2026年7月15日水曜日

140 不思議島

沖縄本島から、南へ400km。日本の最南端は波照間島であるが、その手前に、ものの見事なハートの形をした黒島がある。

この島は1771年、明和の大津波以前、あふれんばかりの人がおり、一大文化を謳歌していた。

山も川もない、周囲12kmの小さな島だが、島を取り巻くように南半分、6kmにわたる見事なサンゴ礁がある。

そこからは、素潜りで大量の魚がつかみ取りでき、それで島の人たちは、豊かな生活をしていたようだ。

しかし、この島には、紙と文字という文化はなかったため、今では歴史に跡を残すことなく、ほとんど知られない存在となってしまった。

写真の、しめ縄を小さくしたようなものだが、これは何かというと、この島で使われていた、住民台帳だとのことだ。

縄から髭の如く出ているもの、それによって、家族の人数や大人、子供などの情報が、全て入っているとのことだ。

また同じしめ縄のような形で、島の1軒1軒の地図が、表現されていたという。

さらに驚くのは、この縄から飛び出している髭の長短、太さ、小さな縄状物によって、計算の繰り上げ、繰り下げが出来、今で言うと、超ハイテクコンピューター並があったという。

日本や中国ではそろばんがあったかもしれない。

この島の人たちはそろばんではなく、とんでもないものを使っていたようだ。

現在のコンピューターは、パルスのあるかなしかで基本原理ができているが、パルスの長短、太さ、色分けをしていくと、超コンピューターができるであろう。

遥か昔に日本の南の島で、高度な文化を誇った人達がいたのだ。

この島の文化が、何で日本の歴史にないのか、非常に不思議であるが、いうなれば、日本のインカ帝国と言ってもいいのではないだろうか。

沖縄の民謡に興味がある人なら、黒島口説、チンダラ節、アブジャーマ等、聞いたことがあるかと思うが、この島の民謡で、紙では残せない音楽、昔の人が残した痕跡だ。

黒島口説はマイクのない昔、祭りで大勢を前に、曲の半分を大きな声で歌いながら踊るという、今のカラオケの原点が百年以上も昔に誕生していたのだ。

こんな民謡はどこにもないであろう。

120もの島からなる沖縄県、たった周囲12km、現在の人口200数十人の島から県を代表する音楽が出ている、ということは、とんでもない音楽のDNAを持った人種であることは間違いない。

島見聞録、これから島の古老たちの話を交え、立ち上げていきたいと思います。

お楽しみに。


139 画像

 


島の住民台帳。

138 喉輪

  絶滅危惧種であり、天然記念物イリオモテヤマネコは西表島にしかいないが、実は石垣島にもいたという説もあるが、この黒島にも70年ほど前まで生息していた。

黒島でこの山猫を見た人は最近他界したので今では光男ただ一人しかいなくなった。

この山猫は普通の野良猫と比べ、顔がまん丸くてしっぽが太くて短い、足も短い、いわゆる短足ずんぐり型だ。

顔が丸いのは顎の筋肉がかなり付いているのだろう。足が短いのもかなり筋肉が付いているせいで短く感じられるのだろう。

運動能力は通常の猫の域をはるかに越えている。

まずは完璧な夜行性、真っ暗な夜、眼光がものの見事な黄金のビームを発する。50メートル先でも確認できる。

消えたかと思うと、こちらの動きや声で別の所から黄金のビームを発する。

また獲物を捕る時の動作が見事だ。

島のニワトリはこの猫のためか、桑の木の枝で寝る。観察するとある程度風があり、木の葉の音がワサワサし、多少しなっているタイミングを狙う。

助走から一気に桑の木を四本の足で抱くようにスルスルっと駆け登り、飛びつき、まずは鳥の喉輪を瞬時に噛み砕く。

鳥は声を出す間もない。

風で枝はしなったりしているので、他の鳥たちは気が付かない。

くわえたまま落ちるが、猫は四本の足で見事着地。鳥は地面へ叩きつけられる。

もし瞬時に喉輪を噛み砕き損ねた場合、鳥の足が猫の足を掴めば、四本足での着地は出来ず、地面へ叩き付けられ一巻の終わりだろう。

風や葉音、しなり具合の読み、瞬時に喉輪を噛み砕くなど、見事としか言いようがない。

また台風時には鳥たちは木の上では寝られない。

獲物が簡単に手に入り、この猫がこの地域に生き延びた原因だろう。

住処も重要だが、この地区にはアダンやガジュマルの木がある。

この木は横に延び、途中より気根を地面へ次々と下ろし這っていく。

木も台風から己を守るため上へ伸びず横へ這うように伸びる。

途中から気根と呼ばれる根を垂らし横に寝るように、這って大きくなる。

地面と横たわる木の高さは50センチ前後、柱の如く気根が沢山あるため絶好の住処。

勿論ハブやネズミ、ヤドカリやトカゲなど南国の動物の楽園で他の動物が入り込めないため、昼間も安心して寝られるのである。

光男は古代から生き延びるこの猫の狩りから、一番大事な事を教えられた。

時代の風向きや自分の置かれている状況等を慎重に読み、ネックの喉輪を瞬時に噛み砕く手法だ。

人生では千差万別だろうが、必ず問題があるはずだ。

慎重に読み、どのタイミングで瞬時に喉輪を噛み砕くかだ。

自分は今動けるのか、親の状況やあるかないか。

兄弟の問題、家族に病人がいるかなどを読み、飛びつくタイミングはずれていないかなどが重要だ。

137 思考配分

また思考配分をした生き方をすると、チャンスが間違いなく時系列で捉えられ、その時の流れや風向き、風色など、一気に喉輪を噛み砕く手法が採れるといえる。

思考配分、なんて初めて聞く言葉でしょうし、学校でも教えてくれない。

がしかし騙されたと思い、頭へ叩き込み実行して間違いない、人生最良のチャンス獲得思考だと言えるでしょう。

十人十色、チャンスもまた十人十色で違います。

己の脳、波長に合ったチャンスを捕らえる。

それには、思考配分を常に心がけ、好奇心を絶やさない。

その二本柱の元に前もってチャンスを見据える、そこから間違いのない決断が生まれ、実行力へと繋がる。そして結果が出るのだ。

多くの人が夢を諦めるな、と説くがこの夢が困ったものだ。

寝て見る現(うつつ)の夢と己の希望なる夢が同じ字で、子どもたちに混乱を招く。

時の総理が沖縄の基地問題などたちどころに解決してみせる、伝家の宝刀、腹案があると言って印籠をちらつかせ、結果、幻の夢であった。

挙げ句の果てが、国民が聞く耳を持たなくなっただと。

もしかして母親が夢枕に出、ささやいたのではと笑ってしまう話だが、

国権の長としてあるまじき行為であるが、現実の夢と現の夢が区別されていないのではないだろうか。

教育の間違い、外国から日本人が曖昧だ、といわれる原点は感情の区別が出来ないところにあるのではないだろうか。

議員の皆さん、寝てみる夢と、しっかり未来を見据えてみる夢、この字に区別を付けてほしい。

話はそれたが、よき決断を出すには人それぞれの考え方や見方で大きな違いが出る。

貴方の決断、熟慮を願うのみである。

光男は生まれた島へ舞い戻った。

島には時が見放したのか、時を見放したのか、のんびりした古老たちがいる。

TV界で40年間番組を作り続けた光男との会話など、面白エッセイ南島見聞録を発信します。

引き続き、お楽しみください。

136 時代背景

 昭和30年代、集団就職で沖縄から大勢の人が本土の工場へ寮生活でなだれ込んだ。

数年もすると飛び出すが、身よりもなく親の援助や庇護もない。

世の厳しさに負け、犯罪に手を染める人もいた。

ニュースで名字から沖縄出身者であることは判明する。

沖縄出身者への偏見が漂っていたのだ。

光男はパスポート時代に結婚。単なる反対ではなくこのような時代背景もあり、塩をまくだけではなく、警察を呼ぶと喚かれたことがあった。

何もなくても、その内事件を起こすだろう、と見られていたようだ。

先日沖縄の会合へ出ると、演壇の挨拶者が昔の偏見について話し、沖縄出身者には大家が部屋を貸さない風潮で、心底悔しい思いをした。

衣食住に事欠いた等の話をし、大泣きで挨拶を終えた。

年配者が頷きもらい泣き、光男に同調を求めてきたが、過去よりもこれから前向きに生きようよ、といってやった。

当時アパートには「沖縄出身者お断り」の看板が結構あったことは事実である。

今時の若者、光男から見るとあまりにも恵まれすぎている。

光男は逆境を生き抜いてきたからこそ、先を見通す思考が不可欠だった。

チャンスは日夜降り注いでいるのに、このチャンスを捉えきれない、見過ごしているのではないだろうか。

チャンスの女神、何度かそっぽを向かれると、遠ざかっていく。

しからば確実にチャンスを捉える方法はないのか、と考えると、思考配分をキッチリ出来れば可能である、と光男は言う。

光男論、3年先に30パーセント、5年先に20パーセント、現状に50パーセントの思考配分、エネルギー投資配分を常にするべきだと主張する。

確かに今日、明日の現状も疎かにすべきではないが、足下ばかりに気をとられていると、いきなり山が立ちはだかったり、谷や川が立ちはだかる。

3年、5年先の目標を見、思考配分すると、草原の一本道を歩むが如く山や川も確認できる。

山登りの準備も出来、川は水量の一番少ない時期にタイミングをとり渡ることもできる。


2026年7月13日月曜日

135 彫刻刀

人体にとって、血液は酸素やビタミンを運び、調節し、無くてはならない重要な役割を果たすことはいうまでもない。

人生においては、その役目を好奇心が果たすのではないだろうか。

好奇心があるからこそ、知恵が湧き出し工夫もするし、トライも出来、幸せも湧き出る。

小学校時代、貧しくてクレヨンが買えなかったが、じっとしていられなかった。

普請場(ふしんば)を回り釘を見つけてくる。

五寸釘は最高で、硬い木に打ちつけ、頭を火にくべ、トンカチで叩き、砥石で研ぐと色々な形の彫刻刀ができる。

カエルやハト、面や仏像など彫りまくる。

デイゴの木は枯れると硬いが、生の状態は柔らかい。

石膏代わりに使えるのだ。メガネの木なるものがあるが、その木を切って自分の骨格に合わせ、自作の水中メガネ、ゴーグルを作る。

三角や四角いガラスを根気よく削って(こそげて)丸くし、ヤラブの木の根に傷を付けると、蝋状の樹液が出る。

それをガラスの隙間へ詰める。

子供は骨格が毎年変わるので作り替えるのである。

ちなみに最初は竹で作ったが具合が悪いのでユナーの木で作った、水中メガネ発祥はこの島だと古老が言っていたが、定かでない。

最初は生芋で作ったそうだが、かろうじて一日しか使えなかったといっていた。

光男はかすかなチャンスを確実に生かしてきた、といえるのではないだろうか。

高校は叔父、叔母の家をたらい回しにされながらも、お世話になってやっと卒業する。

当然就職するところを上京のチャンスを得る。

会社選び、周りは金に目がくらみ、条件のいい会社へいくが、光男はテレビ界を選ぶ。

しばらくは鳴かず飛ばずの窓際族を決め込む。

沖縄が本土復帰をし、パスポートを焼き捨てると光男は豹変したが、そこには訳があった。


134 簿記

 石垣島の高校に理系コースはなく、光男は商業コースで簿記やそろばんを習い、上京後たった二年間夜学の理系専門コースを出、局入り。

昼間は重労働のため、勉強もままならない。

入社時、専門知識は同期の連中に比べれば雲泥の差で、かなり出遅れていたため、情報最先端のシステムは驚きの連続。

しかし好奇心の固まりの光男にとって最高の場でした。

父の言った、思った通りやればいい、これは生涯光男の座右の銘となった。

進路や会社選び、仕事の上、結婚など、誰にも相談することなく、存分に思った通りを貫いた。

おそらく、このブログを見ている人で光男より恵まれない境遇にある人は皆無でしょう。

かすかなチャンスを確実に生かす。

後へは引けない境遇が功を奏したといえるでしょう。

そう、島育ちの子供は15歳で親の傘下を出、親離れする。

親の庇護から外れるという事は、辛酸を舐める事になるが、この人生の第一関門をどう乗り切るかがその先を大きく左右する。

二十代、それは人生のチャージをする時期です。

たけしも鳴かず飛ばずの二十代があったし、テリーも書いた通りで、光男も同期にズルズル置いてけぼり。

ちょっとしたチャンスで豹変していったのである。

経験からして、人生で一番大事なのは好奇心ではないかと思います。

よく夢を諦めない、なんて言われますが、むしろ何でもかんでも好奇心をもってあの手この手でトライし続ける事が大事だ。

死ぬまで好奇心を絶やすな。

光男がメディア先進国アメリカをギャフンといわせたい。そして出来たと自負。

クイズやワイドショーなどスタジオ中心時、ロケの映像を全国のお茶の間へ流せばどんな変化があるのかテレビがどう変わるのか、好奇心の延長線だった。

ランプで育った光男は入社早々局の心臓部テレシネマスター職場へ配属。

そこは送信システム、膨大な送出機材、放送直前の素材管理、30局のローカル局制御、後に衛星回線制御システムなど情報の最先端。

高校は地元に理系がないため商業コース出で、目を見張るどころではない。

しかし寸暇を惜しんでラックの裏へ潜り込む。スタジオのラック裏、中継車のラック裏などすべて解明。旺盛な好奇心を満たす絶好の場であった。

後に光男は中継車を自作、その中継車で生放送までやってのける。

情報番組、渡辺浩弐司会「正義の味方」は光男自作中継車生放送番組であった。

キー局はネット問題、巨額のスポンサー費等を考えると、VTRやローカル番組は別とし、まず自作機の使用は認めないであろう。

キー局の歴史に自作中継車生放送番組の項目があれば、たった一人光男の名前が載るであろう。

一時、ダンプ松本などの女子プロレスがはやった時期があったが、その時も裏方として光男の存在があった。

内容的には中継車を持ち込む状態だったが、そうなると会場等で制約を受ける。

光男は映像システムをコンポーネント化しその都度ホールの隅で組み上げ、バラすシステムを作り上げたのである。

システムエラーで番組に穴が開けば膨大なペナルティーを要求される。

今なら簡単に出来るが、当時は大きなリスクを伴う手法を実行できる人はいなかった。

女子プロレス番組を見た人なら、当時他の番組にはないリアリティに富んだ番組であった。

番組制作費をかなり安く出来たのも当然だった。

143 ミステリー島

 古老の話によると、昔、東南アジアや中国と直接交易し、アンナ村跡はベトナムのアンナンからの移住者村で、方言はベトナムとリンクしている、とのことだが、真偽は定かでない。 島に人口が溢れ、繁栄していたということは、マルコ・ポーロの東方見聞録、ジパングはこの島のことかな。 ロマン溢れる...