである深さへ行くと、ピタリと止まった。
そして両手を口もとへ持っていき、腹の底から、あらん限りの声で、夕陽へ向かって叫び出したのである。
OOの馬鹿野郎!
OOなんか死んじまえ!
OO! あんたなんか動物以下だ!
失恋した男の名前だろうか、悔しさを夕陽にぶつけている。
そうしていると気づかなかったが、砂浜の岩陰にでも居たのだろうか、今度は左側からもう一人、女の子がズブズブと海へ入って行き、同じ態勢で叫び出したのである。
XXの馬鹿野郎!
XX! 今に見ていろ!
若い女性が、真っ赤に沈む夕陽を真ん中に、ステレオで叫ぶ様は、心を打たれ、物悲しい。
涙を洗い流しているのだろうか。
両手で、ざぶざぶ顔を洗った後、女性は砂浜を上がって来た。
私の存在に気づくと、ばつ悪そうな、気恥ずかしい顔をした。
「塩水のまま民宿へ帰るとまずいので、そこのシャワー浴びたほうがいいぞ」と言うと、真っ直ぐシャワーの方へ行った。
シャワーの場所を聞き返さないところをみると、この島は初めてではなさそうだ。
もう一人の子も私の声が聞こえたのか、前の子の後を追ってシャワーへ行った。
自分達の、見せては恥ずかしいシーンを見られてしまった、しかし相手は、どう見ても島の人らしい。
シャワーの間に安堵感があったのか、二人はシャワー後、真っ直ぐ帰るかと思うと、私の前の腰掛け代わりの流木に腰をおろし、一緒に夕陽を眺めた。
古老の話によると、昔、東南アジアや中国と直接交易し、アンナ村跡はベトナムのアンナンからの移住者村で、方言はベトナムとリンクしている、とのことだが、真偽は定かでない。
島に人口が溢れ、繁栄していたということは、マルコ・ポーロの東方見聞録、ジパングはこの島のことかな。
ロマン溢れる、ミステリー島だ!
前回紹介した住民登録台帳、これと同じような形をした、そろばんとは違う、この島独特の計算機が、あったという。
島の人はそれを、縄算と呼んでいたそうだ。
古老に聞いても、現物があったことは知っているが、なかなか原理まで覚えている人はいない。
旧暦9月、暦上は10月であるが、それぞれの御嶽に集まり、願い事をする。
50年ぶりではあったが顔を出すと、年寄りたちがびっくりしていた。
その時、出された食べ物であるが、横長のクッキーの形をした物に見覚えがある。
このクッキー、謎多き島に伝わる、不思議な食べ物、頭がよくなるクッキーだった。
縦横4、5センチほど、横に二本縦に六本ほどのパルスがある食べ物だ。
縄算の計算機をかたどっているという。
500年前、縄パルスコンピュータが使われていたのかな。
太平洋に浮かぶ諏訪湖ほど、直径三キロの島に紙や文字はなくわからない。
クッキーを食べ、より頭が良くなり健康であって欲しい。
必ず旧暦9月の神事には、各家庭で妙なクッキーを作るという。
その日も、いっぱい食べれば頭が良くなるさー、いっぱいいっぱい食べれば、と。
これがまた、都会では味わえない珍味中の珍味で、桁違いに頭が良くなったように感じるから不思議だ。
子供の頃、母親に手伝わされ、作った記憶が蘇ってきた。
それにしても、縄算なる計算機と原理、解明したいものである。
この頭の良くなるクッキー、メーカーが見ると製品化、飛ぶように売れること間違いなし。
バレンタイン商品をはるかに凌ぐ商品開発になるだろう。
受験シーズン、入学祝など殺到すること、間違いなし。
菓子業界、頭がよくなるクッキー新開発したら売れるよ。
この島で、妙な貝が、大量に出土した。
巻貝ではあるが大きさがサザエの数倍あり、ホラガイとはまた違う、形そのものはサザエの化け物のようだ。
ところがその貝には、どうしても人工的としか思えない穴が一つ写真の如くあいている。
この貝は光男が子供の頃、70年前には一度も見たことがない。
古老に聞くと、自分もその貝を見たことも食したこともないという。
しかし大量に出土したということは、100年いや200年前、この貝はこの島の周りに大量にいたと思われる。
シャコガイと同じぐらいの出土量があるから、かなり生息していたと思われる。
シャコガイは70年前、足の踏み場もないくらいリーフの上にはいたが、この貝だけは誰も見たことがない。
疑問は、人工的に開けられたと思われる穴だ。
穴のことを古老に聞くと、話には聞いたことがある。
貝に穴をあけ、石に結わえつけ、海中に放牧していたという。
目の前は太平洋、魚介類はいくらでも採れるのに恐るべし、いにしえのこの島人は蓄養方式を採用していたのだ。
小さな貝はなくほとんど大きさが統一されている。
昔は電気や冷蔵庫もなかったので、祝い事や大事なお客をもてなすとき、蓄養していた貝を取り、目の前で新鮮な料理でもてなしたという。
なるほどと感心した。
いにしえの島の人たちは、海で貝を蓄養し必要な時に必要な量、新鮮な料理をし心豊かに味わっていたのだな。
私も閃いた。
今度はシャコガイにドリルで穴をあけ、テグスで石に結わえ、必要な時だけ新鮮なシャコガイを食べよう。
南の島の夕陽を眺め、新鮮なシャコガイ、貝柱、泡盛を片手に至福の時間だ。
調べたらこの貝は学名、ヤコウガイで、太古の昔中国王朝の漆器などに使われ、とんでもない高価で取引されていたという。
島の民宿では夕食後、泡盛がただで振る舞われる。 中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。 ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。 北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込...