2026年7月25日土曜日

162 トゥジィ

 

この島の方言を見ていると、突然変異みたいな訳の分からない方言が時々出てくる。

豊年祭にハーリー競争が昔からある。その船のかじ取り役は重要である。

かじ取り役のことを島の方言では、トゥージィという。

なぜかじ取りが、トゥージィなのか?

日本の言葉でいうと、統括、統治に当たり、つながるのではないかと思う。

統治が、トゥージィになったのではないだろうか。

その昔、この島には、あまりものを書くという習慣がなかったのに不思議である。

昔から続くこの島のハーリー競争は、かじ取りが絶対の権限を持っており、完全に統括している。

言うなれば統治者が、トゥージィになっているのだろう。

また女房、妻を、なんと言うかというと、トゥージィのハイフンをとった、「トゥジィ」と呼ぶ。

トゥジィ(妻)は、家庭を賄い、やりくりする、言うなれば、家庭の統治者だ。

よってトゥジィと言われるのは、当たり前である。

友人のことを、島の方言では、ドゥシ、と言う。

友達という、複数、総称する場合は、普通、島の方言では、ERがつくが、この友人には、それが付かない。

友達はドゥシンキ、という。

この友達という、ドゥシンキは、他の方言と共通しない、変わり種だ。

この言葉がどこから来たのかわからないが、もしかすると、アフリカの山奥で、友達のことをドゥシンキ、というような所があるかもしれない。

渡り鳥が、その言葉をくわえ、島へポコリと落としていったかも?

種子が島で根付き、しっかり島の言葉になったような気がする。

友達の、友達はみな友達だ。

ドゥシンキの、ドゥシンキは、みなドゥシンキだ。


2026年7月24日金曜日

161 人生のスタート

 

私(光男)が、なぜテレビ業界を目指したのか。

昭和30年代、テレビは緒についたばかりだ。

遥か南端の小島、映画館は無いが子供心に映画を見たかった。

石垣島まで渡れば映画は見られたが、家が貧しく船賃もなくできなかった。

南端小島、当時飛行機は無く船輸送、漫画本等は半年以上遅れて着く。

その漫画本の片隅に、5コマでコタツに入りながら映画が見られる。それが四角いテレビだと書いてあった。

それだ! 家に居ながら映画が見られるという、訳のわからないテレビというものの解明に人生をかけよう。

そこから人生がスタート、親兄弟を捨て、故郷も捨て着の身着のままで上京、夜学へ通いながら必死に勉強した。

ブログをやっている人なら、かつての通信会社ウィルコム(現ソフトバンクの前身)と言う会社、知っているだろう。

当時のホームページに誇らしく、人口カバー率99%と出ているが、光男の育った島はまだカバーされていなかった、日本最後の情報過疎地だ。

半年遅れで漫画本が流れ着くが、それが唯一の情報源だ。

昭和39年、第一回東京オリンピック開催。

翌年の40年、やっとの思いでテレビ業界へ入った。

もちろんテレビは白黒時代で、朝と夜の放送で、昼間はフィルムの昼メロドラマ放送。

就職までの道のり、本当に人生の辛酸をなめ尽くしたと言われる状況だった。

その後しがみ付き、魔法の箱解明、夢を全うした。

もちろん長男ではあるが、両親の死に目にも会えなかった。

そんな経験の中から、今の若者たちには是非、勇気を持って己の道を貫いて欲しい。

親が何を言おうと己を貫け。

親は、己の人生を既に歩んできている。これからは、自分の人生は自分で決断する、でいい。

この世にポコンと動き出した貴方の鼓動、100パーセント間違いなく、いずれは止まる。

何のため、今まで動いてきたのか?

今、何のために動いているのか?

これから先、どう動かせるか?

己の可能性に立ち向かおうではないか!

人生の 喜怒哀楽に ロマンあり

若者よ 思い残すな 明日は華

  貴方には 誰にも盗られない 知恵がある

  貴方には 誰にも止められない 鼓動がある

これしかない!

己の人生ドラマ ロマンを持て!

そして

 命を張れ!

 命を張れ!


160 帰るな

 

沖縄の母親、子供が旅立つ時、辛いことがあったら、何かあったらいつでも、すぐ帰ってこいと言って旅立たせる。

それだと考え、私は沖縄の母親たちに子供を崖から突き放し、ニ度と帰ってくるな、どんなに落ちぶれても帰ってくるな、と言って旅立たせよ。

と説いているが、どんなに言い聞かせても、それは無理だった。

昨日も東京の大学にいる娘から電話があり、辛かったらいつでも帰ってきなさい、と母親は伝えたそうだ。

沖縄の女性は、あまりにも情が深すぎ、子供を崖から突き放せない。

結果的に親の面倒を見る、と格好をつけホームシックに負け、厳しい大人の世界へ踏み込めない。

それがいいことなのか、悪いことなのか、悩んでしまう。

20代、その人の人生を大きく左右する一番大事な時期である。

Y君のように地元へ帰ると、同窓生は地元企業でそれなりに活躍しだしている。

東京から帰った人間は、キャパシティが狭いからすぐ噂になる。

同窓生の下で、あるいは自分の後輩の下で、顎で使われる身となると頭へくる。

それで喧嘩をし、また上京する。

20代で、そのようなことをしていると、あっという間に30代だ。

好きな恋人がいたとしても、女は生活力をまず先に考える。

いつの間にか他の男と結婚してしまうという結果だ。

そうなると、彼女を恨みつらみ、場合によっては、彼女を奪った男にまで逆恨みをし心が荒れる。

30代になって、余程謙虚な気持ちで、一心不乱に、人生を立て直せばいいのだが、それもまた難しい。

経験した人でなければ分からないが、30代、あっという間に10年が過ぎてしまう。

人生で一番時間が短く感じられる30代だ。

所帯を持つこともなかなか難しい状況になり、40代に突入すると、人生を立て直すのはかなり困難である。

フリーターやニートと呼ばれる人たち、本気で20代をどう過ごすか考えて欲しい。

まずは親や周りが親身になって、立て直しを支援する必要があるだろう。

生活力の基盤のない男、どんなに男前が良くても女は逃げていくぞ。


159 帰郷病

 

東京の放送局キー局に沖縄出身者は私一人しかいなかった。

どこで聞きつけたのか、沖縄の若者がキー局で番組制作したいけど、どうしたら良いかという相談、いわゆる就職相談が結構あった。

私の知人に、

人格良好な素晴らしい男がいたので、技術プロダクションを作らせ、毎月一定量の仕事を出し、バックアップ体制をとっていた会社が数社あったので、一人の沖縄出身者、Y君を紹介した。

社長は貴方の紹介ならば、と即座に採用が決まった。

Y君の仕事ぶりの評判もよく、そろそろレギュラー番組を持たせてもいいかなと、思っていた矢先、社長からの電話。

Y君が仕事を辞め、親の面倒を見るため田舎へ帰る、というので説得して欲しいとのことだ。

親のこともあるかも知れないが、自分の年を考え仕事を優先することを薦める。

なかなか自分のやりたい仕事、簡単に手に入らないぞ、と説得をし、何とか思いとどまらせることができた。

Y君の評判も良かったので、そろそろチーフとして番組を仕切らせ、テロップで画面に名前が出れば責任感も出て、やる気も出すだろうと思っていた矢先、また社長から電話だ。

また帰郷病が出たという。

今度は何度説得しても田舎へ帰るの一点張りだ。

仕事はどうするのと聞くと、タクシーでも何でもかまわないという。

何で仕事を紹介してしまったのか、と後悔。

とうとう沖縄へ帰ってしまった。

更に数年後、上京し社長に仕事をさせて欲しいと頼み込んだという。

呆れ果て、世の中甘く見るんじゃないぞ、と言いたくなったが、勝手にしろ、と言ってやった。

今どきの若者の中には、郷愁に抗えない特有の葛藤があるようで、世代の違いというのか私には理解できないことでした。


2026年7月23日木曜日

158  ワーキバ!のルーツ

 

この島の方言を聞いていると、訳の分からないことが出てくる。

足のことをパンと呼び、ハブのこともパンという。

畑に使うクワのことをパーイと呼ぶ。

このパーイはペルーの山奥の原住民が使う言葉だと言われている。

インドネシアを旅行したおり、ところどころ車窓に、MAKANというローマ字の看板が出てきたのでガイドに聞いてみると、レストランの意味だという。

島の方言で、旨いは、まーはんと言うが、インドネシアのマカンと発音イントネーションがぴったりだったのには驚いた。

ちなみに島では、食器のおわんもマハンと言う。

また島の方言で、ほとんど当てはまることだが、複称、総称の場合、単称の単語に、ERをつければことが済む。

その点は、どうも英語と同じだ。

例えば、バカな奴、阿保な奴を方言でいうと、プリムン、になる。

複称、あるいは総称して言うと、それはERを付けて、プリマーになり、プリムンたちという意味だ。

わんぱく小僧のことを、ヤマング、という。

複称、ないしは総称すると、ERをつけてヤマンガアー、になり、ヤマングたちとの意味だ。

太る、というのは、パンタル、と表現する。

太った人たち、と総称すると、やはりERをつけて、パンタラーになる。

逃げるは、ピンギルだが、逃げ足の速い奴らは、ピンギヤーだ。

極めつけの方言は、働くだ。

働くことは、石器時代の昔からあっただろう。その言葉が、ものの見事、英語のワークと同じだ。

働く、それは、方言でも「ワーク」である。

屁理屈こく前に「働けば」の方言は

屁理屈こく前に「ワーキバ」になる。

日本南端の島は、ERだらけだ。

日本国内に、理解しがたい日本人がいた。

しかし、日本人のルーツかもしれない。

島ジーに、なんで働くが、ワークなんだと聞いたら、お前は、ヤマトウへ行って屁理屈屋になった。

そんなこと、ワシに聞いても分からない。昔からそうなっているのだから、しかたないさ!

ごちゃごちゃ屁理屈ばかりこいてないで、「ワーキバ」(働けば)と怒られた。

まあ まあと言って、泡盛をつぐと全て円満解決。

飛び交う方言を聞いていたら、いにしえの昔へタイムスリップ。

島の年寄りは、性根が正直で優しい。

私は島の年寄りが大好きだ。 


157 死なすぞ! 


島で生活してると時々、言葉遣いや表現に、あれれ?と感じることがある。

話の中で冗談に「殺されるぞ!」という表現が出てくるはずだ。

島人の表現では、それは「死なされるぞ!」と言う表現になっている。

何でそんな表現になるのだろうかとよく考えると「殺されるぞ!」という表現には、非常に残忍で残酷なシーンが先に浮かぶ。

その点、島の表現では、そのような残酷さは抑えられる。

島の人たちがもともと心根が優しい、穏やかであるから、残忍なシーンを連想するその言葉は使い辛いので、自然に言葉が変換されて出てくるのである。

島の人は素晴らしい、とつくづく感じる。

マスコミでは、子供が親を、あるいは兄弟、家族を殺害する残忍な事件の報道がある。

皆さん、夫婦喧嘩、親子や家族喧嘩の中で、知らずに「殺すぞ!」という言葉が日常、ポロリと出ているのでは。

子供は親の背中を見て育つ、いつの間にか親や周りに、そのような残酷な言葉が飛び交うのを聞き、精神的に残酷なシーンが受け入れられる。

喧嘩等、興奮してる時に、周りへの配慮は難しいだろうけど、普段から言葉の使い方、表現の仕方に心配りが必要だ。

子供は親の背中を見て育つ! 親の言葉を聞いて育つ!

気をつけよう。

以前、民宿のヘルパーをしていた27歳前後の女がいた。

父親は公務員だという。

南の島へ行ったきりで、心配だっただろう。迎えに来た。

今日は子牛のセリで、見に行くと帰ったはずのその子が牧場へ泊まり込み、牛飼いをやっているという。

親が許さないだろう、と言うと、ミイラ取りがミイラになったのか、父親はこんな良い島はない、とたびたび訪れるという。

よく聞くと、他にも牧場に泊まり込み、牛飼い女が3人もいるという。

彼女は大学も出ており、丸の内でキラキラ輝くキャリアウーマンとしても通用する頭脳明晰。

牛飼いがそんなに魅力的なのだろうか、訳が分からなくなった。

160頭もの子牛がセリに出され、70万円前後の値が付いていた。

あすは神戸牛か松阪牛か。

子牛と別れる牛飼い女の目に涙、印象的だった。


2026年7月22日水曜日

156 強制移住

 

南端に浮かぶ周囲12キロ、ハート形の黒島には遠い昔、溢れんばかりの人口があり、一大文化圏を形成していたという説がある。

ある説によれば、人口1万人はいたであろうという人もいる。

真意の程は定かでないが、1700年、鳩間島へ60人が強制移住、3年後には更に500人が強制移住させられたという記録が残っている。

その記述が本当ならば、黒島の住人は千人や二千人ではなく、一万人説もおかしくない。

それ以降も石垣島等へかなりの人が強制移住させられたという。

1500年代から1600年代にかけて、日本では武士が勢力争いをしていた頃、この島は幸せで豊かに、文化を謳歌した人たちがいたと思われる。

島には特に豪族らしきものはない、また貨幣なるものも見当たらない。

人々は物々交換、海から獲れる膨大な魚介類、御嶽を中心にお互いの門中が、仲良く生活していたと思われる。

島には墓はあるが、お寺は一軒もない。

法事は自宅で親族同士で行う。

御嶽は健康子孫繁栄、豊作祈願の太陽崇拝の場で、親族同士が門徒である。

島には人が溢れ、耕作地を岩の上まで広げたという、その痕跡は今でも残っている。

岩の上に出来る作物など、あるはずがないと思って、古老に聞くと、事もなげに粟なら十分作れるとのことだ。

言われてみれば80年前、島には粟の原野、粟が好物の野生のウズラがたくさんいた。

ウズラの卵、仕掛けでウズラを捕らえて食したことを思い出す。

また御嶽は今でも十数箇所残っている。

直径2キロちょっとの島に、本土では考えられない十数箇所の御嶽の跡が残っている。

沖縄本島にある御嶽は、久高島に島々を作った神様が降り立ったということで、久高島を向き、御嶽信仰が行われているという。

しかし400キロ離れたこの島には、そのような信仰は無関係のようだ。

理解出来ないのは、島の十数箇所の御嶽は、それぞれ方向がバラバラで、統一されていない。こんな小さな島で統一されない疑問、不思議である。

御嶽は本土でいうお寺みたいな存在だが2キロ前後の空間に、これ程のお寺なり、御嶽があるような地区はないだろう。

この島を調べていくと、不思議なことだらけだ。


169 献杯

女房一族のドンが亡くなった時、献杯の音頭は、光男しかいないと音頭を取らされる信頼、急変ぶりである。 勿論、光男は必死に働きマイホームを構えていたが、女房の親が年を取り、足元もおぼつなかったので、親の面倒は子供が見るべし。 と嫌がる女房を説得し、同居に踏み切っていたのである。 塩を...